1 隣から消えた日
くるみ。俺、彼女出来た!
嬉しそうな顔をして、突然、幼なじみの透が私にそう告げた。
いつもの朝。
私、逢坂くるみ。高校一年生。
彼は間宮透。私と同じ、高校一年生。
家が隣で、幼い頃から仲の良い私と透は、高校も同じ所を受験した。無事合格し、高校どころかクラスまで同じとなった私達2人は、相変わらず一緒の登下校を続けている。
朝。いつもの様に透と学校へ向かおうとしたら、ふと、透の様子が普段と違う事に気が付いた。
「透、なんだか嬉しそうだね。何かいい事でもあったの?」
「わかる? くるみ。俺、彼女出来た!」
「ええ――!!」
「2年の先輩に告白されたんだ。入学した時から気になってたんだってさ」
ぽかりと口を開け、隣の透に目をやる。
緩んだ口元を隠そうともせず、透は先輩の話をし始めた。
透、高校生になって、かっこ良くなったもんね。
いつまで経ってもお子様顔の私と違い、高校生になり、透はぐっと男らしくなった。
背も高くなった。中学入学したての頃はまだ小さく、私とあまり変わらなかったのに、小さいまま成長を終えた私と違い透の背丈はどんどん伸びた。
すっかり様変わりした低い声、広い背中に、不意にどきりとさせられる事もある。
そうか、彼女出来たのか……。
置いてきぼりにされたような気がして、少し寂しく感じたものの、素直に幼なじみの掴んだ春を祝福する事にした。
「良かったね、透。おめでとう!」
「ありがとう。くるみも彼氏出来るよう祈っとくよ」
「浮かれてるねえ、透」
格好つけて言った透に、いひひと笑い返した。
彼氏とか付き合うとか、正直、まだピンとこない。
私はまだ、誰かを好きになった事がないから。
うーん。私、顔だけじゃなくて心もまだ、お子様なのかも…。
「先輩…栞さんて言うんだけど、綺麗で大人っぽくてさ。色っぽいって言うの? そんな人が俺の彼女になったんだぞ。そりゃ浮かれるだろ…」
幸せそうにむくれる透を見て、なんだか可愛いと思ってしまった。透をこんな顔にさせる栞さんて、どんな人なんだろう。今度会わせて貰おうかな。
駅に向かい改札を通り、やってきた電車に乗り込もうとしてふと、私は気づく。
「あ、そうだ!」
「どうしたの、くるみ」
「透、彼女出来たならもう、私と一緒に学校行くの止めないと!」
「なんで?」
「なんで、じゃないよっ。栞さんが嫌がるでしょ。彼氏が他の女と一緒に登校とか」
「他の女って…くるみじゃん」
「私でも、だよ! 幼なじみだとか栞さんから見たら関係ないって。不安にさせちゃいけないよ、もう止めよ」
「ん…わかった」
イマイチ意味が呑み込めていないような顔をして、透が頷いた。
そりゃ、私はお子様顔ですよ?
おまけに幼い頃からずっと一緒にいた私なんて、女の子カウントされていないって事は分かるけど…栞さんから見れば私は、れっきとした余所の女だ。
透、ちゃんと分かっているのかな?
透の態度に一抹の不安を感じつつ、駅を降り、私は透から少し離れて教室の中まで入って行った。
次の日の朝。
普段より早起きをした私は、いつもより一本、早い電車に乗ることにした。
一緒の登校は止めよう、なんて言ったものの、家は隣だし高校も同じなので、いつも通りに家を出ると結局、一緒に登校する事になってしまう。
なんで私が頑張ってんだろ…。
透がずらしてくれたらいいのに、と思うものの、昨日の様子を見るからに期待してはいけない気がする。
仕方ないなあ。
溜息をつき家を出る。家の前には誰もいない。
頬に当たる空気が昨日より冷たく感じる。11月の朝は、電車一本分早いだけなのに、不思議と普段より冷えている気がした。
くすんだ街並みを一人歩き、駅へと向かう。
遠くに見える山の裾がうっすらと色づいているのが見え、反射的に横を向いた。
「透、向こうの山、もう色変わってるね。もうすぐ紅葉シーズンかな」
あっ……。
誰も返事する人は居ない。
恥ずかしくなって前を向く。
癖って怖い。周囲に人が居なくて良かった……。
その後も、無意識に語り掛けては真っ赤になるのを繰り返し、私はようやく学校まで辿り着いた。
私が学校に到着した頃、やっぱり透の姿は見当たらなかった。
「くるみ、くるみ、どうしたの? 今朝は透君と一緒じゃないの?」
「どうした? あいつ、風邪でも引いてんの?」
高校生になり、透と一緒に登校しない日はこれが初めてで、莉々依と蒼汰が心配そうに私の側へやって来た。
莉々依ことりーちゃんは私の中学時代からの親友だ。蒼汰は透の友達で、高校で初めて知り合ったのだが、私も自然と仲良くなった。
「あのね、ビックリしないで聞いてね、2人共」
「なに、くるみ」
「透……彼女が出来たんだって!」
「えっ、透君とくるみ、ついに付き合いだしたの?」
「違うってば! 先輩だよ、2年の。栞さんって言ってた」
「え―――ウソだろ?」
りーちゃんと蒼汰が、ぽかんとした顔で私を見つめている。
2人共、透のニュースに驚いているようだ。
りーちゃんが、眉根を寄せだした。
「くるみ……いいの?」
「なにが?」
りーちゃんの言いたい事が掴めず、首を少し傾げる。
朝の早起きは少し腹が立ったけれど、余裕のある朝もいいかもしれない、と前向きに考えてみることに決めた。
「あーそれで別々の登校か。透のやつ彼女と登校かぁ、いーなあ」
「栞さん、電車は逆方向らしいけど、最寄駅から学校までは一緒に来るんじゃないかな」
「どんな人か見てやりたいぜ」
透の事を3人でお喋りしている内に、透が教室へ入って来た。時計を見るといつもの時間だった。
私の想像通り、やっぱり透は、何も考えてはいなかったようだ。
はー、気を利かせてずらしてよかったぁ。
蒼汰が、にやにやした顔をして透に近づいた。
「透、彼女出来たんだって? どんな子だよ」
「くるみに聞いたの? 2年の先輩だよ、崎原栞さん。美人だぞ~、蒼汰驚くよ」
「お前上手いことやったなぁ」
「何にもしてないよ、向こうから俺に告白してきたんだから」
「おれにも降って沸いて来ないかな、告って来る可愛い子…」
始終機嫌のよい透と蒼汰を微笑ましく眺めていたのだけれど、ただ一人。りーちゃんだけはなぜか、渋い顔をしてそんな2人の浮かれた様子を眺めていた。
昼休み。彼女と食べるから、と言い、透が教室から出て行った。
暫くして蒼汰が口を切る。
「おい! 透の彼女、見に行こうぜ」
「いいわね、見に行こうか」
相変わらず渋い顔をしているので、断ると思っていたりーちゃんが、意外と即答した。
私も頷く。拒否する理由はないし、私も興味はあるのだ。
蒼汰を先頭に、りーちゃんと3人で、カップルのメッカ、屋上へと足を運ぶ。
扉を少し開け、こそこそと3人、顔を出し覗き見をする。
寒くなってきたせいか、屋上には二組しか人はいない。すぐに透と栞さんは見つける事が出来た。
蒼汰が歓声を上げる。
「うわ、まじ美人じゃん」
透と弁当を挟み、正面に座る女の人を見た。
どきりと胸が鳴る。
あの人が透の恋人、栞さん。
艶やかな黒をした長い髪。整った目鼻立ち。落ち着いて大人っぽい雰囲気の綺麗な人。
軽やかに、上品そうに笑う姿は本当に、艶のある美人だ。
透も、よく見ると結構、端正な顔立ちをしている。
柔らかそうな茶色の髪が色素の薄い瞳にかかり、それがなんだか甘い雰囲気を作っていて、栞さんと2人向かい合っている姿は、正直、お似合い以外の何物でもなかった。
りーちゃんも蒼汰も、食い入るように透と栞さんを眺めている。
私も息をのみ、2人の姿を眺めていた。
何故だか、苦しい。
突然、息が上手く吸えない感覚に襲われ、私は必死に息を吸い、吐きだした。
どうしたんだろう、私。
今朝、少し早く起きた分、寝不足なのかな…?
「りーちゃん、蒼汰。私、もう教室戻るね」
透が栞さんに笑いかけている姿を見ているだけなのに、何故だか息が詰まるような苦しさを感じた私は、それだけ言うと早々に、教室まで戻る事にした。