第10章 優しい時間 (時系列-3)
「起きて、あなた。ロバート」
優しい日差しと嫋やかな声に揺すられて、ロバートは微睡みの中に女神を見つけた。
「あぁ、起きるよ……おはようハニー。もう朝か。あ、しまった。ごめん、寝すぎた」
身を起こして自分のベッドを這い出たロバートは、近くにおいてある着替えを取ってアクビをしながらそれを纏い、妻であるセイに声を掛ける。
「ステラは? もう起きてるのか?」
「当然よ。あなたが起きるのを楽しみにしてる。でもパパは疲れてるからギリギリまで寝かせてあげるって」
この夫婦二人の小さな星、ステラはまだ六歳の女の子である。そんな子供の気遣いに二人は柔らかく笑い、ロバートは早めに着替えを済ませるとリビングに出ていった。
「パパ!」
「おはよう俺の小さなお星さま! 準備は出来てるか?」
ロバートは駆け寄ってきたステラを抱き上げてくるりと一周回りながら大事に抱えてそう尋ねる。
「昨日の夜から出来てるよ! パパ、早くご飯食べて!」
父親を気遣って寝かせていた事は事実だが、それでもステラは今日のイベントが楽しみである気持ちを抑え切れないようだ。ステラはロバートの袖口を掴み、早く早くと朝食の支度が出来ている机に座らせ、自分でせっせと冷蔵庫から牛乳を出して来ては危なっかしくコップに注いでいる。ロバートはニコニコと娘を見ながら、リビングに戻ってきたセイと微笑み合いながら朝食を口にした。
そうして食事を終えると、三人は車に乗って年に一度の一大イベント「ウォルトスタジオ家族旅行」を開始する。アニメで大人気のキャラクターたちが一堂に会するテーマパークで、家族で一度は来たいスポットであるそこへは毎年決まった日に来ることにしていた。
ロバートは娘ステラが健やかに育っていることを確認するように、セイは軍人であるロバートが次の時も元気な姿で娘を肩車出来るように、ステラは家にいないことが多い父親との絆を再確認するような気持ちでその日を目一杯楽しむのだ。もう六年間、決まった日に絶対行う家族行事。
小型のビデオカメラドローンは家族全員を満遍なく記録に残す。ステラの生まれたときからホロ撮影で撮り続けられて、保存端末にはたくさんの想い出が詰まっている。
キャラクターになりきれる帽子を被って、美味しそうなシャーベットをペロペロとなめているステラの横からロバートがシャーベットにかぶりつき一口で半分以上食べてしまい、怒るステラ。
かわいそうにねとセイは「パパは置いていっちゃいましょう」なんて言って新しいおやつを買いに二人で屋台へ行ってしまい、ぽつんと置いていかれたロバートは小走りで追いかけるという光景は軍人とは思えないほど可愛らしい父親になっていた。
それから日暮れになって、美しいイルミネーションと楽しい音楽でストリートを席巻するパレードの音が近づいてくれば、アイス一つに怒っていたことなど遠い昔のこと。ステラはセイとロバートの真ん中で二人の手をギュッと握り、イルミネーションに負けないくらいキレイな瞳で眼の前の夢のような光景に釘付けになっていた。
セイはロバートを一瞥すると、それに気がついたロバートもセイにニコリとして、無言で彼女の頬にキスをした。セイは幸せそうに目を潤ませている。この時間がずっと続くか、そうでなくても来年もここでこうして家族の時間を過ごせるように祈って。
それからロバートは膝をつくと、小さなステラの頬にもキスをした。それから抱き寄せながら、三人は時間の限りパレードと一日の余韻を大いに楽しんだ。
帰りの車では走り初めてから三分で眠ってしまったステラを後部座席でゆったりと寝かせ、セイとロバートは運転席と助手席で最近の事を振り返ったり、雑談をしながら車を転がしている。
「ふふ、ステラはよく眠ってる。この子が家族でなんて行きたくなーいなんていう年も、いずれ来るのかしらね」
「はは、それはそれで、大きくなったんだって実感するんだろうな……いやいや、でもまだしばらくは……せめて十六まで……いや、十八まではこうして一緒に過ごしたいなぁ」
「そうね……」
セイは未来への明るい表情まま口ごもる。もしも「来年もあなたが無事で」と言ってしまえば、それが不安に変わってしまう様な気がして何も言えなかった。
「もしもウォルトスタジオが嫌になったら家で食事でもいいし、来年も再来年も、とにかく家族みんなで過ごそう」
ロバートは反対に、声に出すことで自らの未来を明るく据える。いつ死ぬかわからない軍人が未来を語ることに矛盾を感じるか?戦場に立つ事をしなければ死ぬことだって無いだろうと思うだろうか。
セイはいつか、ロバートにそう尋ねたことがある。「なぜ戦うのか」と、娘のいる身で他人や国に命を委ねることについて尋ねた。
それにロバートは答えなかった。答えられなかったのではなく、あえて答えなかったのだ。何を言っても戦場に立った者とそうでない者に理解できることは違う。仲間のために戦うという言葉の奥にある意味を、彼はただキスに込めて彼女に返した。
そして次の日……セイは朝食を準備し終わり、再び眠っているロバートの元へ行くと、既に起床していた彼は窓の外を滝のように降る雨を見ながら電話を取っていた。その声が堅苦しく「はい、はい」と返答している様子から、セイは表情を曇らせながら電話の終わりを待つ。電話を終えたロバートがゆっくりと電話を置くと、ドアの前で待っていたセイに気がついて微笑む。その微笑みにセイの心臓がチクりと痛む。
「仕事?」
セイは返事をわかっていながら、小さく違うことを祈るようにそう尋ねると、ロバートは真面目で優しい表情で返す。
「あぁ。作戦展開の指揮をすることになって、少し遠くへ出ることになったよ」
そう……とセイは俯いて、作戦について深く追求せずにロバートの出発までの時間を過ごす三人。
そうして出発の日。セイは不安を表に出さないようには努めていたが、戦地へ出ていく夫への心配は尽きなくて笑顔もぎこちない。ロバートはその機微を見逃さず、優しく声を掛ける。
「大丈夫、心配するな。詳しくは言えないけどそう難しいミッションじゃないしな。愛してるよ。ほらステラも、キスして」
ステラは屈んだ父の頬にかわいいキスをして「パパお仕事頑張ってね」と言った。それからセイも。
「待ってるからね。この子と。気をつけて」
「あぁ。いってくる。元気で待っててな」
ロバートはステラとセイにたっぷりの愛情を置いて家を出た。ステラにはまだ彼が仕事に出ることの意味がはっきりわかっていないが、セイがその後いつも以上に優しくなってスキンシップが増える事は感じ取っていて、父を見送ることに小さな不安を覚え始めている。
そしてロバートは戦地へ向かう。あの戦地へと。彼が再び家族旅行をすることは無かった。




