20.新たな力、新たな姿
――死合の最中に、刹那の静寂が訪れる。
アルカンは眼前に居た瀕死のはずの少女を――エルトリスに視線を向けながら、生まれてはじめて戦いの最中に思考を停止した。
それほどまでに、目の前のエルトリスの身に起きた出来事は、変化は、アルカンにとって衝撃だったのだ。
だが、それもほんの刹那の事。
エルトリスの傷が癒えた訳でもなければ、依然アルカンが有利である事に代わりはなく。
「カァッ――!!」
裂帛の気合とともに放たれた見えない剣戟、そして舞い散る花吹雪がエルトリスへと殺到していく。
瞬きの間さえなく、幾重にも重なった剣戟がエルトリスの身体へと叩き込まれ――
『させぬわ、戯けが』
――その寸前で、その尽くがエルトリスの周囲から現れた影に遮られ、撃ち落とされた。
見えない剣戟も、花びらによる剛撃さえも。
エルトリスの周囲を舞うように飛ぶ、幾重にも牙が連なった無数の円盤の前に沈黙する。
『――っ、嘘、そんな』
「カカ……っ、カカカ、まさかのう」
その、舞う円盤の中央に立つエルトリスの姿を見ながら、驚愕するサクラとは対象的に、アルカンは笑った。
そこに立っていたのは、腹部を切られ満身創痍寸前のエルトリス。
ただ、その格好だけが、服装だけが先程までとは様変わりしていた。
幼い両腕には、チェーン状の触手がグルグルと巻き付いて、篭手のように。
その腹部の傷にも、触手は絡みついており――身につけていた服は、黒く、赤く。
ドス黒い血の色でも象徴するかのような、紅色に変わっていて――……
「……うん」
……触手に巻き付かれ、篭手状になった両手を軽く動かしながら、エルトリスは小さく頷き。
そして、攻撃を弾かれたまま間合いを保っているアルカンへと視線を向ければ、跳躍した。
「な」
「動きやすいね。ありがと、ルシエラ」
ただ一度の跳躍で、地面を踏み割りながらアルカンへの間合いを0にしたその動きは、先程までとは比較にならない程疾い。
技術など、技巧など何一つない、ただの跳躍一つをもって間合いを詰めたエルトリスは、そのまま拳を振るい――
「くっ、お……おおぉォォッ!!」
――その一撃を、見えない剣戟を幾重にも重ねて微かに反らせば、そのままアルカンは跳んだ。
反れた拳が地面を叩けば、轟音とともに広間が揺れる。
残っていた氷像は砕け散り、粉となって舞い。自分の拳が地面を文字通り砕き割ったのを見れば、エルトリスはくす、と笑みを零した。
「うん、凄くしっくり来る」
『じゃろうな、エルトリスにはこの方がよく似合うからの』
長年慣れ親しんだ筈の、魔剣の形態を捨てた徒手空拳の如き戦い方。
先程よりもさらに技を捨てた、獣の如きその戦い方こそ自分だというかのように、エルトリスは何かから開放されたかのように、晴れやかな表情を浮かべる。
「カカ……こうでなくてはのう」
『……っ、こんなの、こんなの認めない!私とアルカンは、無敵、最強、絶対に、負けないんだから――!!!』
そして、アルカンもまた、今までの人生において最大最強の手負いの獣を前にして、臆する事無く笑った。
これこそが、求めていたもの。
全力を出して尚届かぬ頂きに、技を以て手をかける事こそが、アルカンの本懐であり人生そのもので――……
「……いくよ、アルカン」
「来い、我が大願」
……互いに笑顔で示し合わせれば、瞬きの間に二人の間に火花が散った。
刹那で間合いを詰めようとするエルトリスを、見えない剣戟を以て押し留めつつ、アルカンは花びらを舞い散らす。
花びらによる剛撃を、ルシエラはエルトリスの周囲を舞いながら弾き、喰らい、防いでいく。
僅かでも綻びが出たのならば、見えない剣戟が、花びらの剛撃が――大地を砕く剛拳が、全てを喰らう円盤が、瞬時に相手を屠る。
そんな一撃必死の攻防を続けながらも、エルトリスもアルカンも終始狂喜に満ちた表情を崩さなかった。
「これよ、これこそよなぁ!!」
「ええ、ふふっ、こうでなくちゃあね――!!」
一瞬のミスで即座に命が失われるであろうそれを、二人は遊戯のように愉しむ。
それは奇しくも、エルトリスが今の身体に成り果てる前――押し込まれる直前に戦っていた、少年とのそれと同じだった。
互いに手を尽くしあい、命を削り、そこから生み出されたものをまたぶつけ合う。
成長を奪われたエルトリスも、既に理外まで踏み込んでいるアルカンも、互いに死合の中でその動きは研鑽され、高まりあって。
エルトリスは、この肉体になって以来最高の悦びをその身に感じていた。
アルカンは、長きに渡る人生において至上の歓びを覚えていた。
轟音を、金属音を鳴り響かせながら続く攻防は、最早人間の域を遥かに越えている。
それを見ているアミラも、リリエルも――意識を取り戻したオルカも、拘束されたままのメネスもただただ言葉を失い、見惚れるばかりで。
――その均衡が、崩れる。
舞い散る花びらが一箇所に集い、円盤の護りを食い破らんと殺到する。
激しい音を鳴り響かせながら、円盤は花びらの剛撃を喰らい、防ぎ、弾いていたが――一瞬の後、ついに弾かれて。
その一瞬を突き、今度はアルカンがその護りの内側へと、エルトリスの間合いへと踏み込んだ。
「――シィアアアァァァッ!!!」
大気を震わせる程の気合を発しながら、アルカンは見えない剣戟をエルトリスに放っていく。
既に間合いが近すぎる事もあって、円盤の護りは届かない。
アルカンもまた、先程花びらの全てを護りを破る事に使ったせいで、残っているのは己が技のみ。
「あ、は――きゃはっ、あははははは――ッ!!!」
思い切りの良いアルカンの突貫に、エルトリスは狂喜に満ちた声をあげながら、その見えない剣戟を両腕に纏った篭手で弾き飛ばしていく。
チェーン状の篭手もまた、円盤と同様かソレ以上の強度があるのだろう。
見えない剣戟を勘と経験のみで幾度も防ぐ、至近距離での攻防が続いたのは、10秒か、或いは1秒にも満たない刹那か。
先に届いたのは、アルカンの見えない剣戟だった。
再びエルトリスの――今度は肩口から袈裟に斬るように放たれた斬撃は、確かにエルトリスの身体を斬り裂きながら、しかし火花を散らす。
「ぬぅッ!?」
『二度は、させぬ――!!』
それは、赤黒いドレスの内側に仕込まれたチェーン状の触手だった。
それに弾かれる形になった見えない剣戟は、エルトリスの肌を薄く斬った程度のダメージしか与える事ができず。
「――ぬかったわ」
そして――その一撃を弾くと同時に、既にエルトリスは拳を振りかざしていた。
既にエルトリスは拳を振り下ろし始めており、先程のように拳を反らす余裕もなければ、射程から逃れる方法も既に無い。
退路は円盤に塞がれ、サクラから生み出される花吹雪でさえも最早防御は間に合わない。
それを理解したアルカンに去来したのは恐怖では無く、後悔でもなかった。
胸一杯の満足感を抱きつつ。
アルカンは、目の前に或る敗北を、受け入れて。
――洞窟に、死合の終わりを告げる地響きが鳴り響いた。