第33章 心は思い出で出来ている (時系列-26)
ジョンがオーディンと同期して一体どれほどの時が経っただろう。ほとんど全てルーデンの言った通り、システム深層にアクセスできるようになったことでご丁寧に保存されていた改造手術時の映像まで見ることが出来た。
それ以外にも”別のジョン”を作ろうとしていた実験の様子では様々な年代の男女が犠牲になっていたことも知る。
自分の秘密を知ったジョンはロバートと同じく犠牲にされた部隊の仲間、それとこれまでに犠牲になった人たちのための復讐を躊躇無く実行した。計画をたてるのに十年や二十年を費やしたような気もするが、計画実行までの時間はたった数日。
メガテックの資料を漁り、一週間ほどであの作戦に関わった軍幹部、メガテックカンザキの上級役員、ロバートを改造した研究者に彼を見捨てて金を受け取った妻のセイなど、実に十八人に復讐を遂げた。
特にウェイン・デッカー博士については残酷なまでの”処刑”が行われた。カンザキだけはまだ生かしてある。このメガテックにある「システム・オーディン」を制御したつもりでここの秘匿を続けさせるために必要な人材だからだ。
ジョンにはロバートだった頃の記憶はない。ただ自分だった者への手向けとして復讐を果たした。その目的を果たしたことで復讐の意思が無くなった時から、ジョンは時間の概念を完全に喪失した。相対的に時間を捉える対象が消えたためだ。
そしてジョンの意識は全能のマシン、オーディンに溶け始め、広大なネットワークの宇宙と一体化を始めていた。このまま自我も消えるのだろうか……ジョンはその考えには別段感慨を持たなかったが、自分が何者かわからないまま消えたいとは思わなかった。
自分がただのデータ片として何も感じずに無となるなどロバートとして生きてきた意義も消えてしまうようだと思ったからだ。せめて自分が存在したという個を認識できる程度の記録、生前のロバートの事を知ろうとネットからロバートの事を手繰り寄せていく。
システムの力でロバートが使っていたクラウドストレージにハッキングしてアクセスすると、そこにはセイやステラとの幸せな記録が眠っていた。
それを確認した時ジョンに組み込まれたロバートの脳核はまだ生きていてそれが微かな訴えを起こしているような感覚があった。あるいは思い出という情報の融合が始まったのか。ジョンはひたすらにロバートの記録を探り出した。
記憶と記録がジョンの中で一体となって、ロバートの声が宇宙に響く。―――セイは本当に、俺を裏切ったのか?―――ネットワーク上でセイを調べても家族に向けた愛情しか出てこない。
そうしてロバートが調べた先にあったのは単純な改ざん記録。軍部の役員がセイに渡すはずだった金の存在を隠匿し、全て自分の口座に入れていた。セイがサインしたのは唯一つ、ロバートを治療するために必要な措置をとるために負うリスクを承知する偽物の承諾書のみ。
セイは完全な被害者だったのだ。メガテックからすればそんな些細な横領など関知するところではなく、わざわざ自社のデータベースにある「セイに二百万クレジットが支払われた」という情報を修正する時間も割かれなかった。
―――俺を想ってくれた彼女と娘を、俺は殺したのか。―――
感慨、情動は既に消え失せている。後悔を感じたくとも感情という概念はもう過ぎ去ったもの。
だがそんなロバートの代わりに悲しみに泣く声が響いたような気がした。それはロバートのものではない。声は宇宙の果てから聞こえてくるようだ。「感情」に久しぶりに触れたロバートに時間の感覚が戻っていく。広い宇宙の中、自分のいる場所を認識出来るようになった気がした。
「君は誰だ?」
しくしくと泣いているのは球体か波か、人間にも見えるし数字かもしれない、電気の発生した残滓か火、そのどれでもないか。しかし混沌とした宇宙の中でロバートはそこに確かに「誰か」がいることを認識する。
「怯えないでいい。私は……ただ、話がしたいんだ、誰かと……」
泣いていた何かが自分を見据えたようだ、とロバートは考えた。そしてその何かが発する。
「チトセに、会いたい……」