4.宿での朝
ぼんやりと浮かび上がった意識の中。
まだ少し重たい瞼を開けば、外はまだ薄暗く、日が昇り始めたばかり。
「……く、ぁ……っ」
ぐぐっと伸びをしながら周りを見れば、アミラも、リリエルも……ついでに俺の隣でルシエラも、ぐっすりと眠っていて。
どうやら俺は部屋に戻った後、そのまま明け方近くまで熟睡してしまっていたらしい。
「……お前のおかげだけど、ここまでぐっすりは眠りすぎだな」
腕に抱えていたぬいぐるみに苦笑しつつ、無くさないように荷物袋にしまえば、静かに部屋から出る。
まだ明け方とは言え、眠った時間が時間なのもあって眠気もあまり無く。
かといって部屋でボーッとしているのも何だか癪なので、軽く宿の周りでもぶらついてみようと、そう考えたのだ。
宿から出れば、流石にこんな時間な事もあって外は人気もなく、ひんやりとした空気が流れるばかり。
少し肌寒くも感じるが、それも少し心地よくて――……
「――っ」
「……っ」
「ん?」
軽く深呼吸しながら、その心地よい空気を堪能していると、不意に宿の裏手あたりから声が聞こえてきた。
風斬り音にも似た鋭い音と一緒に聞こえてくるそれは、宿の仕込みという訳では無いだろう。
こう、武器を振るうような音と共に聞こえてくる掛け声のような。
「――シッ。セヤァ、タァ――ッ!」
「ふっ、ふ……っ、は、ぁ――っ」
物騒なものではないその音に興味を惹かれ、ふらりふらりと音の方へと向かえば、その声に聞き覚えが有る事に気付く。
ひょっこりと物陰から顔を出してみれば、そこに居たのは昨日会った――そう、アルカンとかいう爺の弟子らしい二人だった。
オルカと名乗っていた女は布に巻かれた長物を、メネスと名乗っていた女はアルカンの扱っていたような細身の曲刀を手に、互いに向けて獲物を振るっていて。
ただ、その獲物を打ち合うような事は――手にしたもので防御する事は無く。
ヒュン、ヒュン、と風斬り音だけを鳴らしながら、それを寸前で回避し続けていた。
「……へぇ」
少し、感心する。
普通組み手って言えば互いに遠慮が入るモノだが、二人の間にそれはまるで無かった。
特にメネスは刃をむき出しにした曲刀を振るっているっていうのに、それを躱すオルカの動きには一切の緊張がない。
メネスもメネスで、オルカが振るう長物が直撃すれば軽傷では済まないだろうに、それを当然のように舞うように躱していて。
互いに鋭い攻撃を放ちつつ続けられていくその演舞にも似た組み手は、二人の実力の高さを俺に感じさせた。
「どうかの、お嬢ちゃんから見て二人の動きは」
「悪くねぇ。まあ、悪くねぇ程度ではあるが――っ」
――唐突に耳元から聞こえてきた声に、咄嗟に手を動かす。
俺の胸元に触れようとしていた枯れ木のような指先を既の所で掴めば、ギギギ、と俺は背後に振り返った。
「……むぅ、中々ガードが硬いのう、お嬢ちゃんは。儂の手から逃れるとは」
「この爺……いつの間に背後にいやがった」
「何、お嬢ちゃんがオルカ達の組み手を見てる間にの」
手を掴まれて残念そうな顔をしつつ、アルカンは掴んでいた俺の手を軽くきゅっと握れば、するりと抜けて。
そのままふらふらと物陰から身体を出せば――そこでやっと俺とアルカンに気づいたのだろう、オルカとメネスが動きを止めた。
「これは、アルカン師。それに――ええと、エルさん、でしたか」
「エルトリスだ、エルトリスで良い」
「おはよー、おじいちゃんにエルトリスちゃん」
「うむ、朝から励んでいるようで何よりじゃ。これなら、あの洞窟でも問題あるまいて」
二人と言葉を交わしつつ、物陰で見てても仕方ないか、と身体を出す。
オルカもメネスも、あれだけの激しい動きをしておきながら汗を薄く流している程度で、呼吸はまるで荒れておらず。
アルカンはそんな二人の様子をさも当然のように受け入れつつ、小さく頷いた。
――多分、今までに見た冒険者……いや、冒険者じゃないのかもしれないが……そういった連中の中では、一番強いかも知れない。
無論、エスメラルダとかと比べたら大分落ちはするが、それでもかなりの実力者だ。
辺境都市に居たギリアムと同等か――まあ若さとか考えるなら、それより上になるのかも知れない。
「――そうじゃ、エルトリス。折角こうしてここに居るのだ、二人の相手をしてもらえんかの」
「あん?」
そんな風に考えていると、不意にアルカンがそんな言葉を口にした。
どうして俺が、と口にしようかとも思ったが、空を見ればまだ薄暗く。
どの道このまま部屋に戻っても、人気のない街を歩いてもアルカンの言う事より楽しい事も無いか、と小さく息を漏らしてしまう。
……どうにも、アルカンに良いように使われてる気がしてならないけれど、それが俺にも都合がいいっていうんだから仕方がない。
「待って下さいアルカン師。エルトリスさんはまだ幼い子供ですよ、流石に危険です」
「そうだよー、それに、武器も持ってないしー……」
が、どうやらオルカとメネスの二人は納得が行かない……というよりは、無手の俺に武器を振るう事が嫌なのか、そんな言葉を口にした。
いや、どちらかと言えば俺の外見が問題なのか。
確かに絵面を考えれば、大人とも言える二人が子供にしか見えない俺に武器を振るう訳だし、二人がそんな事を口にする理由も判らないでもない。
「――戯け。外見に惑わされるなと、常々口にしているのを忘れたか」
――だが、そんな二人をアルカンは静かに一喝した。
決して大声ではないが、しかし空気を震わせるようなその喝に、オルカとメネスの表情が切り替わる。
それは、師を失望させた自分への怒り。
それは、師にそこまで言わせる俺への興味。
二人が抱いたものはそれぞれ違ったのだろうが、どちらにせよ俺に向けている表情にはもう気遣いらしいものはなかった。
「……申し訳有りませんでした、アルカン師、エルトリスさん。では、武器を――」
「あー、要らねぇよ」
俺に軽く頭を下げつつ、昨日垣間見たルシエラを、と口にしたオルカの言葉を遮る。
……ルシエラはまだ寝ている真っ最中だ。
魔族に襲われているならまだしも、こういう事で起こしたら後が怖い。
――それに。
「寝起きにはいい運動だ。二人がかりで良いぞ」
「――」
「……ふぅん」
夕方から明け方まで眠ったせいで少し固まった身体を動かすっていうんなら、無手のがいっそやりやすい。
肩を軽くぐるぐると回しながらそう言えば、オルカとメネスの表情が少しだけ険しくなった。
これだけの実力者だ、成程自分の技や武には誇りも有るのだろう。
その誇りが少し傷ついたのかもしれない。こっちとしては、そんなつもりは全く無かったんだが。
「カッカッカ、挑発とは余裕じゃのう。もし負けたらその実りを好きにしても構わんか?」
「ぶ……っ!?ぶん殴るぞクソ爺――っ、と」
カラカラと笑いながら、冗談とも聞こえない言葉を口にするアルカン。
それに思わず吹き出して言葉を返し――その瞬間、頭上と足元を鋭い一閃が掠めた。
実に、殺意が籠もってる。
いやまあ、実際は頭を打ち据える程度だから死にはしないんだろうが。
「――メネス」
「うん、合わせるよ」
一撃、二撃、三撃。
前後左右、こちらの動きを潰すような勢いで二人の攻撃は続く。
頭、足、胴。
腕、頭、胸。
成程長い付き合いなのか、オルカとメネスの連携は実に見事だった。
「よ、ほっ、はっと」
「……っ」
「はえー、おじいちゃんみたい」
――無論、それは今まで相手にしてきた人という種族の中において、だが。
速さだけで言うのなら、空中で縦横無尽に動きながら蹴りつけてきたファルパスの方が速いし、手数で言うのであれば八本の腕で流星の如く拳打の嵐を放ってきたヘカトンバイオンの方が圧倒的に多い。
回避されつつ、オルカは信じられないと言ったように目を見開きつつ、メネスは相変わらず自分のペースを崩すこと無く、しかし驚きを口にする。
そうして数度連携を躱せば、オルカの表情が変わった。
「――獲物を使います。メネス、気をつけて」
「はーい」
オルカがそう口にした瞬間。
どろり、と長物を巻いていた布地が、まるで腐り果てるかのように溶け落ちる。
「ソイツがテメェの獲物か」
「ご安心を。槍術を扱うのに、封が邪魔だっただけですので」
中から現れたのは、ドス黒く波打った刀身をした槍。
その刀身を淡く紫色に光らせるその姿は、自らを収めているモノを腐らせたソレは、成程尋常な武器ではないのだろう。
ヒュオン、と風斬り音を鳴らしながら魔槍を軽く振るい、再び二人の攻撃が始まった。
「つっても、な」
「――っ、何故……!?」
だが、当たらない。
布地が解け、本来の動きで魔槍を扱い始めたオルカの動きは先程よりもより鋭く、熾烈なモノへと変わっていったが関係はない。
突き、払い、薙ぎ、叩く。
無論、オルカがその触れたものを腐食させるらしい魔槍の力を扱っていないのも有るのだろうが。
如何せん、攻撃が余りにも直情的で、読みやすい。
技のキレ、鋭さ、速さはどれも一級品だとは思うが、どちらかと言えばやりづらさならばメネスの方が上だろう。
「すごい、すごーい。私もオルカも、大真面目なのにー」
「――っ、と」
服の裾に軽く刃が掠める。
ルシエラが有ればとっくの昔に二人の武器を噛み砕いて終わってるんだが、延々避け続けるってのはやはり性に合わない。
二人もどうにも攻めあぐねているみたいだし、少し小腹も空いてきた。
そろそろ終わりにしてもいいだろう。
頭部。オルカの魔槍が頭を撃ち抜かんと奔る。
胴体。メネスの曲刀が、腹を斬り裂かんと迫る。
「え」
「あっ」
――その刃が交錯する刹那。
それを軽く跳んで躱せば、上から思い切り踏みつけて……武器を踏まれ、地面に押し付けられた二人の動きはそこで、完全に停止した。
「――参りました。まさか、ここまで手も足も出ないとは」
「驚いちゃった。全然当たらないし」
「まあ、眠気覚ましにはちょうど良かったよ」
動きが止まった二人に背を向けて、踏みつけてしまった武器から足を退ける。
二人も殺気を押さえ込めば、素直にその武器を収めたようで。
「カカッ。実に良い動きじゃな、お嬢ちゃん」
そんな二人を、そして俺を見ながらアルカンは楽しげに笑い――
「じゃが、まだ少し浅いの」
「あ――?」
――その薄く開いた目を少し鋭くすれば、とん、とん、と。
事も無げに、俺の服の破れた部分を、鞘に収まったままの曲刀で軽くつついた。
腰回り、そして胸元。
破れた、というよりは裂かれたその部分はほんの僅かなモノだったが、その部分をアルカンは容易く触れてみせたのだ。
「身体の感覚をまだ掴みきっとらん。まあ、そんだけ実っとったら仕方ないかもしれんがの」
「な、ん……っ、この爺……っ!!」
「あ、アルカン師、おやめ下さい!もう、申し訳有りませんエルトリスさん……!!」
むに、むに、と鞘で胸元を軽く押されれば、顔が熱くなる。
慌ててオルカがアルカンを捕まえて引っ剥がしはしたものの、だぷん、と重たげに揺れる自分の胸に、どうしても顔の熱は収まらず。
「なーに、弟子の面倒を見てもらった礼じゃよ、礼。そこさえ出来ればお嬢ちゃんは満点じゃ」
「はいはい、わかったよーおじいちゃん。でも弟子の人以外にそういう事しちゃだめだからねー」
カラカラと笑いながら、オルカとメネスに左右から抱えられて運ばれていくアルカンを見つつ。
俺は胸元を抑えながらも、アルカンに言われたことが、妙に耳に残ってならなかった。
――浅い。掴みきれていない。
曖昧で、しかし的を得ているようなその言葉。
両腕で、俺の……小さい身体にはあまりにも不釣り合いな、重たいそれを持ち上げる。
両腕にしっかりと負担がかかるくらいに、ずっしりと重たくて、腕の上で柔らかく形を歪めるその駄肉は、見ているだけで恥ずかしい、けれど――……
「……くそ、爺め」
まだ冷めない顔の熱に、そっと冷たい手を当てて冷ましながら。
ぐうぅ、と小さくなったお腹の音を聞けば、俺は部屋に戻っていった。




