第5章 壊滅戦線 (時系列-4)
六人編成の工作部隊が暗殺対象の現れるという小さな村に向け鬱蒼と茂る森のなだらかな山道を登り進軍している。陽は高く、木陰からの見通しは悪くない。それはつまり相手からも気づかれやすいわけだが、先手を取っているのは自分たちだと、次の瞬間まで信じ込んでいた。
展開は一瞬。一秒前まで横で話していたケインから「ヒュン」と「ブシュ」という異音が聞こえた瞬間、ケインの身体から支えが消え、頭からだらんと崩れ落ちた。それから「スナイパー!」という誰かの叫びが声がするまでの数秒間、彼の意識は凍りついていた。
「リック!!」
戦友のショーンがとっさに飛び込んで押し倒してくれなかったら彼、リックの眉間にもケインのように弾丸が一直線に貫いていただろう。木陰に入ったリックはショーンとアイコンタクトをしながら銃を構えて隊長であるロバートの指示を仰ぐ。
「全員隊列を組み直せ!! イイダはスカウタードローンを展開! 俺はケインの通信機を使ってプランの変更を本部に伝える! リック、ショーンは援護しろ! ロス、通信機とケインを運ぶのを手伝ってくれ!」
ロバートは手際よく全員に役割を与える中、飛んでくる銃弾の音に混じって多数の足音まで聞こえてきている。ロバートは急ぎロスと共にケインの遺体に近づき、スナイパーの鋭い弾丸と、新たに展開された敵の突撃小銃部隊の放つ弾丸の雨になんとか当たらず彼の遺体を自分たちの戦線内に引き込んできた。
「クソ、ケイン……!」
ロスは仲間の呆気ない死に地面を叩いた。ロバートは心の奥で同じように噛み締めていたが、これ以上犠牲は出すまいと通信機のスイッチを入れ、当初の作戦の失敗、それに伴うプランの変更を伝えている。その間にも事態は加速して、スナイパーのいるであろう方向から次々と敵兵士が現れ、リックとショーンが必至に応戦していた。
「大尉ッ、敵がどんどん増えてきます!」
電磁機械兵装である防弾のスクリーンフェンスを立てて応戦するリックが叫んだ。ロバート率いる小隊は軍から支給された最新装備で武装しており、敵は旧式の火薬小銃を主武装としている事を比較すれば兵士一人あたりの戦闘力は明らかにリックらに軍配が上がる。
とはいえ、まるで待っていたかのように展開される敵の大部隊に対しては最新の装備であっても圧力はかかってくる。既に戦線は押し込まれはじめ、防弾スクリーンにもヒビが入り始めている。それに戦場も小隊に不利だった。登っていたはずの山で待ち伏せを受け、それを今度はひたすら下ることになったのだ。相手は上、自分たちは下。位置取りも含めて最悪の状況だと言わざるを得ない。
「ロスはケインを担げ! F2地点まで後退するぞ!」
形勢不利だと直ちに判断したロバートは通信機に最終連絡をすると、それに感知式の爆弾を設置して退却する。敵の戦線が通信機に迫ったときに爆発させる算段だ。ケインの遺体を背負ったロスから順に撤退を始めた。
だが敵は容赦なく彼らを追撃する。どんなに防御に優れたアーマーを着用していようとも、銃弾の威力は旧時代と変わっているわけではないのだ。最初の数発がかする程度ではびくともしなかった小隊達も、次第に足取りを重くしていく。そしてついにロスの膝を凶弾が撃ち抜いてしまった。行動力が一気に削がれることになる。
「ショーン! お前はロスに手を貸してやれ! ケインは私が連れて行く!」
ロバートの指示で殿を務めることになったリックは防弾スクリーンを片手に持ち、シールドモードにして牽制射撃を続けている。
「大丈夫です、一人で歩けます!」
ロスは足を引きずりながら転がるように岩陰へもつれ込みながらもカバーと移動を繰り返しており、フォロー出来る者はお互いの支えとなって出来うる限り最大限の動きで離脱を試みてはいるのだが、敵は想定外の速度で十人二十人と増えていく。
「大尉、展開が早すぎます……! 待ち伏せされていたとしか思えない!」
肩と腰に銃弾を受け、迷彩服を血に染めながらも止血剤とアドレナリンで痛みをごまかしながらのリックは横にいるロバートにそう言うと、ロバートも苦い表情を浮かべて銃をリロードしている。
「わからん! とにかく俺たちは生きて帰るんだ! なぁロスそうだろ! 子供と恐竜博物館に行く約束は守ってやらんとな!」
「はいッ」
隊員を鼓舞しながら、再び制圧射撃と移動を繰り返す小隊達。だが岩影を二つ移動する頃には全員にもれなく二発以上の銃弾が体を掠めている。
「大尉ッ、これ以上ケインを連れて行くのは無理ですッ……」
ここまで一緒だったケイン。通信士としてはまだ新米で、優秀だったために引き抜かれたが戦場はまだ二回目だった。ここへ来る前に彼女と小さな事でケンカをして泣かせたまま召集を受けてしまい、帰ったら花を買って謝るんだと、それが死ぬ三秒前までリックと話していた内容で、美人な彼女を泣かすなよと部隊員に茶化された日に眉間を撃ち抜かれた。
遺体とはいえ一人残さず連れて帰るのは軍の信条ではあったが、満身創痍の体ではそれも難しい。ケインの体はロバートを守るように銃弾を受け、体がかなり損傷していた。
「ここに置いていきましょう大尉、こいつもきっとこれ以上は望まないはずだ……本部から応援を呼んでその時に回収すればいい!」
耳たぶが銃弾で吹き飛んだ状態のイイダがそう言った。
「すまないケイン、絶対に迎えに来るからな……!」
ロバートは彼の遺体を岩陰の奥に隠し、小銃を両手で握りなおす。
「さぁ移動だ! ショーンが先導しろ! 私とリックが援護する! ロスも連れてけ!」
敵から放たれる弾丸は継ぎ目なく、牽制射撃をすることでなんとか穴を開けさせるしかないのだが、相手は包囲を敷いてきているのだからそれも十分な機能を果たさない。ショーンはロスの肩を抱き、スカウタードローンによるロックオン機能によって銃の自動射撃機能が働き、照準を覗き込むこと無く腰だめに持った銃をゆっくり動かすことで的確な射撃をしながら移動していく。
だが敵もスカウタードローンに気づいたのだろう、やがて追尾式ロケット弾で破壊されてしまう。イイダ、ロス、ショーンは片目にサイバネティクスを導入しており、それによってスカウタードローンからの信号を受け取ることで敵の位置がハイライトされるように見えていたのだが、それも使えなくなってしまった。そしてついに次の犠牲者が出てしまう。
「ショーン!!」
敵の鋭い銃弾が乾いた音で空を切り裂き、ショーンの片腕を弾き飛ばした後で、ロバートは名前を叫んでいる。ショーンはその場で半回転しながら倒れ込むと、まだ走ることの出来たイイダが彼を保護しようとそばに駆け寄ろうとする。ロスとリック、ロバートが必至に援護するが、イイダが彼の元へ辿り着いた瞬間、無反動ロケット砲による攻撃が彼らを爆風で吹き飛ばした。着弾地点が外れたことで二人共かろうじて生きてはいるが、ショーンは無くなった片腕よりもロバートたちを確認すると叫んだ。
「行け! 行けえええええええええ!!!」
小銃を失い、腰につけていた拳銃を取り出しながら叫ぶショーン。一緒に取り出した残り一発の手榴弾のピンを口で抜き、それを座ったまま放ると次は拳銃で敵の大群に一人で発砲している。大量に分泌されたアドレナリンの効果で痛覚が鈍っているものの、彼はもう自力で立つことが出来そうにないと理解していた。
「大尉!」
この状況をどうするのか。ロスが苦渋に歪んだ表情でロバートを呼びかけて指示を仰ぐと、ほんの二秒から三秒の時間でロバートは指示を出した。
「くそっ……ロスから行け! 私はイイダを連れて来る、リックが援護につけ!」
這いずってきたイイダの元へ急ぐロバート。視界の先でショーンが叫びながらパカン、パカンと拳銃で射撃をしている。その弾薬が切れ、装填されたマガジンを落とし、自分の腰に銃を置き、片腕でマガジンを探ったその瞬間、彼の頭が大きく後ろに逸れながら倒れた。それから数度右に左にと胸部を撃たれた体が跳ね、ショーンも力尽きる。
実家では母親と暮らしているショーン。父親がろくでもない人間だったため、母親はショーンが九歳の頃から一人で育ててきた。そんな母親に恩返しをするために、高校卒業後に軍の訓練所へ入った。高校ではバスケの名選手でその道もあったが、どうせなら母親を守る力も身につけるんだと軍属となる。それがいつしか手の届く人間を守るんだという意志を宿し、自分を強化するためのサイバネティクスも積極的に取り入れていたが、その心は誰よりも優しい人物だった。そんなショーンの亡骸に対してまた数発、敵によって死亡を確かなものにするための銃弾が狙い撃ちにし、血しぶきと肉片を飛ばしながらピクピクと動いていた。
ロバートはすぐに視線をイイダに移し、彼を引っ張り起こす。だがそこでイイダと共に数発の銃弾を受けた。ロバートには掠めただけで直撃こそなかったが、イイダは口から血を吐いている。
「平気か!? もう少しだッ、しっかりしろ!」
イイダは朦朧とした目で頷くのみだが、まだ銃を握って視界で捕らえた影に向かって射撃している。リックのところまで帰ってくることの出来た二人は、次はロスの隠れた岩陰を目指す。傾斜が急で応戦しながら降るのは難しいだろう。だがそこで敵の射撃が激しくなり、リックは利き腕に弾を掠めてしまう。
この間にも敵の包囲は近づいてきている。無理矢理にでも降るべきだと判断したロバートが下にいるロスに声をかけた。
「ロス! 今からイイダをそっちにやる! 受け止めてやってくれ!
「早く来い!」
朦朧とするイイダに「今からここを下ってもらう」と告げ、イイダもうなずいた。最初の数歩こそしっかりと足取っていたが、片足がうまく使えないほどの傷を受けていたのだろう、イイダはその傾斜でつまずき、ロスのいる岩場の近くまで転げ落ちていく。途中、硬い岩に体をぶつけ、最終的に木に体を打ってやっと止まる。そこにロスが駆け寄り、彼をなんとか岩陰に隠した。
「リック、次はお前だ!」
「了解!」
ロバートがリックの脇から応戦し、息を合わせてリックが傾斜を降る。少し滑ったが無傷でロスのいる場所まで下れた。次にロバート。煙幕弾を放ってから彼も坂を降りて合流した。
「大尉、イイダが……」
降りた岩陰では血だらけになったイイダがぐったりしているのをロスが介抱しており、イイダの話を聞いてやってほしいとジェスチャーする。「どうした?」と膝をついたロバートに、イイダは呻きながら言った。
「大尉……自分はもう歩けません……ここに置いていってください……」
「馬鹿を言うな……まだ動けるさ、ほら、行くぞ」
イイダは差し伸べられた手を取らず、代わりに自分の小銃を手にした。
「歩けません……いいんです、足手まといになりたくない……少し隠れて奴らの背後を取ったら応戦します……行ってください」
議論している時間もなく、ロバートはイイダの血だらけの足と欠けた耳、喋ると口から垂れ落ちる血を見て頷くしかなかった。
「……すまんイイダ。必ず連れ戻してやるからな。行くぞロス、お前は右、リックは左に着け。あの煙を突破してきた奴らの視線を少しでも散らせ。それから降りてきたやつから撃ちまくれ、イイダの地点まで敵が来たら私のところに来い!」
三人は一気に散開し、それぞれ別の影に隠れた。煙幕の向こうから数十人の敵兵たちが姿を表し、適当に弾をばらまいた後で少し探すように木陰に注視し、何人かが傾斜を下り始めた。
そこでロスが先制射撃を行う。続いてロバートとリックも降りてきた敵の注意を引くと、うまく敵を誘導出来た。
進軍する敵の大軍。イイダは目をつぶり、無心で敵の足音を聞いていた。敵が自分の前方に展開し始めた時に目を開け、無防備な敵の背中を的確に撃ち抜いていった。後ろからの銃弾に倒れる敵達がどこから撃たれているか気がつくまでに、イイダは八人の敵を無力化した。だがそれに気づいた敵にマガジンいっぱいの弾丸を打ち込まれる。
イイダには妹がいて、最近その娘が事故で半身不随になっている。イイダはその子へのサイバネティクス導入に必要な費用を工面するために任務をこなしていた。姪はイイダに会いに来ると、いつも元気にまるで子犬のように走って抱きついて来るのが大好きだった。もう一度小さな姪が元気に走り回れるように、あの素敵な笑顔のためにと銃をとっていたイイダ。これで死亡保険が姪に降りてサイバネティクスは導入出来る。イイダの最期の瞬間は敵を倒すことだけを考えていたが、無意識に深層で姪がリハビリを終える姿を思ったか、だが同時にもうあの笑顔を見られないのかとも考えたか。絶命した彼の表情は恐怖や痛みに染まったものではなく、ただ穏やかな顔をしていた。
イイダの決死の行動で出来た敵の隙にリックとロスがロバートの後方にある岩場に向かい、敵の攻撃を受けること無く合流できた。
「無事か?!」
「はい! 大尉は!?」
「平気だ……F2までもうすぐだぞ」
そうして見上げた空の向こう、銃の発射音で遠くなっていた耳にヘリコプターの音が聞こえ始める。まだ脱出地点までは少しある場所だったし、敵の援軍ヘリかと恐怖を覚えた三人だったが、そのヘリコプターは自分たちの後方から現れた。
「おい、あれっ」
見ると自軍の紋章を誇らしげに掲げた重火器搭載のヘリが、傾斜の上にいた敵軍をミニガンで一掃射し始めた。
「はっ……ハッ! やったぜ!! 救援だ!」
紛れもなく自軍の救出ヘリである。事態を重く見たパイロットらが機転を利かせ、回収地点から先まで様子を見に来ていたのだ。そして先程ロバートの投げた煙幕を見つけ、熱源から大量の敵を視認し、それに向けてあらんばかりの銃弾とミサイルを撃ち始めたのだ。ヘリ側からは熱感知とサイバネティクスバイオグラフにより既に三人の位置を把握しており、そこに迫る敵を片っ端から掃射していた。
「HOOOOOO!! やっちまえええええ!!」
ロスは腕を掲げてヘリを応援した。リックも気を緩ませたように銃を下ろしている。だがロバートには懸念があった。
「スカウタードローンが落とされてるんだ……ここで戦っちゃまずい」
そしてその懸念は現実となる。二発のジャベリン2誘導ミサイル砲が打ち込まれたヘリは、最初はアクティブデコイで避けることが出来た。だが敵が最新式の学習型誘導弾を持っているという情報は誰も知らず、放たれたそれがテールローターに直撃してしまう。
「おい、そんな、嘘だろ……!?」
ヘリはテールローターが破壊された事でバランスを崩し、数回転した後にテールをパージ、尾翼を緊急推進機にして戦場を離脱していった。次の着地以降修理をしないと飛べなくなってしまうヘリコプターでは救出に来た意味がない。
「そんな、おい……置いてくな!」
彼らは置いてけぼりにされたのだ。掃射されたことで敵の数が減ったとはいえ、それでも満身創痍の三人の相手には、的確に数えられないが少なくても二十人以上の敵が残っている。
リックはその光景に口をパクパクさせながら頭を抱えていた。
「……移動だ。とにかくF2で待つんだ……ヘリが戻ってくるまで持ちこたえる」
ロバートはリックの肩をたたき、力の抜けたロスを引っ張り上げた。もう残弾も少なく、たった三人で持久戦をやるのは不可能に近い。無情にも敵は迫って来ている。
「くそっ、くそっ……!」
再び牽制射撃に入るリックとロバート、移動するロス。絶望的な状況に悪態を尽きながらも迅速に行動している点は流石プロと言えるだろうが、内心で半ばやけになっていたロスをあざ笑うかのように、一発の弾丸がロスを貫いた。防護スーツをも破り、弾丸は肺で止まった。
声を出せず、息も出来ず、地上に捨てられた魚みたいにバタバタともがきながらゆっくりと命の灯火を消していくロスにしばらく気づかなかったリックとロバートだが、リックがやっと後ろを向いたときに倒れて動かなくなっているロスを見つけた。
今回の任務は急遽決まったもので、ロスは今日この日に小さな息子と遊園地に行く予定を立てていた。それのキャンセルを告げた息子はお父さんなんか大嫌いと騒ぎ立ててロスは相当に困ったものだったが、息子には大好きな恐竜の博物館に連れて行くと約束して、そうして今日に臨んでいる。だから家にはロスと約束した日のカレンダーに子供の描く歪んだ丸が付けられて、少し時間が経つ度にその丸が近づいてきていないか何度も確認する息子が待っていた。可愛らしい丸印と息子の距離はもう縮まることはない。
「大尉、ロスまで……っ」
ロバートは最後の煙幕弾を投げる。小銃の弾もつき、それを投げ捨てて岩陰に座り込み、ロスの遺体を見据えながらリックに話しかけた。
「どうやら……ここまでだな」
当初の予定では簡単な任務のはずだった。この先にある拠点の一つをいくつかある狙撃ポイントから監視、標的がその拠点に姿を表わすのは確実で、あとは引き金一つで済む日帰りのミッションだった。それがどうだ、このざまは。だがどうしてこうなったのかわからない。ロバート達は何一つミスをしていなかったはずなのに。敵地で暗殺に失敗して戦闘になったとしても、敵を撤退させられるほどの兵器だって持って来ていたのに。
「大尉……」
悔やんでも仕方がない。もう隊は壊滅状態にあるし、誰も生きて帰れないだろうと思いながら、ロバートはおもむろに腰にぶら下げたサイドアームを持った。六発の装填されたシリンダーをオープンし、くるくる回してからまた戻す。現代のサイドアームとしてはやや頼りないリボルバータイプ。彼にとってはお守りの銃を大事に握りしめている。
「大尉……ありがとうございました。あなたの作ったポテトサラダは本当にひどい味だった。こんなときに、そんな事しか思い浮かびません」
「最後にそれか。こちらこそありがとう。みんな私の誇りだ……。家に帰してやれなくてすまなかった」
全ての部隊員に思いを馳せるロバート。
「自分には家族はいませんから。……でも大尉は……」
ロバートはポケットから一枚の写真を取り出した。
「セイがいればステラは大丈夫さ……」
恋しそうにロバートは写真を見た。そこには微笑む妻と娘……家族が写っている。
「……大尉。あそこを見てください」
話の途中、リックは唐突に声音を変えて別の方向を示し、ロバートが視線を移した先にはちょうど木陰になった場所から奥に空洞が見えた。
「大尉は家に帰るべきです。俺が家に帰します……」
「おい、何を考えて……」
「イチかバチかに賭けましょう、俺が最後の抵抗をします。大尉は機を見てあそこに隠れるんです。うまく隠れられれば奴らの目をやり過ごせるかも知れない……大尉、ロバート大尉。あなたの隊にいることが出来て、本当に光栄でした」
血だらけの腕で敬礼を行ったリックは防弾スクリーンを広げる。電磁的な作用は消失しており、謂わばかなり丈夫な布という状態である。
「リック」
「……いくぞ大尉!」
リックは壊れた防弾スクリーンを体に巻き付け、雄叫びをあげて拳銃でありったけの銃弾を撃ち込みながら、片手には手榴弾を持って敵陣に向かって走った。防弾スクリーンは銃弾の衝撃を確実にリックに伝えながらも数発の弾丸を弾き飛ばし、また数発の弾丸をリックの体内に入らないように食い止めていた。弾切れした後は手榴弾を敵に投げつけ、落ちている敵の銃で更に応戦する。鬼神の如き活躍だ。
一瞬だけちらりとロバートの方を確認するとうまく例の空洞に身を隠していたらしい。リックはゲイで、この時代じゃ男性同士のカップルなども特に珍しくもない。その上でリックはロバートに心から憧れていた。聡明で家族思いなロバートが好きだった。ロバートのために告白こそしなかったし、表に気持ちを出すこともなかったし、誰に相談したこともなかったが、彼のためならなんだって出来ると思っていた。
「こっちだ! 来やがれクソ主義者共!!!」
集中射撃されるリック。防弾スクリーンはついに破られ、パチュンパチュンと銃弾が自身の肉や血を弾き飛ばす音をリックは自分の内側から聴いていた。ロバートの指示で生きながらえてきた自分が、最期に恩返しが出来たことが誇らしい。走馬灯のようにロバートの家に招待されて食べた夕食の味も思い出す。奥さんの作った料理は自分のものよりもずっと美味しかった。でもその中に紛れていたポテトサラダだけじゃがいもの形が不均等だったり、胡椒がやたら強かったりして……ロバートが「この中に一つ、実は私が作ったものもあるんだが、わかるか?」なんて得意げに聞いてきた時のことはただ幸せを感じる記憶として残っている。
奥さんが茶化して、みんなで笑って、ロバートの幸せな様子を見て自分も嬉しかった。だからロバートは家に帰らなければならない。大事な家族のために。その手助けを自分が出来るならそれほどの愛情があるだろうかと、リックに後悔は無い。
やがて体の力が抜けて膝を付き、脳の機能の停止を待つまでの朦朧とした短い時で見たのは、敵の一人が自分の眉間に一発の弾丸を放つところ。だが視界の隅のあの空洞からロバートが身を隠しながらもリックを見ているのに気づいた。危ないですよと注意をしたいところだったが、ロバートの表情は悔しそうに歪んでいて、あぁ自分のために怒ってくれているのかと、少し嬉しくなって血の通わなくなった表情筋が微動して笑う。
そして弾丸が眉間に放たれ、崩れ落ちる間の生と死の境目にある刹那の時に、撃たれた自分を見て泣きそうな表情を浮かべて空洞に隠れるロバートの姿。
それがリックの見た最期の光景だった。