第24章 アイデンティティ (時系列-13)
「起きてるのか、ジョン」
宵闇にて。月の光など届く地域はなくなった現代だが、闇が覆う場所はまだまだある。ジョンは高層ビルの間にある車一台分しかない路地の中にある広まったスペースで一人、闇に紛れるようにホバーバイクにもたれかかっている。
脳に直接送られる信号のノイズにはもう慣れたジョンが「あぁ」と返事をすると、通信相手は構わずに作戦概要を伝えてきた。
「再確認。対象だが、例のお偉いの博士だな。重要な情報を持って逃亡中とのことだ。そいつはネットに先回りしてゾーンごと自分の痕跡を消してる。ネットの交通網が区画ごと情報を更新しないように細工されているらしい。もう二分でお前のいる地区に情報のドミネーションが起こるはずだ。そうなれば対象は近い、そいつを制圧しろ。生死は問われていないが、なるべく生きて連れてこいとさ」
「了解」
「しかし、そいつカンザキ社で一番の技術者だったらしいぞ。なんで今さら歯向かうんだか。怖くでもなったのかね。しかも娘を置いて一人で逃げてるらしい」
「娘?」
「おっ?」
通信機の向こうの男はジョンにとって「作戦の進行をする人物」でしか無く特に印象を持っていなかったが、その男はジョンに対して文字通り「ロボットのような男」という印象を持っていた。
何にも興味を示さず、何にも動じず、ただ上から指示された情報を元に任務を遂行する機械……それが作戦進行の男からのジョンに対する印象だった。
これまでいくつもの工作を行ってきた二人だったが、そこに信頼関係など微塵も無い。だがジョンが「娘」という言葉に反応を示したことには興味を示さざるを得なかった。
「そうなんだ、娘。病弱な娘らしくてな、今は入院中だ。こっちの手のものが監視をしてるが結局現れないまま逃亡し始めたんだと。アタマが良いんだか悪いんだかわからんな」
「娘を守ろうとしたんだろ」
ジョンは初めて彼に意見したのかもしれない。男はジョンにこんな情緒溢れる会話が出来るのかと感動を覚えたかいつもより通信機を口元に近づけている。マイクが吐息を拾うのがジョンには耳障りで仕方がない。
「だがよ、本当に賢いならそもそも逆らうようなことはしないだろう?メガテックカンザキだぞ?俺らのネットワークじゃ、触れちゃいけない大企業ナンバーワンってとこだからな。何をしたんだか知らんが、利口なら初めから逆らわん」
俺ら、というのはジョンの知らないグループネットワークだ。つまりジョンと彼が同じグループに属しておらずあくまで仕事で組む仲であるという事だ。
「じきにドミネが来る。もう切るぞ」
「っち、なんだよ、会話を楽しーーー」
ジョンの中に言い知れない怒り……それが少しだけ収まるように娘というワードを反芻している。しかしジョンは作られた存在だ。
身体はほとんど人工皮膚と機械で構築され、一割は人間だと聞いてはいるが実感は無く。人間のような機械、機械のような人間、身体の比率、記憶、感情、あらゆる面で曖昧になった名無し(ジョン)が彼だ。彼に娘がいたことはないし、これから先で持つこともありえない。
彼の中にあるのは小さな怒りだけ。出処の知れない、時に爆ぜながら燃え続ける青い炎のような怒り。自分が何故そう感じるかはわからないが、人間を殺す任務を達成するたびにそれが晴れる事を期待している。
「来たな」
ジョンに端末はいらない。脳で全ての処理を行うため、リアルタイムで交通情報がドミネーション-支配-されたことを知った。対象はドクター・ルーデンという技術者。敵はツーブロック先の通りをジャックし、信号を巧みに操って一定のタイミングで道の開閉を操っている。
ジョンはバイクを発進させ、左腕部に仕込まれているライフルをオンライン状態にした。見た目は腕のままだが、超至近距離向けの短身バレルでなら構えからゼロコンマ三秒で射撃可能だ。集弾率と射程を上げる長身バレルだと初弾発射までに三秒ほどかかるが、ここでは必要無いだろう。
ホバーバイクを飛ばしてその通りへ来るも、そこに対象の姿は確認出来ない。ドミネーション情報は囮だったのだ。ジョンはバイクを飛ばして支配地区を見て回るが、どうしてもルーデンを見つけることが出来なかった。
ルーデンはリアルタイムで情報を書き換えている事はジョンにはわかったし、ドミネーションには監視カメラのオフライン化も含まれている以上、自分を守るためであることは確実なのだからその地区内にいるはずなのだ。なのに見つからない。そして対象は次の地区に移ってしまう。
だがそこで閃きを得た。ジョンが完全にアンドロイドであったなら『閃き』はあり得なかっただろう。ジョンはバイクを壁面に向かってフルスロットルで突っ込むとウィリー姿勢をとり、ホバー推進の挙動で空中に浮き上がると今度はバイクを蹴り捨てて高くジャンプした。それから建物の壁を蹴って屋上へ登ると、ついに対象を見つける。
ルーデンはドミネを囮にして建物の屋上をジャンプで渡っていたのだ。メガテック社のサイバネティクス事業の一つであったパワードアーマーのレッグ部分を使って、高いビルの上を軽々と飛んでいた。そしてもうじき列車のラインに近づいており、それに飛び乗ってこの地区から姿を消す算段だったのだろうがその前にジョンがルーデンを捉えた。
ジョンの着地は耐衝撃機能のあるパワードアーマーほど軽くない。全体重を受けた建物の屋上部分は大きな音を立てる。ルーデンはその音に気付き、なんとか逃げようと速度を上げた。その時ドミネにより下を通る車両のダイヤが乱れたのだろう、近辺で小さな交通事故が起きている。
一度ジョンに捉えられれば普通の人間に逃げられる訳がない。全身強化骨格サイバネティクスで固められたジョン。最新の戦車だって一対一なら彼には勝てないだろう。
ジョンは視認からたった三十秒ほどでルーデンの首根っこを捕まえた。ビルを六つも跨いでいたのに、たったそれだけの時間で追いついた。
「生きて捕えた。これからそちらに届けるぞ」
先の作戦進行の男に状況を伝えると褒め称えることもなく「わかった」と短く答えて通信を切る。
ジョンはルーデンの着けていたレッグアーマーを片手で握って駆動に重要な部分を破壊し、それを着けさせたまま担ぐ。使えないアーマーは良い枷代わりになる。歩いて屋上から低い建物へ移ろうと辺りを見回している時、ルーデンが一度ゴクリと生唾を飲み込み、こんな事を言い始めた。
「君を知っているぞ……ジョン、私は君を知っている……君も被害者だ……君もカンザキの被害者なんだよ、ジョン」
「何?」
ジョンは思わずルーデンを見た。担がれたままの無様な格好ではあるが、その目にはどこか強さがこもっている。
「君は、ある実験に選ばれた。メガテックカンザキの計画に組み込まれたサイボーグプロトタイプの一人目だ。君はもともと人間だったんだよ、しっかりとした、人間らしい人間だったんだ」
黙らせるべきかジョンは思案したが、彼に残る人間の脳が「興味」を覚えている。彼の中の怒りが出口を求めて動きたした。
「……続けろ」