17.魔槍と魔弓
「――エルトリス!?」
「余所見とは余裕ですね――!!」
突然の轟音、無数の斬撃音と共に吹き飛ばされた小さな姿に、動揺が走る。
それも当然だろう、今まで幾度となくエルトリスの規格外な部分を見てきたアミラにとって、エルトリスがそこまで追い詰められるなど有り得ない事だった。
魔族相手に張り合ってきたあの少女が、人間の、それも老人相手に追い詰められるなんて。
その動揺を見逃す筈もなく、オルカは手にした魔槍でアミラを攻め立てる。
弓使いでありながら、近接戦闘にも対応出来るアミラはオルカにとっても強敵ではあったが、その僅かな動揺で均衡は完全に崩れ去った。
「く……っ!」
オルカの放つ槍撃が、アミラに矢を番える暇を与えない。
一撃一撃が疾く、鋭く――それが愚直なものであったとしても、アミラにはそれを躱しながら反撃に移る手が無かった。
マロウトを器用に振るいながら槍撃を弾きはするが、そうすれば当然矢を番える事はできず。
――しかし、その魔槍がアミラの肩を掠めたのを見れば、突然オルカは追撃を止めた。
「……何のつもりだ」
「もう勝負は付きましたので」
「何を――っ!?」
追撃が突然止まり、アミラは距離を取りながら矢を番えようとして。
そこで初めて、自らの腕が――マロウトを持つ腕とは反対側のそれが、まるで上がらなくなっている事に気がついた。
痺れているのではなく、感覚も有る。
ただ、まるで糸が切れてしまった人形のように、だらん、と腕は垂れ下がったまま、アミラの意思を聞かず。
「ラージャは様々な毒を生み出す事が出来ますが――今回は、命までは取りません。師の邪魔さえしなければ良いので」
ヒュオン、と風切り音を鳴らしながら、オルカは再び魔槍を構える。
その動きは先程までとは違い、ゆっくりとした、緩慢な物で。
「……ええ。一月程、宿で横になっていれば良くなるでしょう。その間、一切動けはしないでしょうが――!」
「冗談じゃあない、な……っ!」
全く動かなくなった片腕で動きが鈍ったアミラを確実に仕留めようと、再びオルカはその魔槍をアミラに向けて振るい始める。
感覚はあっても動かせない、重石にしかならない腕のせいでアミラの動きは確実に鈍り、オルカの槍撃を辛うじて捌きはするものの、その攻防は完全に一方的な物となっていた。
せめて矢を放てたのであれば、オルカと距離を取ることも叶ったかも知れないが――片腕が完全に動かなくなった今となっては、それも叶わない。
それでもマロウトを振るいながら、アミラは周囲に視線を向けつつ何かしらを探っているようだったが――
「つ、ぁ――ッ」
「終い、ですね」
――その視線が何か実を結ぶよりも早く、オルカの魔槍がアミラの足を捉えた。
片足の自由が突然奪われたせいで、アミラはその場に転がり、もんどり打って。
倒れ込んだアミラを見下ろしつつ、オルカは小さく息を漏らす。
あの時。
あの少女がアルカンに吹き飛ばされた瞬間、気をそらしさえしなければもっと苦労していたか、或いは負けていたかもしれない。
そう考えると、オルカは酷く残念な気分になってしまった。
「……まあ、動けない間の世話は私達がしますので。ご安心を」
とは言え、勝負は勝負。
片腕と片脚の自由を奪った今では、最早勝負は決まったようなもの。
オルカはその切っ先を、止めとばかりにアミラの頭に向ける。
後は、頭を痺れさせてしまえば――それだけで、アミラは一ヶ月は自分で何一つ出来ない、赤子同然の存在に成り下がるだろう。
喋る事も、食べる事も――それ以外も、何もかもが出来なくなる一ヶ月はそれなりに苦痛だろうが、これもアルカンの願いの為なのだから、仕方ない。
オルカは一瞬だけ躊躇いつつも、溜息とともにそれを捨てれば――
「――?」
――不意に。
アミラのその手に、マロウトが握られていない事に気がついた。
先程転がった時に手から離した?
否、アミラほどの使い手が、ましてや魔弓使いがそのような醜態をさらす事は有り得ない。
では、何故今アミラの手元にマロウトが無いのか――?
「……な」
「悪いな、私の勝ちだ」
アミラの口元に咥えられていたそれを見て、驚愕する。
それは、魔弓の弦だった。
様々な形を取り、時には強力無比な一矢を、時には無数の矢雨を降らせるその弦には、今何も番えられていない。
否。
「こ、れは――っ!?」
オルカの身体に暴風がまとわり付く。
既に矢は番えられていたのだ。
ただ、その矢自身が番えられていると気づいていなかっただけ。
「く――っ!!」
全身にまとわり付く暴風に、自らが矢とされた事に気がついたオルカは、突きつけていた魔槍を振るう――が、既に遅い。
魔槍を振るうよりも早く、アミラの口から離された弦はオルカの身体を捉えれば――その背後で、まるで弩砲か何かのように形を変えたマロウトから、勢いよく発射されて――……
「――が、はっ」
……最奥部に、先程とは違う、まるで投石機から放たれた何かが直撃したかのような轟音が鳴り響く。
壁に軽くめり込むほどに叩きつけられたオルカは、口から血を吐き出しながら――辛うじて受け身は取ったものの、耐えきれるはずもなく。
「……まあ、オルカさんなら死ぬ事もないだろう、多分だが」
そのまま力なく、うつ伏せに倒れ込んだオルカを見つめながら。
アミラはあいも変わらず、まるで力の入らない片腕と片脚に小さく息を漏らしつつ、何とか地べたに座り込めば……再び始まったエルトリスとアルカンの戦いに、視線を向けた。
助けにはいけない事を、アミラはよく理解していた。
手足が動かない、という事以前に目の前で起こっている人外の戦いには手が届かない、と。
そして何より――……
「邪魔をしたら、エルトリスに何を言われるやら」
苦笑混じりにそう呟けば、アミラは大きくため息を吐き出した。