9.インターミッション
「あー、食った食った」
ごろん、とベッドの上に仰向けに転がりながら、小さく息を漏らす。
時間通り宿に戻った俺達を出迎えたのは、どこか安心したような、嬉しそうな宿屋の主人の表情とたっぷりの夕食だった。
量だけではなく味も悪くなかったし、ちゃんと甘いものも用意してくれてたんだから満点をあげたって良いだろう。
『全く、あの程度で満腹になるのは羨ましいのう』
「テメェが大食いなだけだろ」
……俺の数倍食ってたルシエラは、まだ食い足りないと言った様子だったが。
いや、魔剣にそういう事を言うのは無意味なのは解ってるんだが、コイツの胃袋は一体どうなってるんだ。
一杯食ったってことは味は良かったって事なんだろうが、どう考えたって食った量と見た目の計算が合わない。
まあ、考えても詮無き事か。
「んじゃ、リリエルー。寝ちまう前に浴場に――」
「……ん、ぅ」
「――んぁ?リリエル?」
このままだと満腹感に身を委ねて眠ってしまいそうだから、さっさと湯浴みを済ませてしまおうとリリエルに声をかけるが、返事が無い。
見れば、リリエルは椅子の背もたれに身体を預けたまま、すぅすぅと小さく寝息を立てていた。
リリエルがこんな姿を晒すなんて、珍しい。
竜車でも基本、一番最後に眠って一番最初に起きていたのに。
「起こしてやるな、肉体は元より精神面で疲れたんだろう」
「……そりゃあそうか。十本かそれ以上相手にしてたもんな」
そんな事を口にしつつ、洞窟でのリリエルの奮闘っぷりを思い出す。
攻撃面の弱さで苦労している場面はあったものの、おおよそ苦戦すること無く異形達を相手取っていたあの姿は、中々なものだった。
後はリリエルに丁度いい武器が――できることなら、魔族の障壁を容易く破れるようなモノがあれば、リリエルも魔族と多少なりとやり合えるだろう。
「んじゃ、今日は良いか」
ともあれ、珍しい姿を晒しているリリエルを起こすのも忍びない。
今日一日くらいは無理に湯浴みをしないでも特に問題はないだろう。
俺はそのまま、ベッドの上でシーツに包まると微睡みに身を委ねて――……
「……こら、良い訳がないだろう」
……瞼を閉じる刹那。
そんな窘めるような言葉とともに、ひょい、といきなりベッドから抱き上げられた。
「ん、ぁ……アミラ?」
「今日はしっかり運動しているのだ、ちゃんと身体は綺麗にしておけ。ほら、行くぞ」
『ふむ、では私はリリエルをベッドに運んでおくかの。エルちゃんは任せるぞ』
ぼんやりと沈みかけていた意識を戻せば、目の前には少し呆れたようなアミラの顔。
俺が返事をするよりも早く、トントン拍子に物事が決まってしまえば、アミラは俺を抱えたまま部屋の外に出て、浴場へと歩き始めた。
「……まあ、良いか」
普段はリリエルにやってもらってはいるが、偶にはアミラにやってもらうのだって悪くはあるまい。
俺はそんな風に考えながら、アミラに抱かれたまま小さく欠伸をして。
そうして、脱衣場に入れば眠気が大分来ている身体で軽く伸びをしつつ、服を脱ぎ始めた。
……エスメラルダの所に居た頃はずっと脱がせてもらったり着せてもらったりだったが、俺だって別にそれくらいはできる。
服を脱いで、籠に突っ込み。一糸まとわぬ姿になれば、そのまま浴場へ入ろうとして――
「待て、エルトリス」
「何だよ」
「ちゃんと畳め。これでは皺になるだろう」
――アミラが、俺の手をきゅっと握って呼び止めた。
言われて服を見れば成程、たしかに乱雑に突っ込まれた服はこのままにしておいたらくしゃくしゃになってしまうのかもしれない。
が。
「……まあ、良いだろ別に」
そんな事などした事もなければ、普段からやっても居ない。
ルシエラと入っていた頃は気にしてもいなかったし、リリエルと入っている時はリリエルに任せていたし。
とはいえ、そんな事を口にするのも何だか癪だった。
なので、アミラにぶっきらぼうに言葉を吐いた、のだが。
「全く。まあ、エルトリスくらいの年頃なら服を畳んだりもしないか」
「――ぐ」
悪気はないのだろう。
アミラの言葉は寧ろ微笑ましいといった色すら感じる、柔らかなもので。
……だがしかし、はっきりと子供扱いされてしまえば、無性に恥ずかしくなってしまった。
覚えるつもりは無かったが、もしかしたらそれくらいは覚えたほうが良いのかもしれない、とさえ思えてしまう。
「だが、いつまでもリリエルに頼っていないで自分で色々できるようにならないと駄目だぞ――いや、エルトリスに言うのも変な感じだが」
「う、うるさいな。解ってるっての」
顔が熱くなるのを感じつつ、アミラの苦言にそう返せば、俺はアミラの手を軽く引くようにして浴場に入った。
そうやって話題を打ち切れば、これ以上苦言を呈される事もあるまい、なんて。
そんな――よくよく考えれば、少し子供じみた考え。
それをアミラも察してしまったのか、苦笑されながら。
とりあえずは体を洗ってからで良いか、なんて考えつつ姿見の前に立てば、そこに映った自分の姿に小さく息を漏らしてしまった。
あいも変わらず、無駄に大きな胸元の駄肉。
背中側からでも余裕で見えてしまうくらい大きなソレを、自分のモノとは信じたくはないが……こうも、毎日付き合ってしまえば否応なしにそれが自分の体だと理解できてしまう。
今日は一杯夕飯を食べたからだろう、お腹も少しぽっこりとしていて。
これだけ食べても少しも縦に成長した気がしないのは一体どういう事だ、なんて考えつつ、眉をひそめる。
「――どうした?身体を洗わないのか?」
そんな俺を不審に思ったのか、アミラは不思議そうに俺を見つめながら、そんな言葉を口にした。
何を言ってるんだ、体を洗うからこそこうして姿見の前で、待って……ま、って……
「……っ」
……そこまで考えて。
さも、リリエルやアミラ、エスメラルダに洗ってもらうのが当然みたいな思考に陥っていた自分に、顔が一気に熱くなってしまった。
何を考えているんだ俺は、いや確かにいつもリリエルには洗ってもらっては居たが、それをアミラがやってくれる訳もない。
エスメラルダは……何故かこう、喜んでやってくれていたけれど。
リリエルと違ってエスメラルダは奴隷でも何でも無い、ただ好意で着いてきてくれているだけの仲間なのだ。
「ふ、む」
「わ、解ってる、身体をちゃんと洗わないとな」
何か妙に納得したような表情を浮かべたアミラに、慌ててそう口にしながら、俺は姿見の前で腰掛けて。
……腰掛けて。
「……あ、れ?」
――思い出せない。
いつもリリエル達にやってもらってたせいで、どうやって身体を洗うのかとかが、思い出せない――……!?
い、いや落ち着け大丈夫だ、どうやって貰ってたかを思い出せば問題ない!
ええと、先ずはお湯を浴びて――浴びて、あれ、お湯はどこに……!
「……ふ、くくっ。なんだ、年相応な所もちゃんと有るのだな」
「え、あ」
「まあ、これまでもそうだったか。少し安心したぞ」
そうやって慌てていると。
アミラは急に、耐えきれなくなったかのように笑みを零せば、ぽんぽん、と俺の頭を撫でてきた。
姿見に視線を向ければ、そこに映っていたのは――顔を真っ赤にして、目に見えて動揺している金髪の幼子と、それを微笑ましげに眺めながら優しく頭を撫でている、アミラで。
「あ……ぅ」
「そう気落ちするな。エルトリスくらいの歳なら、寧ろ自分で全部できる方が可笑しいしな」
姿見に映っている、子供同然というか子供そのものな姿が自分なのだと思えば、言葉も出なくなってしまい。
そんな俺を見ながら、アミラは隣に腰掛けると、じぃっと俺の顔を見つめてきた。
まるで、何かを待っているかのような、その視線。
「……その……頼む」
「エルトリス。人にお願いをする時は、ちゃんと丁寧に言わないと駄目だぞ?」
「うぐ……っ、て、丁寧って」
恥を忍んで、体を洗って欲しいとアミラに頼むが、どうやら言葉遣いが気に入らなかったのか。
少しだけ真剣な表情で――しかし、俺のことを馬鹿にしている様子も、からかっている様子もなく、ただ俺からの言葉を待っていた。
……やばい、ルシエラとは別方向でやりにくい……!
アミラと一緒に浴場に来たことをほんの少しだけ後悔しつつも、今更どうにもならない。
俺は、顔がどんどん熱くなっていくのを感じつつも、ルシエラのようにからかっているわけでもない……恐らくは真面目にやっているアミラに、ゆっくりと言葉を選んで口にしていく。
「……お、お願い、します」
「何を、だ?」
「その……俺の、身体を……洗って下さい、お願いします」
「……よし、良く出来たな」
何とか、訂正を促されはしたものの、アミラのしてほしい言葉を口にできたのか。
アミラは表情をほころばせれば、俺の両脇を抱えるとそのまま膝の上に載せて――そのまま、優しく頭を撫でて、きた。
……心地いい。
アミラからの言葉は妙に安心するし、誇らしくもなるし……頭を撫でられると、安心してしまう。
「あ、ふ……」
「エルトリスも将来は凄く美人になるんだろうからな。今から、こういうのを覚えていかないと残念美人になってしまうぞ」
「ん……わ、解ったよ」
成長しない――少なくとも今の所は――俺が、美人になるかどうかはさておいて。
アミラからの言葉に小さく頷きつつ、俺はその手付きに身を委ねていく。
リリエルほど、手慣れた様子はない。
だが、まるで経験があるかのような指先の動きに、軽く震えながら、脱力してしまう。
「森で弓を教えていた頃に、子供にこうしてやった事があってな」
「……ん」
「あの子達と比べて、エルトリスは随分と浮世離れしているし、大人びていると思っていたが……ふふっ」
「う、うるさいな……」
何度も言われてしまうと、恥ずかしさに耐えきれなくなりそうで。
俺の言葉にアミラはすまんすまん、と軽く返しながら。全身を優しく洗うと、お湯を頭から浴びせてくれた。
膝の上から降ろされれば、俺はぼんやりとアミラを見上げつつ、ほう、と息を漏らしてしまう。
エスメラルダとはそれはまあ、比較にならないけれど。
アミラもまた、立派な大人の女性だった。
出るところはしっかり出ていて、引き締まっていて。
スレンダーとは違うが、何とも健康的で綺麗なその様に、俺は少し見惚れてしまう。
――おれも、いつかこんな風になれるのかな。
「……!?」
「ん、どうした?」
「い、いや、なんでもないっ」
唐突に浮かんでしまったそんな考えに、俺は慌てて頭を左右に振った。
アミラのようになりたい、ってそんな訳がない。
俺はあのクソ女を見るも凄惨な有様に合わせて、きっと元の体に戻るのだ。
……決して、その、アミラみたいに成長したいだとか、そういう訳じゃあない。
それはまあ、背丈とかは羨ましいけれど……あと、バランスの良さだとか、そういうのも羨ましいかもしれないけれど……それだけだ。
茹だるように熱くなってきた頭を、水で軽く冷ましつつ。
アミラが体を洗い終われば、後はいつも通り一緒に湯船に浸かって。
……アミラが百数えるまで湯船から出るなとか、そんな事を言い出した時はどうしようかと思ったけれど。
芯までしっかり温まった俺は、無事に浴場から出て部屋に戻る事ができた。
――その後の記憶がないのは、まあ、多分のぼせたんだろう。
今度からはアミラと一緒に入るのはやめておこう、と翌日ベッドで目を覚ました俺は、固く誓ったのだった。