3.初日の終わり
「――はい、確認は以上となります」
「おう、手間かけたな」
一悶着あった後。
すっかり手持ち無沙汰になっていた受付に呼ばれ、俺達は無事ヤトガミの洞窟に入る手続きを済ませれば、軽くため息を漏らした。
……何というか、どっと疲れたと言うか、何というか。
ただ受付をして書類を書くだけで終わりだった筈なのに、どうしてこう、ギルドに行くと毎回絡まれるんだろう。
「おお、お嬢ちゃん達も終わったか」
「ああ、まあな」
『おっと、触らせんぞ。エルちゃんは私のモノじゃからな』
人型に戻ったルシエラにひょい、と抱き上げられつつ、同じように手続きを済ませたであろうアルカン達に視線を向ければ、アルカンは少しだけ残念そうに唇を尖らせた。
今までこういった手合いは周りに居なかったから、新鮮というのだろうか。
どうにもこう、対処に困る。
「――まあ良いかの。魔剣のお嬢ちゃんもさわり心地が良さそうじゃし」
『戯け。腰から下げてる立派なモノがあるじゃろうが』
「いやー、コイツはちょっとさわり心地は良くなくての」
ルシエラに手を伸ばそうとして軽くいなされれば、アルカンは少し困ったような笑みを見せながら、腰から下げている曲刀を指先で撫でた。
――淡い桃色と赤色で彩られた柄に、漆黒の鞘。
先程は刀身さえ見えなかったが、その鞘からするにかなり細身の曲刀なのだろう。
アルカンに撫でられれば僅かにリィン、と曲刀は音を鳴らし――……ああ、成程。
「何だ爺、テメェも魔剣持ってんのか」
「まあのう。魔剣、というか魔刀じゃがな」
ルシエラの先程の発言が少し妙だと思っていたが、どうやらアルカンも同じく魔剣を――魔刀を持っていたらしく。
俺の言葉に軽く頷けば、そのまま着いてこいとでも言うかのようにギルドから出て、歩き始めた。
「お前さん達はどこに泊まっておるんじゃ?」
「通りの先にある宿ですが――」
「よし、儂らもそこに泊まるとしよう。色々と愉しそうじゃ」
『……迂闊だのう、リリエル』
どうやら、アルカンは俺達にすっかり興味を示してしまったらしい。
女弟子……オルカとメネスの方に視線を向ければ、心底申し訳無さそうな表情を浮かべていて。
どちらにせよ責めるつもりも無いし、第一俺自身もアルカンに少し興味が有るのだから、まあ良いかと独りごちれば、アルカンの方に視線を戻した。
――何歳か、と言われればもう恐らくは100は近いんじゃなかろうか。
ボロ布ではないが、防具としての役割は一切果たさないであろう布地から少しだけ見えるその身体は、まるで枯れ木のように細く、頼りなく見える。
しかし背筋はまるで曲がっておらず、その足取りはふらつくことさえ無く真っ直ぐで。
そんな身体から放たれたであろう、あの感じることしか出来なかった剣閃は、正しく神業の域にあった。
「……何でヤトガミの洞窟に行くんだ?爺には魔剣も何も、ソレ以外要らねぇだろ」
「カッカッカ、お嬢さんがソレを言うか。それほどの業物を携えておきながら、アレに何を望むのかね」
「俺の方は、まあダメ元で……っていうのと、コイツの分をな」
静かに俺の隣を歩くリリエルに視線を向ける。
ほう、とアルカンは小さく言葉を口にすれば、するりと流れるような足取りで、リリエルの前に立った。
「――ほう、ほう、ほう」
「何か……?」
宿の方へと歩いているリリエルの邪魔をすることはなく、しかしその身体を舐め回すように周囲をぐるりと回りながら、アルカンは何度も呟き、頷いて。
――そして、徐にリリエルの尻をポンポン、と軽く叩いた。
「……っ!?」
「成程のう。よく鍛えられとる、が、荒削りじゃな」
「アルカン師!弟子でも無い方にそういう事をするのはおやめ下さいと何度……ッ!!ごめんなさい、申し訳有りませんリリエルさん!」
「い、いえ」
警戒はしていたのに、それをするりと抜けられて触られた事に驚いたのだろう。
リリエルは僅かにその表情を朱に染めつつも、羞恥だけでは無く驚きを声に入り混じらせて。
「……荒削り、とは?」
そして、アルカンの呟いた言葉に興味を示したのか。先程自分に無遠慮に触れたアルカンに、躊躇うこと無く問い質した。
アルカンは器用に、リリエルの方を向いたまま後ろ向きに歩き出せば、蓄えた髭を軽く撫でつつ言葉を続けていく。
「そのままの意味じゃ。誰かに師事する事無く、目的の為に鍛えたのじゃろう?言うなれば、素人が作った傑作の剣……と言った所かの」
成程、的確だ。
リリエルは奴隷となっている間に商人に色々叩き込まれた、とは言っていたが、それは奴隷としての範囲でのモノだったのだろう。
ソレ以外の――例えば魔族を殺す術だとか、戦う術だとかは、全て独学で学ばざるを得なかったのだ。
だから、センスや判断力が優れていてもそれで振るう武器が無い。
有るには有るが、奴隷として教わったそれと、リリエルの目的が合致していないのだ。
リリエル自身、敵討ちを……魔族をその手で殺す為には、自らの持つ力が余りにも不足しているのは痛感していたのか、アルカンの言葉に少しだけ唇を噛んでいて。
『――ま、だからリリエルの分の武器も見繕おうと思っての』
「そういう意味じゃあ、あそこは最適じゃな。千差万別、色とりどりの子に触れ放題じゃからのう」
「おじいちゃん、言い方がやらしーよ」
「カッカッカ!まあ、事実じゃろ!」
「……ったく、場所分かってんのかあの爺」
メネスにぼんやりと窘められつつも、アルカンは怯むこと無く笑いつつ、先を歩いていく。
呆れながら、俺とルシエラはその後を着いていって――不意に、リリエルが歩みを止めた。
「どうした、リリエル」
「――武器さえ手に入れれば、私は強くなれるのでしょうか」
「……さあ、な」
リリエルがポツリと呟いた弱音に、俺は返す言葉を持たない。
ただ武器を持てば強くなるかどうかなんて、そんな事は俺にはわからないし――その答えはすでにリリエル自身が持っているから。
「ほら、さっさと行くぞ。今日はもう宿に戻ったら休みたいしな」
「はい、畏まりました」
一瞬だけ漏らした弱音もどこへやら。
リリエルはそんな言葉を口にしたとは思えない程に、何時も通りの様相で俺の、ルシエラの隣を歩き始めた。
この切り替えの速さは、本当にリリエルの美点だと思う。
いつまでもウジウジ言わない所が気に入ってるから、俺も協力しようと思えてしまうのだ。
そうして、宿に着いた後。
アルカン達は部屋を取りに行ったのだろうが、俺がソレを待つ理由もない。
ただ受付をしにいっただけなのに随分と疲れたな、なんて考えながら部屋に戻れば、大分この辺りの寒さにも慣れてきたのか。
毛布を肩にかけて、温かい飲み物を口にしながらではあったものの、アミラは椅子に腰掛けてのんびりと過ごしていたようで。
「ああ、お帰りエルトリス……なんだ、妙に疲れた顔をしているな」
「あー、疲れた顔っつーか少し疲れただけだ」
『全く、エルちゃんにとってギルドは鬼門だのう』
そんなアミラに言葉を返しつつ、ルシエラの腕の上から降りれば、ベッドに突っ伏した。
アマツは霊峰アンテスの麓にあるって事もあってか、宿の質も良いらしい。
観光地だからなのかな、なんて考えつつ、以前泊まっていたエスメラルダの部屋の寝具に勝るとも劣らないフカフカとした感触に酔いしれつつ、床においてあった荷物袋を弄っていく。
「あー……あった、あった」
『すっかりそれがお気に入りじゃなぁ、エルちゃんは』
「買ってもらったもんだしなー……ん」
ふかふかとした感触を見つければ、荷物袋から――以前エスメラルダとの買い物で買った、うさぎのぬいぐるみを取り出した。
それを胸元の方に寄せれば、自分の無駄に大きな胸ごと軽く抱えて、目を細める。
やわらかな毛並みが肌に伝わると、それだけでとても安らいで心地が良い。
何というか、こうしているとよく眠れるような気がして……実際、ぐっすりと眠れるので最近はこうして眠るようになってしまった。
『くく、そうしておると年相応な女の子じゃのー♪まあ、そういうのが気持ちいいのは判らんでもないが、の』
「やかましい……」
ルシエラに頬をぷにぷにと突かれつつ、うつらうつらとしてきた意識の中、辛うじて言葉を返す。
「私も時々、大きな狼にこう、抱きつきたい衝動に駆られる事はあるからな……」
「少し、分かります。妹もそういうのが好きでしたし――」
『ま、私はエルちゃんがその代わり――』
そうして、三人が和やかに話し始める中。
ふかふかとしたベッドに、ふかふかとしたぬいぐるみで、心地よさに軽く埋もれるようになりながら……おれは、その柔らかな心地よさに身を委ね、意識を手放した。