23.デート日和、そして出会い
「……おい」
「ん、どうかしたのエルトリスちゃん?」
「いや、まあ、確かに一日付き合うとは言ったが」
漸く今の格好にも、エスメラルダに抱っこされている事にも慣れ始めた頃。
エスメラルダは目的地にでも着いたのか、聞いたことも無い鼻歌を口ずさみながら、上機嫌で街の通りの一角にある店に立ち寄った。
一日付き合うと言った建前上、それ自体に文句が有るわけじゃあない。
……有るわけじゃあないんだが。
「何だ、この店」
「ぬいぐるみ屋さんだよ。ほら、私の部屋にもちょっと有ったでしょう?」
「有った……か?いや、まあ、うん」
いきなり連れてこられた店に、俺は困惑を隠す事ができなかった。
日用品や雑貨、或いは本――そういった物を買うのは理解できるんだが、どうにもこう、その何れかにも該当しないこの店は、不可思議で首を傾げてしまう。
一体、ぬいぐるみを……布と綿の塊を買って、どうしようというのか。
飾るのにだって嵩張るし、花とかと違って特に香るわけでもないし、さっぱり分からない。
「おお、エスメラルダ様」
「お久しぶりです、おじさん!」
「……まあ、良いか」
ただ、そんな疑問も楽しげに店主と言葉を交わして、あんな出来事があったにも関わらず新しく入荷――或いは作ったのだろうぬいぐるみを見て、目を輝かせるエスメラルダを見れば、瑣末事のように思えてしまった。
趣味は人それぞれだし、それに一々口を出すのは野暮ってものなんだろう、多分。
今まで俺の周りに居る女にこういう趣味を持ってる奴は居なかったから、困惑はしたが……趣味云々でいうなら、間違いなくルシエラの方が悪いんだし、このくらい可愛いもんだ。
「えへへ、見て見てエルトリスちゃん!このぬいぐるみ可愛いよね!」
「あー、そうだな」
嬉しそうにこっちに話しかけるエスメラルダが抱いていたのは、多分俺と同じ……いや、それよりちょっと大きいくらいの熊のぬいぐるみ。
元々容姿が抜群に良いエスメラルダがそれを抱え込めば、まあ少々幼稚な趣味とは言えど絵にはなる。
俺は少し適当に返事をすれば、エスメラルダは嬉しそうに笑みを零して。
「ほら、エルトリスちゃんも触ってみて?」
「ん――まあ、触るくらいなら」
そう言いながら、抱いていたぬいぐるみを差し出してきたエスメラルダに苦笑しつつ、俺はそっと手を伸ばせば。
――もふ、もふ、という柔らかな感触。
小さな俺の指先が沈み込むその心地よさにも似たソレに、思わず目を丸くしてしまった。
成程これは、触り心地が良い。
こう、手持ち無沙汰になった時に手元にあったなら、もふもふとしているだけで時間を潰せてしまいそうな、感じ。
毛布のような寝具とはまた違うその心地よさに、俺は指先を何度も沈み込ませて――……
「ふふ、エルトリスちゃんも気に入った?」
「――え、あ」
……エスメラルダに声をかけられて、ハッとする。
時間も忘れて触ってたのか、店主からも微笑ましげな視線を向けられていて――俺は顔を熱くしながら、少しだけ惜しい気持ちになりながらも指を離して。
「ま……まあ、悪くはない……んじゃ、ねぇかな、うん」
「それじゃあ、エルトリスちゃんもぬいぐるみを探そう?これだと大きいから、もっと小さいのを」
俺の言葉に、エスメラルダは嬉しそうに表情を綻ばせながら手を引いてきて……それに抵抗する気持ちも沸かなかった俺は、小さく息を漏らすと店の奥へと引っ張り込まれてしまった。
……ふわふわ、恐るべし。
成程これは確かに、エスメラルダだけじゃなくこういうのを好む奴が少なからず居るっていうのも、頷ける。
熊型の、狼型の、人型の――何がモチーフなのか分からないぬいぐるみを触りながら、少し悔しいけれど、こういうのも良いな、なんて思ってしまって。
「その子には、これくらいの大きさが良いと思いますよ。抱いても邪魔になりづらいですし」
「だって、エルトリスちゃん。ほら」
「あ……」
そうして店の中を歩く内に、店主が渡してきた人形を見れば、思わず小さく声を漏らしてしまった。
それは、白くて小さな、ウサギの人形。
とは言っても、頭がウサギなだけで身体はウサギというにはいささか丸っこかったが――それは、俺の小さな両腕にもちょうど収まるくらいの大きさで。
軽く抱けば、ふわ、ふわとした感触にどうにも気が緩んでしまう。
「……ふふっ。それじゃあこれとこれを下さい」
「袋はどうしますか?」
「お願いします、まだ寄る所がありますから――」
――そうしてふわふわとしている内に、いつの間にかエスメラルダがぬいぐるみを買ってくれたらしい。
俺が抱いていたそれと一緒に、大きな大きな熊のぬいぐるみを袋に入れれば、エスメラルダはそれを片手に俺の手を取って歩き出した。
流石に荷物が荷物なだけに、俺を抱っこするのは無理だと判断したんだろう、多分。
「えへへ、エルトリスちゃんもぬいぐるみを気に入ってくれて良かった♥」
「……ま、まあ……別に悪くはなかったしな。でも」
エスメラルダの隣を歩きながら、見上げる。
少し首が痛くなるくらいに見上げれば、漸くエスメラルダの顔が――見えるわけでもなく、その巨大な双球に遮られていたけれど、まあ仕方ない。
「良いのか?俺も一応金くらいは」
「良いの、良いの。エルトリスちゃんと思い出作りしたかったから――」
流石に俺の分まで買わせるのは悪いと口を開けば、エスメラルダはそんな言葉を口にして――そして、不意に歩みを止めた。
――ああ、そうか。
エスメラルダも薄々察してはいるのか。
俺がもうここにとどまる理由が無い事も……だから、もうすぐ別れる事になるのも、全部。
思い出作り、っていうのはつまりはそういう事なんだろう。
エスメラルダは俺の手を少しだけ強く握れば、視線を合わせるように思い切りかがみ込んで。
「――ね、エルトリスちゃん。お腹すいてない?」
何時になくいい笑顔で、そんな言葉を口にした。
「私はこのケーキにしようかな。エルトリスちゃんはどうする?」
「んー、あー……いや、任せる」
「そう?それじゃあ……店員さん、お願いします」
エスメラルダに手をひかれるままに歩いて向かった先は、以前にも行った甘味の店だった。
尋ねられて一瞬だけ、以前の氷菓子を――とも思ったが、以前と同じモノというのも芸がないし、面白くない。
ここは相手に任せてみるのも一興だろうと、エスメラルダに任せて俺は街並みを行く連中をぼんやりと眺めつつ、水を口にした。
廃墟と化した、花畑と化した一角から離れたこの場所は、すっかり平穏を取り戻しているようだった。
とはいっても、以前のような人通りは無く、半分かソレ未満まで落ち込んで入るのだけれど……だからといって、住民の表情にはそこまでの深刻さは無い。
多分、あの災厄とも呼べたヘカトンバイオンをエスメラルダが退けた光景を、多くの住民が見たからだろう。
一種の英雄譚とも言えるあの光景を見た高揚感が、まだこの国を平穏に保っているのだ。
――とは言っても、それも長くは続かないだろう。
この国が被った被害という現実に直面してしまえば、その高揚感も何れは冷める。
「……これから大変だな、この国は」
「うん。でも、もう大丈夫」
エスメラルダもそれを少なからず理解しているのだろう。
俺の言葉に頷けば、しかし以前のような気弱さを感じさせない笑みを見せた。
「あんな凄いのを相手にした後だもん。もう、怖いのが無くなっちゃった」
「――ああ、まあヘカトンバイオンやアリスと比べりゃあ、ドルボーみたいなのはカスだわな」
「もう、エルトリスちゃん。口が悪いよ?」
エスメラルダの言葉に軽く返せば、笑う。
当然といえば当然だ、あの怪物共と相対した事を考えればドルボーみたいなただ厭味ったらしいだけの豚なんて、塵芥程にも感じないだろう。
エスメラルダがこの調子なら、まあ二度とこの国があんな風になることも無い、か。
それが何故か、少しだけ嬉しい。
俺自身には何の関わりも無いことだと言うのに、この国が――というよりは、エスメラルダが良い方に進んでくれた事が、何故だか少し暖かに、感じてしまう。
「なあ、エスメラルダ」
「どうしたの、エルトリスちゃん?」
それだけに、惜しい。
「俺と一緒に来るつもりはないか?」
「……え」
これだけの強者を、手元から離してしまうのは、惜しくて堪らなくて。
それが無意味な事だと解っていても、俺は誘わずには居られなかった。
エスメラルダは俺の言葉に目を丸くして、固まっていたけれど――少しすれば、小さく笑みを零して。
「――ごめんね、エルトリスちゃん。お姉ちゃんは、ここから離れられないよ」
「……まあ、そうだわな」
予想通りの答えが返ってくれば、俺はそれ以上は何も言えなかった。
その答えは、エスメラルダ自身がその意志で選んだモノだ。
それを踏みにじってまで誘う、連れ出すなんて言うのはそれこそ、あの反英傑派みたいな連中と大差無い。
「でも、エルトリスちゃんが呼んでくれたら何時でも、どんな時でも、どんな場所でもお姉ちゃんは駆けつけるからねっ!」
「はは、まあ頼りにはしてやるよ」
エスメラルダの言葉に笑いながらそう返せば、何故かエスメラルダは少しだけ不満げだったけれど。
反英傑派はすっかり力を失ったし――そもそもヘカトンバイオンが居なくなった以上、それを指導する奴も居ない訳だし。
もし万が一、またヘカトンバイオンみたいな奴が現れたのだとしても、今のコイツなら問題なく対処できるだろうから、もう問題はないだろう。
そんな事を考えている内に、店員がケーキを運んでくる。
俺の方に置かれたのは、果物がちょこんと乗った白い一切れのケーキ。
エスメラルダの方は、クリームがたっぷりといった様相のケーキで。
「ふふ、美味しいそうだねエルトリスちゃんっ」
「まあ、そうだな。それじゃあ――」
「――ふぅん。思ってたより、普通の子ね」
――目の前のケーキに手を出そうとした、その瞬間。
いつの間にそこに居たのか、勝手に相席をしていた女が小さく声をあげた。
赤い髪を肩口まで伸ばした、ややキツめの美貌。
エスメラルダと違って、均整が取れたタイプの体つきをした、至って普通の身長のその女は、俺を、エスメラルダを見つめながら頬杖を付いていて。
「――っ」
「ストップ。争うつもりはないわ、敵意を抑えなさい」
「えっ、え……っ?」
咄嗟にルシエラを呼び出そうとした俺を、その女は片手で制した。
制されたからと言って止まる理由はない、が――成程、確かに目の前の女からは探る様子はあれど、敵意らしいモノは感じない。
……まだ目の前の女が何なのかを理解してない様子のエスメラルダは、その言葉に少し戸惑っているよう、だったが。
「そっちの間抜け面――は違うでしょうし。少し信じがたいけど、貴女がエルトリスかしら?」
「……そうだ。ったく、随分と大胆だな、魔族サマ?」
「――……っ!」
俺が口にして、エスメラルダは初めてそうだと理解したのだろう。
無理もない、外見はどこからどうみても完全に人間だし、魔族らしい部分といえばその瞳から感じるモノくらいしかないんだから。
――そう、まるで猛禽類でも思わせるような、その視線。
英傑に、そして外見上はただの子供である俺に向ける視線じゃあない。
つい先日あんな事があったってのに、それでもこんな目を向けられるってんならそれはもう、狂人か魔族くらいだろう。
「……ふぅん、本当に変わった子ね。ハンプティとバンダースナッチ、ヘカトンバイオン、それにアリスと出会って生き延びた――か」
身構えた様子のエスメラルダを見ても尚、目の前の魔族は特に動じることも無く、言葉を続けていく。
エスメラルダの方に置かれたスプーンを手に取れば、指先でそれを軽くいじりながら、俺が今までに相手にしてきた魔族の、魔獣の名を口にして。
「――ファルパスを殺したのは、アンタね?」
「ああ、そうだ」
――そして、最初に殺した魔族の、ファルパスの名を口にした瞬間。
目の前の魔族は、強烈な殺気を俺だけにぶつけてきた。
だが、殺気を放ったのはその一瞬だけ。
俺が動じる事無く頷けば、目を細めつつ、はぁ、とため息を漏らしつつ、肩を落とし。
「……じゃあ、仕方ないか。バンダースナッチとかヘカトンバイオンを退けるなら、ファルパスには荷が重すぎるもの」
「いや、ファルパスの奴も結構大した奴だったぞ。十分強かったと、思うが」
「そう、ありがと」
「え、あっ、ちょっと」
どこか諦めたように仕方ないと口にした魔族に、素直にそう返せば、魔族はまるで自分のことのように小さく笑みを浮かべれば、エスメラルダのケーキを一匙掬って口にした。
「……ん、おいし。ヒトもこういう所だけは捨てた物じゃないわよね」
「わ、私のケーキ……」
「で、敵でも無いってなら何の用なんだ、魔族サマ?」
はいはい、と勝手にケーキを摘まれて悲しげにするエスメラルダにスプーンを返せば、魔族の女は足を組みながら俺に視線を向ける。
先程のように殺意を込めたものではなく、最初のように探るようでもない。
「クラリッサ。私のことはそう呼んで構わないわ」
「そうかよ。で、何なんだ」
「――貴女、私達の陣営に入りなさい。アルケミラ様が、貴女を所望してるわ」
――ただ、さも当然のようにそう口にすれば、俺の返事を待つようにクラリッサは腕を組んだ。




