25.英傑の、最後のお願い
「エルトリスちゃん、お風呂入ろっか♥」
「……ん」
一日中エスメラルダと付き合った、その夜。
少し眠気が頭をもたげ始めてきた頃になって、エスメラルダはそんな事を口にしながら、ベッドで横になっていた俺を軽く抱き上げた。
城に戻ってから、ルシエラが凄い形相で俺を見ていた気がしたけれど、まあアイツもエスメラルダと一緒に――少なくとも、こんな風に長く居られるのがもう最後だというのは理解してるんだろう。
特に文句を口にすることもなく、エスメラルダに譲るように今日一日はえらく大人しかったような気がする。
抱き上げられながら、俺は小さく欠伸を漏らすとこれはこれで新鮮だな、なんて今更ながらに思ってしまった。
思えば、一日中ルシエラと特に会話も無く過ごしたのは、これが初めてかも知れない。
――まあ、その分明日がちょっぴり怖いと思ってしまうのだが、考えても詮無き事だろう。
床に降ろされれば、今日一日くらいは良いか、とエスメラルダに身を任せるように軽く腕を広げて。
それを見たエスメラルダは、嬉しそうに笑みを零しながら、俺が着ていた服……というかドレスじみたそれを、丁寧に脱がせ始めた。
「エルトリスちゃんは、今日は一日どうだった?」
「どう、って?」
「楽しかったのかな、って」
明るく、鼻歌を口ずさみつつ。
俺を下着姿にまで脱がせれば、ふと、エスメラルダがそんな言葉を口にする。
……正直、そんな事を聞かれるとは思っても見なかった。
何しろ、今日は力を失っていた状態を俺を保護してくれていた――ついでに言うなら、ヘカトンバイオンとの戦いの時に役に立ってくれた――エスメラルダへのお礼のようなものだったのだ。
どちらかと言えば、それを聞くのは俺の方だと言うのに、と。口にはせずに、苦笑してしまう。
「まあ、そうだな……」
そのまま一糸まとわぬ姿になれば、俺は口元に指を当てながら少し考える。
ぬいぐるみは――最初こそ、何でこんな店にとは思ったものの、ふわふわとした感触は中々に楽しめた。
甘味の店も、まあやっぱりああいうのはもう美味しいのだと認めざるを得ない。
そこでちょっとしたトラブルもあったけれど、まあ魔族に関して新しい情報を得られたのだからさしたる問題でも無かったし――まあ、それに関してはエスメラルダ本人が悲しんでは居たが。
――なんだ、考えるまでも無いじゃないか。
「……うん、まあ楽しかったよ」
「――っ、良かった♥」
素直にそう口にすれば、エスメラルダは今までで一番嬉しそうな笑顔を見せつつ、自分の服に手をかけていく。
俺が楽しいと、嬉しいのか。
俺には良く判らない感性ではあるけれど、エスメラルダが喜んでいるのなら、それは多分良かったって事なんだろう。
上機嫌に鼻歌を口ずさんで服を脱ぐエスメラルダを待ってから、浴場に入る。
少し身体を屈めたエスメラルダと手を繋ぎながら、足を滑らせないように姿見の前まで歩いて、俺はそのままエスメラルダの膝の上に乗って。
……何だか、随分こんな感じにも慣れてしまった気がする。
なんだろう、こう、なんというか――こうするのが当然、というんだろうか。
膝の上に座らせてもらって、身体を洗って貰うなんていうのが、日常になってしまっているような。
そう考えてしまうと、顔が勝手に熱くなる。
意識してなければ平気なのに――いや、そうなってしまっている事が、どうにも恥ずかしい。
これじゃあまるで、中身まで子供になってるみたいじゃないか。
「それじゃあ、綺麗にしようね♥」
「……う、ん」
そんな考えも、エスメラルダに……その大きな手で、軽く身体を抱かれてしまえば、霧散してしまった。
俺の身体が小さいのもあるけれど、エスメラルダの手は本当に、本当に大きい。
腰回りとかでも簡単に掴まれてしまうし……手の大きさで言うなら、俺の倍、とまでは行かなくてもそれに近いくらいは有るんじゃなかろうか。
「わ、ふ……っ、あはっ……」
「くすぐったいかな、でも我慢してね?」
「ひゃ、きゃふ……っ♪」
その指先が足裏をつまんで、撫でる。
その指先が、手のひらをつまんで、撫でる。
お尻も、あしも、うでも――背中も、おなかも、おへそも、ぜんぶ。
泡まみれの指先が滑る度に、それがたまらなく心地よくて、安心してしまう。
エスメラルダの大きな手の中に、すっぽりと収められているかのような、そんな錯覚さえ覚えてしまって――……
「――はい、ばっしゃーん♪」
「わ、ぷっ」
……そんな心地よさに溺れていると、全身に浴びせかけるようにされた暖かなお湯に目を覚まさせられた。
身体を余すこと無く洗われれば、全身が心地よい暖かさに包まれていて。
まだ少し脱力している俺に笑みを零すと、エスメラルダはそのまま俺の髪も洗い始めた。
「エルトリスちゃんは、髪の毛も綺麗だよね」
「ん……そ、か?」
「うん、とっても。もっと色んな髪型とか試してみても良いかも♥」
色んな、髪型。
そう言われた所で思い浮かぶのは、精々後ろで束ねるくらいのものなんだけど――うん、今度リリエルやアミラ辺りに聞いてみるのも良いかも知れない。
……ルシエラは、無しで。アイツは間違いなく俺の髪で遊ぶタイプだし、うん。
髪の毛を洗ってもらう心地よさに目を細めつつ、それも少しすれば終わり。
前にしてもらった時のように、俺はエスメラルダの膝から降ろされて、ぺたん、と床に座り込む。
「――……♪」
鼻歌交じりに歌うエスメラルダを見上げれば、相変わらずその大きさに圧倒されてしまいそうだった。
立っている時もそうだけれど、こうして床に座り込んでしまえば尚更だ。
椅子に座っているエスメラルダは、まるで山か何かのようで――その巨大な双球も、凄まじい威圧感を放っている。
こう、見ているだけで勝てないと言うか、強制的に敗北感を植え付けてくるというか。
「……いや、いや」
……なんで羨ましい、とさえ思ってしまってるんだろうか、俺は。
いや、羨ましいというのは多分きっと、恐らくはその背丈に対してか。
エスメラルダの10分の1でも良いから背丈をわけてもらえれば、それだけでも大分違うだろうし。
そう自分に言い聞かせつつ。ふと、身体を洗っているエスメラルダと視線が合った。
「ん、どうかしたのエルトリスちゃん?」
「あ、いや、えっと……おっきいなぁ、って」
「あはは、ちょっと大きすぎるけどね」
突然尋ねられてしまえば、つい素直に応えてしまって。
俺のそんな言葉に、エスメラルダは苦笑しながら――その、見ているだけでもずっしりとしていそうなそれを、大きな手のひらで軽く抱えてみせた。
俺の身体を包むように洗っていたその手のひらでも余ってしまう、そんな巨大とさえ言える双球を少し撓ませるように洗っていって。
「……ふふ、エルトリスちゃんったら♪」
「わ、ぷ――っ」
つい、その圧巻とさえ言える様に視線を向けていると、エスメラルダは可笑しそうに笑みを零し、ばしゃん、と自分の体に付いた泡を流していった。
俺とは違ってたっぷりとお湯を使って身体を流せば、隣でぺたんと座っていた俺もお湯を浴びてしまって、思わず目を細め――
「甘えん坊さんなんだから――♥」
「ん、むっ」
――次の瞬間、顔が、上半身が吸い付くような柔らかさに包まれた。
心地よい、ただただ心地の良い、人を甘やかす為だけに存在するかのような感覚。
目を開いても、目の前は暗闇のまま変わる事はなく。
「む、ぅ……ん、うぅ」
「今日は一日疲れたでしょ?後は、お姉ちゃんに任せて甘えてて良いからね――」
甘い、甘い囁き声。
誰が、と言い返す気力さえも沸かず、頭の中に浮かぶのはこの感覚に身を委ねたい、という甘えた感情だけ。
ちゃぷん、と暖かな液体に――お湯に身体が浸ったのを感じれば、それで何とかエスメラルダに運ばれて、一緒に湯船に浸かっている事は解ったけれど。
それを確認しようと、この心地よさから抜け出すような事は、今のおれには、さっぱり浮かばなかった。
「……エルトリスちゃん、最後のお願い」
「――……?」
心地よさの中、しみこむようにエスメラルダの言葉が、耳に、頭にはいりこんでくる。
……ああ、なんだ、そんなこと。
「……おねえ、ちゃん」
「ん……♥」
――あまえるように、そのことばを、くちにする。
そうすると、エスメラルダはおれのことを、きゅうっと……つつむみたいに、だきしめて、くれて。
「おやすみなさい、エルトリスちゃん。大好きだよ」
「……う、ん」
やさしく、いとおしむようなその言葉。
おれは、それをきくと……やわらかなここちよさに、おぼれて、おぼれて。
どこまでもしずんでいくような、そんな感覚を、おぼえながら――おれのいしきは、そのまま、とけてしまった。