21.傑作の行方
――耳をつんざくような轟音が、反響音が鳴り止む。
頭上からはパラパラと破片が落ちてきてはいたけれど、どうやら崩れるほどではないらしい。
思いの外頑丈な作りをしていたこの空間に少しだけ感謝しつつ、俺は小さく息を吐き出した。
「……ああ、たのしかったぁ」
口から溢れ出したのは、取り繕う事さえ忘れた素直な言葉。
初めて身体に歪められる事もなく――歪められて尚、思った通りの言葉を口にしながら、ぺたん、とその場に座り込んで。
「――何故、じゃ」
「あん?」
そうして、砕けた地べたに転がっているアルカンの言葉に、視線を向けた。
アルカンはどこか呆然としたような表情を浮かべながら、信じられないと言った様子で俺の事を見つめていて。
そんなアルカンの視線に、俺は腕に巻き付いていた触手を解けば、軽く頬を掻く。
「何で、って。そりゃあまあ、なぁ」
「儂は、死に場所をここに決めておったのに……何故このような、事をする」
その言葉に宿っているのは、怒りと哀しみ。
ああ、その気持ちはなんとなくだが判らなくもない。
俺だって、あの少年との戦いに水を差された時は激怒して、同時に酷く悲しくもなったから。
――ただ、あの時の俺とアルカンとは、大きく違う事がある。
「殺す理由もないしな。何より、勿体ないだろ」
「……勿体ない?」
そう、俺にはアルカンを殺す理由なんて何一つ無いのだ。
楽しい時間を過ごさせてくれて、しかも新しい境地まで見せてくれたこの男をどうして殺す必要があるのか。
無論、どうしてもそれを求めるというのならば吝かではないが、正直言ってそんな勿体ないことはしたくなかった。
「だって、楽しかったから。俺はまた、お前と戦いたいよ」
「――……」
俺の言葉に、アルカンは目を見開いたまま、硬直する。
信じられない、と言った表情を浮かべつつも、その瞳からは怒りも、哀しみも消えていって。
「……儂はもう、老い先短いぞ」
「でも、今すぐ死ぬ訳じゃあないだろ」
「次会うまでには、死んでおるかもしれん」
「そん時はそん時だ、残念だとは思うがな」
「……運良く出会えても、衰えきっておるかもしれんぞ」
「そんなタマかよ、爺」
こんな枯れ木のような身体になって尚、技だけを――魔刀との絆もあるのだろうが――もってして、俺をここまで追い詰めた相手だ。
例え寿命で死ぬ寸前であったとしても、その強さは陰ることはないだろうと、なんとなくだけれど確信していた。
軽く言葉をやり取りすれば、とうとう根負けしたのか。
アルカンは、カカ、と軽く喉を鳴らしながら身体を起こす。
「……次は負けんぞ、お嬢ちゃん」
「ああ、またやろうや」
『今回は、運が良かった、だけ。もう、絶対負けない。オババには、負けない』
『ふん、次も返り討ち――待て、今なんと言った小娘!?』
コツン、と小さな拳と、枯れ木のような拳を軽くぶつけ合い。
喧嘩し始めた互いの武器に可笑しくなって、笑い出す。
――ああ、きっと次会う時にはアルカンはもっと、もっと強くなっているだろう。
そんなコイツとやり合うのが、楽しみで楽しみで、仕方ない。
「――アルカン師!」
「おじいちゃん……っ!!」
「おお、負けた、負けたわ。儂もまだまだだったようじゃ――最期を求めるには、早すぎたのう」
駆け寄ってきたオルカ達に、アルカンは軽く笑ってそう返しつつ。
アルカンが死に場所を求めていた事を知っていたからか――そして、それを止めたのが解ったからか。
オルカもメネスも、ボロボロと涙を零しながら、嬉しそうにアルカンに抱きついた。
「エルトリス、大丈夫か?」
「ん、ああ、まあな」
「……酷い怪我です。手当しますので、少しじっとしていて下さい」
足を引きずり、マロウトを杖代わりに来たアミラと、全身を傷だらけにしつつもいつもどおりなリリエルに、軽く言葉を返す。
……全く。
殆ど無傷に近いあちらと、どう見ても満身創痍なこちら。
これじゃあどっちが勝者で、どっちが敗者なのか、解ったもんじゃあない。
リリエルから手当を受けつつ、そんな事を考えながら――ふと、この場所に安置されていた魔刀の事を思い出した。
「――ああ。ワタツミはお嬢ちゃん達に任せるぞい」
「ワタツミ?」
俺の視線に気がついたのか、アルカンはうむ、と頷いて。
それと同時に、腰に下げていた魔刀が――桜色の髪をした、幼気な少女に姿を変える。
『……ワタツミは、私の双子の、姉。性格最悪で、冷血で、酷いヤツ』
「これ、サクラ。そんな事を言うものではないぞ」
「……あ、アルカン師……思ったよりも、お元気そうで……っ」
ムスッとした顔でそんな事を口にするサクラを窘めつつも、アルカンはその指先でオルカのお尻を軽く撫でており。
先程まで死合を演じていたからか、死ぬつもりだったからか、それがなくなったからか。
オルカもそんなアルカンのセクハラに、ぷるぷると拳を振り上げつつも、寸前の所で耐えていた。耐えなくて良いと思う。
さて、まあとりあえず。
任せる、と言われたのだからありがたく頂戴するとしよう。
「……ん、じゃあリリエル」
「え」
「俺はルシエラさえ有れば十二分なのが、よく判ったからな。お前にやるよ」
『ふふ、当然じゃな。私とエルトリスは最早褥を共にしたも同然……他の虫が入る余地など有るものか』
……なんか凄いことを口走ったルシエラは置いておくとして。
実際、今回のことでよく理解できた。
俺は、まだまだルシエラの事をしっかりと扱えていない。
人魔合一という境地が有ることをアルカンに教わりはしたが、これもまだ覚えたばかりで何が出来るかもよく判っていないのに、新しい武器なんて手にした所で手持ち無沙汰になるだけだろう。
それなら、今手元に明確な武器が無いリリエルに持たせた方が良いに決まってる。
「……では、お言葉に甘えて」
リリエルは少し驚いていた様子だったが、直ぐにそう口にすれば、軽く頭を下げて。
俺の手当を済ませれば、そのまま魔刀――ワタツミの方へと歩き出した。
「ふむ……お嬢ちゃんではなく、メイドの方か。大丈夫かのう」
「ん?」
『姉は、凄く性格が、悪い。並の人間じゃ、氷にされてお終い』
「お嬢ちゃんならまあ、無理なく御する事が出来ると思ってたんじゃが……」
少し心配するようなアルカンと魔刀の言葉にふむ、と小さく声を漏らす。
……そう言われてしまうと少しだけ心配にもなるが、まあ大丈夫だろう。
「何、多分問題ないさ」
「お嬢ちゃんは随分と、あのメイドを買っておるんじゃな」
「そりゃあな。随分高い金払ったのもあるし――」
――何より、リリエルの精神性は俺が今まで出会った中じゃあ一番面白い。
それを口にするよりも早く、リリエルの手が魔刀に触れる。
さて、どうなるかは判らないが……もし駄目だったなら、その時は骨くらいは拾ってやるとしよう。
そんな事を考えつつ、俺は人の形をとったルシエラの膝の上に座ると、心地よさに軽く微睡んだ。