16.二つの極地
「――っ、何のつもりだオルカさん!」
「ご安心を。私は……いえ、アルカン師は貴女方に恨みが有るわけでは有りません」
突如として襲いかかってきたオルカに、アミラは完全に混乱していた。
敵対していた訳ではない。
道中、持ってきた食料を持ち寄って一緒に食事をしたりもしたが、その時にもアミラはオルカ達から邪悪さなど微塵も感じられなかった。
かと言って、預かり知らぬ所で恨みを買ったわけでもないと、オルカは言う。
長物――魔槍ラージャの一撃を、器用にマロウトで弾きながら蹴りを放ち。
その苦し紛れの一撃をオルカは容易く防ぎはしたものの、アミラは距離を取る事に成功する。
「……判らない。では何故だ」
「我が師の願いの為です」
呼吸を整え、混乱から立ち直ったアミラの言葉に、オルカは極めて冷静に、当然のようにそう口にした。
その理由が恨みのない相手に刃を向けるに足るものだと、オルカは言葉ではなくその構えから、殺気から示していく。
――そこまでされて尚、何故と問いかける程アミラも愚鈍ではなかった。
「解った。何のつもりかは知らないが……来るというのならば、容赦はしない」
「どうぞ。私もここからは、加減なしで行きます」
マロウトが、暴風を纏う。
ラージャが、その刀身に濃い紫色の光を纏う。
それ以上二人は言葉を交わすこと無く――魔刀の祀られる最奥部で、激突した。
「よ、はっ、と」
「……っ」
一方、メネスとリリエルもまた、刃を交えていた。
否、交えていた……というには、その戦いは一方的だった。
片や、メネスは飄々とした態度のまま、動揺すること無く手にしている曲刀を、容赦なくリリエルに振るっていく。
片や、リリエルは元より無手だ。
魔法を詠唱するような隙を与えてもらえないその状況は、余りにもリリエルに不利が過ぎる。
「どうしたの、メイドさん。何もしないなら別にいいけど」
メネスの振るう曲刀が、リリエルの着ている服を掠めていく。
至極つまらなさそうに言葉を口にしながら、表情に不満をありありと浮かべながら――メネスは、何故自分だけ格下を相手にしなければならないのか、と内心うんざりとしていた。
メネスの腕前は、魔槍を持つオルカに勝るとも劣らない。
そして、だからこそリリエルが自分よりも――否、オルカが戦っているアミラよりも遥かに落ちる相手だと、以前会った時に理解していた。
「はーぁ。私もあっちが良かったなぁ……」
隠すこと無くそう言葉にしつつ、曲刀を振るい、リリエルを壁際まで追い詰めて。
――何故、手を抜いた。
メネスは何故か、つい最近師であるアルカンから言われたその言葉が、脳裏に過ぎった。
「――氷針の嵐!」
「はいはい、それじゃあこれでお終いねー」
壁際に追い詰められたリリエルが、苦し紛れに放った魔法。
それを見れば、メネスは小さく息を漏らしつつ――放たれるであろう氷の礫を切り払おうと身構えた。
手を抜いた訳じゃない、ただ相応の相手に相応の力で当たっただけ。
メネスは、師の言葉にそう言い訳をしながら、さっさと戦いを終わらせて師の戦いを見ようとして――
「――……っ!?え、なっ!?」
――瞬間。
地面から突き出した氷の槍に、驚きの声を上げた。
リリエルが唱えた魔法とは明らかに違うモノが発動し、礫ならば切り払ってそのままリリエルを斬りつけていた筈の刃は、氷の槍を辛うじて防ぐ事しか出来ず。
「あ、ぐ――っ!」
刃を弾きあげながら、突き出した氷の槍はメネスの肩を軽く抉り――完全に侮っていた相手からの思わぬ一撃に、メネスは苦悶の声を上げつつも、目を見開く。
「……もう少し、色々と試させて頂きますね」
「あ、はっ」
そして、侮っていた相手からのその言葉に、メネスは思わず笑みを零した。
望外に楽しめそうな事が、嬉しくて。
――自分よりも師の教えを体現していたその相手が、羨ましくて。
「あはっ、あははははっ。ごめんねリリエルさん――真面目にやるよ」
「どうぞ。そうでなければ、意味がありません」
酷く楽しそうに笑うメネスに、リリエルは淡々と返しつつ。
遥か格上であろうメネス相手に、今までの経験を――それから得たものを試すように、戦い始めた。
「――カカッ、カカカッ!流石じゃのうお嬢ちゃん!」
「ハッ!その言葉、そのまま返す――よ!!」
――そして、アルカンとエルトリスは、互いに愉しげに笑みを浮かべながら、火花を散らしていた。
アルカンが放つ見えない剣戟を予知じみた勘で、ルシエラを盾にして回避しつつ、エルトリスはアルカンに迫る。
だが、その獣のような猛追を、アルカンは事も無げに無数の剣戟を以て弾き返し、凌いでみせた。
この間、一度たりともアルカンは鞘から魔刀を抜いてはいない。
抜くのが見えないのではなく、抜いてすらいないのだ。
「あはっ、きゃははっ、本当に面白いわ――!!」
その手品じみた、しかし決して手品ではあり得ない芸当に、エルトリスは狂喜する。
見える訳もないその斬撃を、ただ勘のみを以て防ぎながら、躱しながら――刃を交え、エルトリスはその攻撃の正体を何となくだが理解したのだ。
それは、技の極地。
アルカンが生涯積み重ねてきた技術の集大成。
それが導き出した、道理を捻じ曲げて結果だけを残す――見えないのではなく、存在しない斬撃。
刀を抜くという動作を完全に消し去った有り得ない攻撃は、エルトリスが元の肉体であった頃からを合わせても――あの少年すらもしてこなかった物で。
「喜んでくれて嬉しいのう……ではこれはどうじゃ!」
「――っ!!」
アルカンが微かに構えたのを見れば、瞬時にエルトリスは身体をぐるんと回しつつ、自分の周囲を薙ぎ払う用にルシエラを振るった。
次の瞬間、鳴り響いたのは凄まじい数の金属音。
刃同士をぶつけ合って初めて起こる筈のその音を、何重にも鳴り響かせながら――エルトリスの周囲は、火花で埋め尽くされる。
『ち――でたらめな事をしおるわ、あの爺め……!!』
「すごい、すごいすごい!!どうやってるんだろうこれ、ねえ!!」
『はしゃいどる場合か!このままだと圧殺――いや、斬り殺されるぞ!!』
文字通りの、刃の滝。
見えない剣戟、過程を省略した斬撃だからこそ可能である無限の斬撃。
それを防ぎつつ、エルトリスは目を輝かせ――そんな主を見ながら、ルシエラは叱咤するように叫んだ。
そんな二人の様子を見つつ、アルカンは口元を緩める。
まるで、遠い過去の自分と魔刀を重ねるような視線を向けながら――
「――ぬ、ぅ!?」
――刃の滝にある、微かな隙間。
無数の連撃を叩き込んでいたからこそ生まれた包囲の僅かな隙を縫って飛び出してきた、猛獣の牙の如きルシエラの刃を、辛うじてアルカンは躱してのけた。
頬を削られつつも、アルカンは崩れた体勢を直様立て直し……
「……ばぁっ♪」
「ク、カ……っ!!」
……その僅かな一瞬で、エルトリスはアルカンとの距離を一気に詰めきった。
エルトリスはその身体の所々に斬り傷を負いつつも、そのどれもが軽傷に過ぎず。
あの無数の刃から、危険なものだけを選んで防ぎ反撃へと転じたその信じがたい行為に、アルカンは驚愕しつつも嗤う。
それでこそ。
それでこそ、我が最期の死合に相応しい相手だ、と。
技では圧倒しているアルカンであったが、純粋な力、勘という点で言えばエルトリスとルシエラが上回っており、間合いを詰め切られてしまえば優劣は一気に反転する。
如何に見えない斬撃であろうとも、それも無数に放てるのだとしても、一切の防御が不要という訳ではない。
エルトリスの一撃を凌ぐためには相応の斬撃を加えねばならず――否、如何に無数の斬撃を加えようともそれを完全にいなす事は出来なかった。
「――カ、カっ!やりよるわ……っ」
「ほら、ほらほらぁっ!!もっと、もっともっと楽しみましょう、ねぇっ!!」
そして、とうとうアルカンの身体に――大きくはないものの、無視は出来ない傷が入れば。
アルカンは笑いつつも、思い切り背後に飛び退いた。
無論、それをエルトリスが逃す筈もない。
まだ底じゃない、まだアルカンはこれでは終わらない――斬り合っている相手への異常なまでの信頼を元に、狂喜に満ちた笑みを浮かべながら、手にしたその刃を振るい――
「これは、期待に応えてやらねばならんのう――サクラよ」
『……うん。良かった、最期にやっと、アルカンと一緒に、戦える』
――刹那。
アルカンが手にしていた、今まで一度たりとも抜かれる事のなかった魔刀から、そんな言葉と共に無数の薄桃色の花弁が舞い散った。
「お嬢ちゃんに見せてやろう、我らが極地を」
その花弁に触れた瞬間、エルトリスの振るった一撃がギィン、と重たい音を鳴らしながら弾き飛ばされる。
そんなエルトリスを見ながら、アルカンはそんな言葉を口にして――
「――人魔合一」
『――人魔合一!』
――瞬間、アルカンとヤシャザクラの言葉が完全に重なった。
アルカンの身に纏っていたみすぼらしくさえあった薄布が、艶やかな羽織に変わり。
受けた傷はそのままに、アルカンの纏う気配が一変する。
「これ、は……!?」
『何じゃこれは、こんなもの私は――』
先程までの技の極地とは違う、もう一つの極地。
同じく魔剣を持つエルトリスでさえも知らないその変化とともに、アルカンの持つ魔刀から花吹雪がひらり、ひらりと舞い散って――
――それに飲まれた瞬間、エルトリスは為す術もなく吹き飛ばされた。