閑話.少女と髪型
「――髪型、ですか?」
「ああ」
クロスロウドを出て少ししたある日の事。
ふと、エスメラルダに言われた事を思い出して口にすれば、リリエルは心底意外そうに目を丸くした。
『何じゃ何じゃ、ついにエルちゃんも色気づいたかの?』
「馬鹿、バーカ。単にその辺整えた方が動きやすいかなってだけだっての」
「まあ確かに、エルトリスは少し髪が長いからな。軽く結った方が邪魔にはならないと思うぞ」
俺の言葉を聞いてやってきたルシエラに軽く返しつつ、俺は自分の髪を軽く掬うとくるくると指先で弄り回す。
背中まで伸びた金色の髪は、特にざらついたり、べたついたりと言った事はなく、今までは特に手入れだとか、髪型に拘ったりとかはしてこなかったけれど。
やはり戦ってる最中だと、どうしても――こう、フワフワとして引っかかりそうというか。
いや、実際そんな場面は無かったけれど、言われたからには少し気になるのだ。
……決して、断じて色気づいただとか、お洒落をしたいだとか、そういう事ではなく。
言われてしまったからには意識せざるを得ないとか、ただそれだけの話。
「エルトリス様がそういった事を気にするのは、少し意外ですが……ええ、ですが良いことかと」
「ん。で、まあ俺はその辺良く判らねぇから、リリエルに任せたいんだが――」
兎も角、こういう事はリリエルに任せてしまえば安心だろう。
真面目だし、悪ふざけもしないだろうし、何よりそういうセンスに関しては信頼できる。
『――待て待て、まあ待て』
――そう、思っていたのに。
リリエルに頼もうと、任せようとした瞬間、それにルシエラが口を挟んできた。
『そういう面白そうな――もとい、エルちゃんの身嗜みに関してなら私達にも噛ませろ、のうアミラ?』
「む……いや、私は……それはまあ、興味が無いわけではないが」
「……おい、俺の髪は玩具じゃねぇぞ」
『案ずるなエルちゃん、私達も女じゃぞ?髪は女の命じゃ、無下には扱わんさ』
ひどく嫌な予感しかしない。
しない、が……流石のルシエラも、髪の毛で遊ぶというか、変な事はしない、だろうか。
「――はぁ。解った、解ったよ」
このままぐだぐだとさせても仕方ない、と俺は小さく息を漏らせば、結局リリエル以外の面々にも髪を弄ってもらう事にした。
どのみち、そういったことのセンスは俺には無いのだから仕方ない。
だって、元々は俺は男だし。短髪だったし。髪型とか殆ど気にして来なかったし。
まあ、きっと早々変なことにはならないだろう。
「――何してんの、アンタら」
『なんじゃ、見て判らんか鳥頭め』
「私にはエルトリスを玩具にしてるようにしか見えないんだけど」
竜車の上からひょっこり顔を出してきたクラリッサの言葉に、肩を落とす。
……変なことにならない、と思っていたのに。
「……エルトリス様には落ち着いた髪型が似合うかと」
「いや、やはり動きやすさ重視だろう。こう、後ろで纏めてだな――」
『戯け、せっかくの長髪じゃぞ!?可愛らしく飾らんでどうする!』
「……何か大変そうねぇ」
「お前は混ざるなよ、絶対に混ざってくるんじゃねぇぞ」
「言われなくても見てるだけよ。それにしても、髪型ねぇ」
各々の感性が違うのも有るのだろう。
俺の髪の毛はさっきから三人に良いように扱い回され、いろんな髪型を試されていた。
リリエルは、俺の長い髪を軽く三編みにして纏めたり。
アミラは、長い髪の全てを後頭部に纏めるようにして、うなじが出るようにしたり。
ルシエラは、左右に髪の毛を分けるようにして、リボンで結んだり。
まあ髪が長いと色んな髪型ができるんだな、なんて思いつつ。
その度に姿見に映る俺の印象がコロコロ変わるのが、ほんの少しだけ面白かった。
ただの幼い子供に過ぎないであろう俺の容姿が、ちょっと背伸びしてるように見えたり、年相応に見えたり、もっと幼く見えたり。
成程、女が髪型に拘るっていうのはそういうのもあるのか、なんて変なふうに関心しながら。
『――ええい、全く。ではエルちゃんに決めてもらおうではないか』
「そうだな、私達がどうこう言っても仕方ないか」
「そうですね、ではエルトリス様」
「……ん?」
……そんな事を考えている内に。
いつの間にか言い合うのを止めた三人は、俺の方をじぃっと見つめていた。
「私はもっとこう、はっちゃけた髪型も良いと思うけどねぇ。こんなのとか」
『鳥頭は黙っとれ!エルちゃんに何という髪型をさせるつもりじゃ!?』
一体どんな髪型を見せたのか。
俺からは見えながったが、クラリッサがさらさらと何かを書いてルシエラに見せれば、ルシエラは真顔で怒っていたけれど。
……ともあれ。
どうやら、俺がどういう髪型にするか、選ばなければならないらしい。
緩めの三編みか、後ろで纏めた髪型か、左右で纏めた髪型か。
正直な話、どれであっても――いや、ルシエラのだけはちょっと余りにも、その、可愛らしさが強すぎて抵抗はあるけれど――良いかな、なんて思っていたから、少し困る。
元より、俺自身髪型にそれほど頓着がないからリリエルに頼もうと思っていたのだ。
だと言うのに、決定権を俺に投げられたら何の意味も無いというのに――……
「……ああ、じゃあこうすりゃ良いのか」
そこまで考えて。
それならこれで良いか、なんて妥協にも似た解決策が、不意に頭に浮かび上がった。
「――で、今日はその髪型なのね」
「まあな」
頭の左右で揺れる髪を感じつつ、竜車の外を流れていく景色をぼんやりと眺める。
髪を結っているリボンが揺れる感触が少し擽ったいが、まあ少なくとも背中に伸ばしっぱなしにしているよりは、幾分かマシな気がした。
「その髪型だと、ホンットにただの子供よね、アンタって」
「……うるせぇな、ったくもう」
……が、クラリッサにそう言われると流石に少し顔が熱くなる。
鏡に写ってるときは似合ってる、と言われて俺自身そうかな、なんて思ってしまったけれど、言われてみれば確かに子供っぽいと言えば子供っぽい髪型なんだろうか。
「あ、別に似合ってない訳じゃないわよ?単に子供っぽいってだけ」
「一々言わないで良いっつってんだろ……っ」
繰り返し強調されてしまえば、俺は腕に顔を埋めるように突っ伏しながら、小さく息を漏らす。
そんな俺を見ながら、クラリッサはケタケタと可笑しそうに笑って。
『何じゃ、私がやった髪型に文句があるのかの?鳥頭は』
「無いわよ、別に。あ、そのうち私にも弄らせてね、その髪」
「あー解った解った、好きにしろ」
投げやりにそう返せば、クラリッサはニンマリと笑みを浮かべると、また竜車の外……幌の上にでも戻ったのか、ぎしり、と屋根を軋ませつつ姿を消した。
やれやれ、と口にしつつルシエラは俺の隣に腰を下ろせば、少し身体を寄せてくる。
「……んだよ」
『いや、似合っておるなーと思っての』
「子供っぽいってか?」
『あっはっは、そう拗ねるでない。私は大真面目に結ったんじゃぞ?』
俺の言葉に笑いながら、ルシエラは頭をなでてきて……そうされてしまうと、そう言われてしまうと、俺は顔を上げる事が出来なくなってしまった。
……なぜだか、どうしても頬が緩んでしまう。
撫でられるのが心地良いのも有るし……どうしてか、似合ってる、と言われるのがどうしても、心がふわふわして仕方ない。
『私だけじゃなく、アミラもリリエルもまあ、そうじゃろうな。良い落とし所かの』
「……まあ、自分でやるのが面倒だったしな」
『これから沢山私達がお洒落させてやるからの♪楽しみにしておれよ、エルちゃん』
「変なのは流石に突っぱねるからな?」
髪の毛を優しく漉かれ、心地よさに目を細めつつもそこだけははっきりと口にする。
――結局、日替わりでルシエラ達に髪型を整えてもらう、という事にしたけれど。
だからといって、妙ちくりんな髪型にするのを認めた訳じゃあないからなっ。
ルシエラはそんな言葉に、クスクスと笑いながら、ぽんぽん、と軽く頭に手を置いて、笑い。
『――まあ、私達はそうだがのう。軽々とあの鳥頭にまで許可したのは、どうかと思うぞ?』
「……あん?」
『ほれ』
ルシエラのそんな言葉に顔を上げれば、ぴらり、と。
何やら可愛らしい絵が描かれた紙を俺の腕の上に、目の前に置いてみせた。
「――……???」
そこに描かれていたのは、なんともこう、珍妙と言うか、派手というか。
そう言えば鳥は結構派手な色してるやつも多かったっけかなぁ、なんて思いつつ。
その、髪の毛を重力に逆らわせた――下手に絵が上手いだけに余計に――なんとも言えないそれに、言葉を失ってしまった。
「……っ、流石に……これは……」
『ま、約束したのはエルちゃんだからの』
そんな事を口にしつつ、ルシエラは心底愉快そうな、意地の悪い笑みを見せる。
……俺は幌の上で少し楽しそうに鼻歌を口ずさんでるクラリッサを、どうやって説得したものかと頭を悩ませつつ、肩を落とした。