18.白刃と魔氷
――アミラとオルカの決着が着いた一方で、二人の戦いは未だ終わりを見せる事無く続いていた。
薄暗がりに煌めく白刃を寸前で躱しつつ――否、時に躱しきれずにその身に受けつつ、リリエルは思考を巡らせていく。
「氷結晶の槍!!」
地面から氷の槍を突き出す詠唱から放たれたのは、鋭い氷の礫。
口で詠唱した物とは違う魔法を放つ。
その、嘗てエルトリスに教えてもらった――とは言っても、そういう技法もあると口で言われただけだが――リリエルは、辛うじてだがそれを体得していた。
「本当に器用だよね、リリエルさん。そういう事できる人、初めて見たよ」
でも、とメネスは口にしながら飛来してくる氷の刃を切り払う。
「まだ、十全には使えてないんだね。残念、そうでなければもっと強かったのに……!」
「――……っ」
そして、そのまま間合いを詰めれば再びメネスはその曲刀を舞うように煌めかせていった。
リリエルの戦闘経験は然程豊富という訳ではないが、エルトリスやアミラと言った強者の戦いを間近で見てきたのもあって、その煌めきから辛うじて致命傷だけは避けていたが……だからといって、状況が変わるわけでもない。
メネスの言葉に、リリエルは軽く唇を噛む。
十全に使えていない。その指摘は、リリエル自身が一番良く理解していた。
――元より、魔法の詠唱が決まっているのは……そう教えられるのは、それが一番効率が良いからである。
長きに渡る魔法を扱ってきた者たちが、もっとも効率良く戦果を、効果を上げる事ができるように作られた形態こそが、それなのだ。
口にする言葉で、より明確にイメージをしやすく。
発動する魔法は、消費する魔力を最大限に活かせるものに。
そうやって考えられてきた成果こそが、今ある魔法なのである。
それを歪め、口にする言葉とは別個の魔法を扱うという行為はそれだけでもかなりの離れ業で――リリエルがそれを体得したのは、彼女自身の執念に他ならない。
だが、それでも尚、まだリリエルはこの技術を十全には使いこなせずにいた。
詠唱と別個の魔法を発動するイメージを固めるのに時間はかかるし、通常の魔法のように三重奏で扱う事も出来ない。
「本当に、惜しいなあ――もう少し楽しみたかったよ、リリエルさんとは」
本当に残念そうに、メネスは呟く。
メネスは、リリエルがこの先もっと強くなるであろう事を何となくだが理解していた。
その技術を十全に使いこなしたのであれば、きっと今の自分とも対等以上に渡り合えるのだと、確信していた。
だからこそ、メネスは残念でならなかった。
彼女はオルカのように魔性の武器を手にしている訳ではないが、アルカンの弟子の中ではもっとも飲み込みが早く、精神性も師に近く。
――彼女は、自らが危ぶまれる程の死地を、危険こそを望んでいた。
「終わらせちゃうね」
「……っ、まだ――」
辛うじて距離を取ることに成功したリリエルに、再びメネスは剣舞を放つ。
煌めく白刃は目で追う事さえ難しく、メネスの気まぐれな性格を象徴するかのように不規則で、揺らめいて。
リリエルはそれに抵抗しようと、再び詠唱を始めようとするが、それは余りにも遅すぎた。
白刃が、頬を、肩を、腹を、腿を薙いでいく。
リリエルがそれに反応して、背後に跳躍する、が――
「――ぁ」
――短い声を上げた瞬間、リリエルの身体から鮮血が溢れ出した。
全身を斬られ、ボロボロに破れた服からは赤く染まった白磁のような肌が顕になる。
誰がどう見ても、既に勝負は決していた。
リリエルは全身を切り刻まれ、致命傷こそ避けたもののその傷は浅くはなく。
戦いを続けようとしたとしても、次にメネスの剣閃は奔ったのならば、その五体が泣き別れになるだけだろう。
「……まだ続けるんだね。そのまま寝ててくれたら、私ももう何もしないよ?」
「――……ッ、心遣い……感謝、します」
だが、それでも。
今にも倒れそうな、意識を手放してしまいそうな激痛の中にあっても、リリエルは倒れずにメネスを見つめていた。
その視線からは未だに冷たい闘志は消えず、それを見てしまえばメネスも刃を収める訳にはいかない。
――メネスは、師の決して手を抜くな、という言葉を事ここに至って体現していた。
「そう……有難うね、リリエルさん。お陰で私、少しは成長できた気がするよ――」
感謝の言葉を口にして、にへら、と笑みを零してから――メネスは今までで一番疾く、地を駆けた。
リリエルに敬意を表して、自らの持つ最高の剣舞を以て終わらせようと、小さな呼吸とともに手にした曲刀を強く握りしめる。
「――氷、結晶、の」
迎え撃つリリエルは、満身創痍。
最早詠唱さえもまともに口にできないのか、とぎれとぎれに言葉を口にしていく。
だが、それを前にしてもメネスは止まることも――そして、油断する事もなかった。
詠唱に惑わされず、発動した魔法の初動を見て対応する。
口で言うには易く、行うには難いそれをメネスは一度見た瞬間から実行しており、最後の攻防がどうなるか等、火を見るより明らかだった。
「……槍」
「――シ、ィィッ!!」
何とか口にし終えた詠唱と同時に、地面が微かに凍りつく。
その初動でメネスは何が起こるのかを判断し、地面から生えてきたそれに向けて、白刃を薙ぐように振り抜いた。
――振り抜いた白刃が、空を切る。
「な――っ!?」
メネスは、驚愕に目を見開いた。
ぐにゃり、ぐにゃりと目の前で曲がりくねり、突き出していく何か。
そんなものは、魔法の定石には無かった。
メネスとて、今まで散々――それこそリリエルよりも遥かに多くの経験を積んできた戦闘者だったが、それをもってしても目の前のソレがなんなのか、理解できず。
うねるように曲がりくねり、しかし氷結晶の槍と同等の速度を以て伸びていく氷は、メネスの白刃をすり抜けながらその身体にまとわり付くように巻き付いていった。
「この、程度……っ!!」
うねり、曲がり、くねるというのであれば柔らかい筈だ、とメネスは渾身の力をもってその氷から逃れようとする……が、その拘束は破れない。
キツく締め付けられているというのも有るだろうが、奇っ怪な事にその氷は柔らかく、しかし硬かったのだ。
――それは、まるでエルドラドが扱っていた触手のよう。
強度も速度も段違いに劣るモノではあったが、奇襲じみた発動もあってか、メネスがその拘束を振りほどくよりも早く、氷は彼女の全身を締め付けて。
「――っ、こんな……ウソ、嘘……っ!!」
そしてとうとう、メネスは身動き一つ取れなくなってしまった。
辛うじて出来るのは、足をばたつかせる事だけで――手にした白刃は念入りに拘束され、微動だにさせる事さえ出来ず。
勝利を目前として、油断もしていなかったというのに訪れた敗北に、メネスは信じられないと言った様子で声を上げた。
こんな魔法は存在しない。
こんな魔法など、使う者なんて誰も居なかった筈なのに――
「ご、ぷっ」
「……え」
――そんな困惑と混乱の最中。
勝者である筈のリリエルは、口から血の塊を吐き出した。
全身に負った刃傷に寄るものではないその吐血に、メネスの思考が止まる。
「り、リリエルさん!?」
「……ごふっ、が、ふ……っ、ぁ……」
口から、そして鼻からも血を流しながら咳き込み、膝をつく。
リリエルはたった今行った魔法の対価を払いながら――それでも尚、どこか嬉しそうに口元を緩めていた。
――リリエルが行使したのは、定形から外れた魔法である。
もっとも効率良く成果を出せるものとはかけ離れた、酷く効率が悪いそれはリリエルの神経に、脳に、身体に多大な負荷をかけた。
定形を外れた故の出血、吐血――それこそが、定型化された魔法の詠唱というものが優秀であり根付いた理由でもあった。
「……わた、しの……勝ちで、宜しいです、か?」
だが、それでも届かない場所があるというのであれば――そうしなければならない理由があるのであれば、定形を破らない魔法使いに先は無く。
その一歩を荒々しくも踏み出したリリエルは、満身創痍といった有様でありながら――ほぼ無傷で拘束されたメネスに向かって、少しだけ自慢気にそう宣言した。
「――は、ぁ。あーあ、負けちゃった、負けちゃった……っ」
そんなリリエルに、メネスはどこか眩しそうに目を細めつつ。
心底悔しそうにそう口にすれば、負けを認めたようにその手から曲刀を手放した。
――最深部での戦いの内二つは終わり。
そして、もう一つの――理外にまで踏み込んだ死合もまた、佳境を迎えようとしていた。