第12章 人造神 (時系列-10)
「いよいよこれを世間に発表する時が来たのですね……私の二十年にも及ぶ研究の成果が、やっと」
ルーデン博士はメガテック・カンザキというサイバネティクスの超大手企業の高層二十階の廊下を歩きながら研究機関の出資者、マコト・カンザキ氏に自身の悲願の達成を語った。ガラス張りになった廊下の眼下には摩天楼。
巨大スクリーンが微かに見える地域もあれば、ギトギトしたネオンがここまで届いてくるほど光を放っているほどの地域もあるが、ルーデンには興奮からそのどれも目に入っていない。
ルーデン博士。彼は新しい知能システムの構築に二十年以上の時をかけて完成させた。全ての歴史、人間の行動を取り込み続ける聖杯となり、発表名「オモイカネシステム」として世間に公表されるのだ。
これは行動学や心理学のように人間を学問にした分野の一つ上を行くことが出来るシステムで、人類が歩むべき最善の道に標を示すものになる。どういうものかと言うと、サイバネティクスを導入した人は管理端末によって身体の情報を知ることが出来るのだが、その情報を集約、解析してその個人の状態を分析し、いつ頃には病気にかかりそうだとか、何かの犯罪に関わる兆候が見えるだとか、寿命ではいつ頃死ぬだろうという事を解析したり、病気になった場合には医者に見てもらうよりも的確に症状の分析と治療に最適な薬を提供することが可能になる。
他にも例えば自分で気づかないうちにストレスを溜めている人がいればその人に注意を送ったり、ストレス要因となっている事柄に対しての対処方法をオモイカネが導き出し、対象に教えるのだ。またオモイカネはサイバネティクスの情報を吸い上げることも出来る。
法律を変える必要はあるが、もしもサイバネティクスを導入した凶悪犯罪者出た場合、このシステムを使って追跡をすることも出来るだろう。これは紛れもなく人類史の特異点となる存在だ。これを国連、各政府機関、医療施設、介護センター、学校などに適した形で提供する。世界がより良くなることを考え、ルーデンは感無量でいる。
「それなんだがね、ルーデン博士」
鼻高々のカンザキ氏は恍惚さを含ませた表情で、少し濁り気のある声で言った。
「これは運用次第ではかなり危険な物だということで、我が社では審議されていてね。まぁそれは君が予てから言っていた事そのままなんだが」
「は、はぁ」
当然危険は孕んでいる。人間を監視するような存在にもなれるのだから、使い方次第で神にも悪魔にもなれるシステムなのだ。ルーデンは「まさか開発させておいて破棄されるのでは」と不安になったが、そうではなかった。
「それで、だ。しばらくテスト運用を行うことにした。君にはこれまで同様にこれの開発を手動してもらいたい。運用のための新部署のトップとして席をおいてもらうことになるかな。オモイカネの調整や、出来ることなんかのデータを取ってもらいたい」
「そ、そうですか……それはいいですが……でもカンザキさん、もうテストはこちらでほとんど済ませています。あとは発表して各機関に……」
「いやいや、テストは仮想テストにすぎないのだろう? 実際の社会での実績を試さねば、だよ」
大事をとって、念には念を入れたテストなのだろうとルーデンは飲み込もうとしている。確かに実社会運用ではテストと違う可能性は大いにある。
「えっと、つまり……このメガテックカンザキで一時的に運用する、ということですか……?」
「そうだね。オモイカネシステム設置用の特別室も、実はもう着工している上に作業も佳境でね。我が社の地下に置こうと思ってるんだ」
「は、はぁ……そうですか……しかし、テスト期間はどれくらいで……」
「それはまぁ、追々決めていこう」
四日後、ルーデンはメガテック社の地下に招かれた。野球やサッカーの競技場よりも更に巨大な地下空間にはコンピューターが多数設置され、それがまるで都市のジオラマでも建っているかのようになっていて、その中央には見上げるほど大きな電脳が置かれている。
コンピューター郡が都市なら、この電脳はまるでエイリアンの巨大宇宙船か超巨大隕石のようにも見える。
「オモイカネシステム……これほど巨大に作ったのですか……?あの、お言葉ですがカンザキさん、この空間も含めてこれはオーバーパワーです。これでは、その……」
既に可動を開始しているコンピューターと、光の鼓動が見える中央のメイン電脳の様子に慄くようにルーデンはそう言った。
「いや何、システムがどこまで出来るか試そうと思ったら、これくらいは必要かなと思ったんだ」
ルーデンは一抹の不安を抱えながら、メインの電脳の近くにある制御室に案内される。そこにはルーデンの知らない多数の技術者がいて、彼らはルーデンを見ると自然と拍手を始めた。カンザキも一緒になって拍手をすると、ルーデンは照れくさそうに拍手をやめてくれとジェスチャーをした。それからカンザキはルーデンにみんなを紹介する。技術者達は全員ルーデンを知っていたが、ルーデンは誰一人知らなかった。
「彼らは私の部下たちで、ここの監視や制御を任せることになってる。君は自由にしてもらっていい。あとで契約した金はしっかり払わせてもらうし、彼らに管理を任せるのも、自分でデータをとってもいいし、君はどこかで遊んでいたって構わない。ただ不具合が出たときは助けてもらいたいがね」
ルーデンはオモイカネの開発が実用段階になった時点でメガテックカンザキ社からは慎ましく生活すれば一生暮らしていけるような金額を貰うことが出来る契約を交わしている。
「いえ、もちろん手伝わせてもらいますよ。少し見てもいいですか?」
カンザキと、そのすぐ近くの研究者にも言って了承を取り、管理PCを空けてもらうと、表示されたシステムの名前に違和感を持った。
「システム・オーディン……?」
それは間違いなく中央モニターで見ることが出来る巨大なシステム電脳の名前だ。そこに記された名称は人々に助言をする知恵の神の名ではなく、別の世界の戦神の名が与えられていた。
「あぁはは、勘違いしないでくれよルーデン博士。知恵の神オモイカネというのも良いのだが、世界的にはオーディンのほうが”全知全能”というイメージがあるだろう?私の好みで変えさせえてもらったんだ。別に構わないだろう?名前くらい」
「あ……まぁ……」
胸を張って笑うカンザキに対して、ルーデンは愛想笑いを返すだけで反論できなかった。神、オーディンは全知全能の神でもあるが同時に別の側面がある。それがルーデンの意図したものから外れていってしまうような気がして、ルーデンは更に不安を募らせていった。
それから三週間が経った頃、ルーデンはカンザキより与えられたメガテック地下の専用部屋にてオーディンに集約されたデータの解析を行っていた。オーディンがどれほどのデータを学習し、それを正しく使えているかということの確認だ。
オーディンは本来それすら自分で行えてしまうのだが、自分の子供のように育ててきたルーデンにとっては親心として確認に毎回胸を躍らせていた。
特別に与えられていたルーデン専用の制御室でデータを確認していたのだが、そこでふと解析に出していたあるデータの事を思い出したのでそれを検索すると、あるはずだった情報が入っていないことに気がついた。
それは娘のデータだ。娘のチトセはある病気にかかっており、身体の一部にサイバネティクスを適応している。サイバネティクスと同期できるオーディンにチトセの病気を細かく解析させていたのだが、妙なことにルーデンの制御アカウントからそのデータにアクセス出来なかった。テスト対応している役員の親類や友人らを含めたシステム・オーディンのテスター達約千人のデータはしっかりと届いていて確認出来るのだが。
不思議に思ったルーデンはメイン制御室を訪ねた。もうそこの職員達とは顔見知りになっているのだが、制御PCを見せてほしいとルーデンが言うと職員は渋ってしまう。
「娘のデータを同期させていたはずなんだが、私の端末からアクセス出来ないんだよ」
「それでしたら僕らが見つけてそちらに転送しますし、博士がわざわざこっちに出向いてくることないですよ、電話一本よこしていただければ」
そんな事をせずともここで見せてくれれば済む話なのだ。壁を作るような職員の間を縫いながら進んで行くルーデン。
「いや、そんな手間は必要ないよ、すぐ終わるから、端末を……あぁ、あそこが空いてるな。少し借りるよ」
その話を聞いていた近くの職員らは表情を強張らせて顔を見合わせている。
管理PCのインターフェイスはルーデンの専用部屋にあるものと変わらないのですぐに対象の検索に入ることが出来た。ルーデンは自身の右腕に適応しているサイバネティクスから娘のサイバネティクスIDを検索させる。その時、ピクリと腕が止まった。ルーデンの目は画面表示のある部分に異常を見つけてしまったのだ。
「……」
その異常について、その場で取り乱すような事はしなかった。バッチリ検索された娘の解析情報を自身のサイバネティクスに保存すると「あったよ、ありがとう」とにこやかにその部屋を出ていく。後ろでそれを見ていた職員が小声で「気づいたと思うか?」「いや、あの様子なら多分大丈夫だ……」と、ルーデンに聞こえないように話した。
ルーデンは足早に戻った専用部屋でもう一度自分の端末から同じページを開く。検索ページの検索対象は千四十七人と表記されている。これは先程も記した通り、メガテックカンザキの職員や周辺人物からシステム・オーディンのテスターとして承認された人物の数。つまり双方の同意があったということだ。
だが先程のメイン制御室で見た数字は全く違う。その数実に八十億余り。これはリアルタイムに生活の中で何かしらのサイバネティクスを適応している人口に、恐らく一致する数値だった。
思えばチトセのデータはルーデンがこっそりと個人的に登録していた。登録に職員らの手を煩わせる事は無いと思ったし、同意を得たテスターと同じように解析されたデータは自動的に送信されてくると思っていたから今まで放置していた。だがこれでは送られてくるわけがない。
これは一体どういう事か。ルーデンは急いで退社して家に戻る車の中で情報を整理する。オーディンは情報を扱う聖杯だ。そしてあらゆるサイバネティクスから情報を集めることが出来る。しかもそれは人体情報にとどまらない。
現在では人間とのコミュニケーションを取れたり、ペット型だったり、特別な役割を与えられたアンドロイドもいるし、PCなども当たり前のように情報を同期出来るのだ。通信履歴、家族から企業間の会話に文字のやり取りまでインターセプトすることが可能だろう。
許可を得たサイバネティクスからの情報をすくい上げ、それを正しく処理してより良いことに繋げられるのがもともとの「オモイカネ」だった。だがこれを勝手に情報を汲み取れるように調整した「オーディン」を、もしも一社が秘匿に独占したらどういうことになる?ルーデンの踏むアクセルの深みが増していく。
このシステムは悪い言い方をすればサイバネティクス適応者を覗き見ることが出来るのだ。そしてその人間の情報を奪う事ができる。政府要人の情報を覗き見れば世界を自由に操ることも出来るだろう。どこかの企業から情報を奪えば莫大な資金を得ることも出来るだろう。
情報のやり取りもサイバネティクスの範疇だ。携帯電話なども今はメガネに導入したり手袋からホログラムで開くような端末もあるが、直接手に埋め込んでいつでも開けるようにしている人だって多い。義手や義足もまたサイバネティクスであり、システムは望めばこれの制御に介入すら出来るだろう。メガネを突然視界不良にハックしたら? 歩く義足を強制的に崖下に向かわせたら? 重鎮の警護官の義手をハックして引き金を引かせたら? 情報は簡単に操られてしまう。だからこそ適した形での公開が必要だった。
あの必要以上に巨大な空間はそれを達成するのに必要なだけのコンピューターを詰め込んだのだろう。
考えは情報の操作では止まらない。行き過ぎた監視の先には人の未来をも決定づけてしまうようなことだってありえる。
メガテックカンザキは今、秘密裏に全世界の情報を集約し解析している。それの公開が絞られたらどうなるかなど簡単に見当がつく。
本物の世界征服だ。