6.初めての魔剣
背中を押さえて、前を見る。
目の前に立っているのは、先程まで念願の魔剣を手に入れられると喜んでいた、冒険者の成れの果て。
そんな彼も、今となってはただの異形でしかなく、私は特に何の感慨も覚える事無く呼吸を整えた。
――エルトリス様やアミラ様が扱っているモノとは、明らかに違う。
ルシエラ様やマロウトとは違ういびつな強さは、私も初めて見るもので。
「――うごっ、あ――ご、がああぁぁぁぁっ!!」
理性の欠片も感じさせない叫び声から、跳躍。
洞窟の天井に頭をぶつけるのではないかと思えるそれは、貧相な下半身からは想像出来ない程だった。
しかし、一旦飛んでしまったならそこまでだ。
私は冷静に手を前に出して、淀むこと無く魔法を口にする。
「氷針の嵐!!」
放たれたのは、鋭く尖った氷の針。
それは、こちらへと飛びかかってくる異形の胸のあたりを深々と貫いて――……
「――っ、これは」
「ごぼっ、ぁ……ごあああぁぁァァァッ!!!」
……しかし、異形は止まらなかった。
胸からおびただしい量の血を撒き散らしつつ、その異常に膨れ上がった両腕を私の居た場所に向けて叩きつける。
それだけで、しっかりとした岩石で出来ている筈の地面は容易く砕け、凹み。
私は後ろに跳んでそれを躱しはしたものの、それを見た異形は直様私の方へと、腕で跳躍してみせた。
「三重奏――」
……慌てては、いけない。
胸を、心臓を氷の針で撃ち抜かれて生きていたのは予想外だったけれど、これで心を乱していては、見てくれている二人に失望されてしまう。
私は冷静に詠唱を口ずさみつつ、相手の動きを見る。
異形は胸から血を撒き散らしながらも、その動きを止める様子は全くなかった。
まるで、自らの命を厭わないとでも言うかのようで――そこでふと、先程エルトリス様が口にしていた言葉が、頭をよぎる。
「ぐがあああぁぁぁぁぁ――ッ!!!」
一直線に突撃してきた異形を飛び越えるように跳びつつ、それが持っている剣を見た。
相変わらず、魔剣は仄かに紅色に輝いており、その光が異形に絡みついているように見えて……ああ、成程と。
道理で胸を撃ち抜いても無駄なわけだ、と理解してしまった。
「――氷結晶の槍」
「ご、ぐげっ、ガ――ッ」
地面から突き出した三本の氷の槍が、異形の両腕を、そして腹部を貫く。
流石にこれには堪えたのか、異形も苦悶の声をあげはした、が――それだけだ。
あいも変わらず死ぬ気配もなければ、止まる気配もない。
だが、両腕、そして腹部を撃ち抜かれていてはまともに身動きが取れないのだろう。
身体を捩りながら、氷の槍にヒビを入れて何とかその状態から逃れようとしていて――私はそんな異形に近づけば、そっと剣を持っている方の腕に触れた。
「氷精の悪戯」
「ぐぎ……っ!?」
そのまま、腕を白く、白く変色させていく。
こうして拘束でもしなければ――或いは隙だらけでもなければ、ずっと冷やすなんて事は出来はしないが、動けない今ならば簡単だ。
どんなに異常な形になっていても、元は人間だからだろう。
膨れ上がった腕も凍りついてしまえば、やがてはヒビ割れ、固まり――それでも暴れ続けたせいで、とうとうバキン、と砕けてしまった。
「……失礼します」
後は、骨で辛うじて繋がっているだけのその腕を軽く持つと、肘と膝で打つようにして砕き割り。
「が――ッ」
――そうして、肉体から魔剣が離れた途端に、異形はプシュウゥ、と空気でも抜けていくかのように萎んでいけば、あっというまに元の冒険者のサイズまで戻っていく。
もっとも、戻ったのはサイズだけ。
髪は白く染まって抜け落ち、皮膚は黒ずんでたるみ、まるで打ち捨てられた遺体のよう。
これが軽々と魔剣を握った者の末路なのだろう。
私はそんな彼に僅かばかりの哀れみを懐きつつ――軽く深呼吸をすれば、未だにびくん、びくん、と震えている残った腕とそれに握られた魔剣に視線を向けた。
恐らくこの魔剣は、ルシエラ様やマロウトと比べれば大分格が落ちる魔性だ。
だというのに、見ているだけで伝わる禍々しさは冷や汗をかかせるには十分で。
「……っ」
しかし、これに怯むようでは敵を討つのに必要な力は手に入らない。
私は意を決して、未だ脈打つその腕から魔剣を奪うようにすれば、手を伸ばし――
『――……』
「……っ、あ?」
――目を、いつの間に閉じていたのだろう。
真っ暗なことに気付き、目を開けば――いつの間にか、私の手にはしっかりと魔剣が握られていた。
薄紅色に淡く光る、キレイな刀身。
まるで宝石のように綺麗で、吸い込まれてしまいそうなそれに、思わず息を漏らす。
綺麗。
なんて綺麗なんだろう。
ああ、こんなに綺麗なモノ、見たことがない。
私はそれを軽く握ったまま、刀身を顔に近づける。
ああ、綺麗。
綺麗すぎて――もっと、もっと近くで、見たい。
この魔剣と、一つに――……
「……確かに、綺麗ですが」
『……!?』
「命を差し出すつもりは有りません。それに……貴方では、足りない」
……頭を塗りつぶすような思考を、私はそう口にして切り捨てた。
恐らく魔剣が私に干渉でもしたのだろう、私らしくもない思考ばかりで辟易する。
魔剣から伝わってくるのは、困惑。
どうして、なんで――そんな感情ばかりが腕から伝わってくる、そんな奇妙な感覚に私は少しだけ可笑しくなってしまった。
「言うまでも、有りません」
考えるまでもない。
私が欲しているのは、私では届かない場所へ、手をかける力。
今の私では打倒し得ないであろう、魔族を殺せる力。
それを欲しているというのに、私が倒せてしまうような相手では困るのだ。
そんな私の感情が伝わったのか、魔剣はひどく残念そうな、そんな感情をこちらに伝えてくるけれど。
もう私を操ろうだとか、殺してやろうだとか、そういった悪意のような物は感じられず――成程、魔剣を手にするとはこういう事なのか、と納得してしまった。
要は、相手の強い感情に、魂に負けなければ良いのだろう。
「……では、貴方にも良い出会いがありますように」
私は魔剣にそう告げると、床に突き刺して――そこで、ガクン、と唐突に体が揺れた。
否、意識が現実に戻った、のか。
私はぐらりと揺れる頭を少し抱えるようにしつつ、地面に突き立てた魔剣と、変わり果てた冒険者の死体を見る。
……先程までは死体など目にも入らなかったのだから、手にしてからはずっと幻覚のようなモノを見ていたのかも知れない。
「――ん、終わったか。どうだった」
全身に疲労を感じつつも、後ろから小さな足音と共に声をかけられれば、私は背筋を伸ばし、向き直る。
「少し……疲れました」
「そうか。ま、こんな感じだ――次からは、もうちょい楽にやれるだろ」
『こんな木っ端に苦労しておっては先が思いやられるぞ、全く』
私の言葉に、エルトリス様は事も無げにそう言いながら――まるで、私なら大丈夫だろうと言わんばかりに、歩き出した。
ルシエラ様も、先程の魔剣を一瞥すれば、まるで近所の子供にそうするかのようにペチペチと軽く柄を叩いて。
「全く、二人はもう……リリエル、大丈夫か?」
「はい、問題は有りません」
エルトリス様達に苦笑しながら、心配そうに声をかけてきたアミラ様に軽く頭を下げる。
正直なところを言えば、少しだけ休憩をしたかったけれど……でも、そんな事は言ってられない。
――私の主であるエルトリス様が、私なら大丈夫と信じてくれているのだ。
それならば、その期待には応えなければならないだろう。
無理をするなよ、というアミラ様の言葉に頷けば、私は洞窟の奥へと進んでいくエルトリス様の背中を追うように歩き出した。
洞窟の奥からは、悲鳴や奇声が時折聞こえてきて。
ああ、この分なら選択肢に困るような事はなさそうだな、なんて――私はそんな呑気な事を、考えてしまった。