21.少女と魔剣、語らう
「――ん、ぅ」
心地良い暖かさの中で、目を覚ます。
もう既に日が昇っている時間なのだろう、閉じた幕の外からは明かりが差し込んでおり。
俺は大きく欠伸をしながら伸びをすれば――まだズキズキと痛む全身に、軽く悶絶した。
「っ、つつ……毎回これだと、身体が保たねぇな」
少し涙を滲ませつつ、誰に言うわけでもなく独りごちる。
部屋には誰も居ないのか、俺の声に応える者は誰も居ない。
まあ日も昇ってるみたいだし……何より、この部屋は多分エスメラルダのものだ。
あんな事があった翌日なのだから、きっとアイツも忙しいのだろう。
幸いというべきか、以前のようにルシエラの力を使い果たしたわけでもない。
十二分に力の入る手足を動かしながら、俺は幕を上げれば――眼下に広がる光景に、思わず小さく声を漏らしてしまった。
――そこにあったのは、魔導国クロスロウドの街並みだった筈だ。
整然とした街並みに、通りを沢山の人が歩いたり、騒いだり……その声がここまで届くほどに、活気のある光景が広がっている筈だった、のに。
「……こりゃ、大事だな」
しかし、眼下に広がっているのはそれとはまるで違う光景だった。
既に鎮火はしているものの、黒く焼け焦げて崩れ落ちた建物。
その一角を染め上げている、色とりどりの花が咲き乱れた花園。
通りに活気などあるわけもなく、動いている人間はおおよそ城の兵士のみで。
倒壊し、見る影の無くなった部分は全体の2割と少し程度のようだったけれど、それでもこの国から日常を奪うには、余りにも十分過ぎた。
他人事のように――実際他人事なのだけれど――呟きながら、俺は幕を下ろすと身体に纏っていた薄布を脱ぎ捨てて、どっかりとベッドの縁に腰掛ける。
「――ルシエラ、来い」
『む』
ぶっきらぼうにルシエラに呼びかければ、ルシエラも何もしていなかったのか。
特に嫌がる事もなく、文句を言うこともなく、しゅるり、と俺の身体から煙のように現れた。
……毎回こうなら、と思わなくもないけれど。
今までこうして呼んだのは割とピンチな時だったし、手荒な登場になったのも仕方ないのか、なんて考えながら――俺は軽く頭を左右に振った。
『何じゃ、気を使って精を吸うのは後に回しておいたというのに。そんなに私に可愛がられたかったのかの、エルちゃんは♥』
「あー、それに関しちゃ後でだ、後で――呼んだ理由くらいは、何となく解ってんだろ」
意地の悪い笑みを浮かべながら、隣に腰掛けつつ身体を寄せてくるルシエラに眉を潜めつつ、小さく息を漏らす。
体重を掛けられると否応なしに、ルシエラの体温やら柔らかさやらが伝わってきて、心が緩んでしまいそうになるが、今そうなる訳にはいかない。
俺の言葉に、ルシエラも何となくは察していたのだろう。
ふむ、と小さく呟けば、俺に寄りかかるのを止めて……代わりに膝の上に抱き上げれば、軽く抱えるように腰の前で手を組んだ。
『――今後について、じゃな?』
「ああ」
ルシエラが察してくれていたようで、真面目に話に応じてくれるようで少し安心する。
まあ、俺の生死はそのままルシエラの生死につながる訳だから、当たり前と言えば当たり前か。
何時になく真剣な表情を浮かべているルシエラを見上げつつ、俺は言葉を続けていく。
「今のままじゃ、これから先戦っていくのはかなりキツい。まあ、その原因はおおよそ俺の身体のせいなんだが」
『そうだの。子供の半分……文字通り幼子同然な身体で、良くこれまで戦ってきたものじゃ』
「……撫でんな、もう」
いつものようにからかう様子のない穏やかな声色に、少し顔が熱くなってしまう。
頭を撫でられれば、俺は目を細めながら……あれだけの激戦にも関わらず、豆や傷さえ残らず治ってしまった手を見た。
――成長しない、成長する余地が無い、というのはおそらくこういう事を言うのだろう。
普通ならば鍛錬を積めばその跡は身体に現れるものだが、この幼子の身体にはそれが無い。
どんな怪我も、ダメージも、鍛錬もこの体には痕跡一つ残らない。
どうあがいても、この体の幼子同然の脆弱さからは、逃れる事はできないのだ。
『それで、どうする。私はエルトリスが復讐を諦めて穏やかに暮らす、というならそれでも構わんが?』
「――冗談。策は幾つか考えた」
――だが、それでも。
一生成長する事のない檻に囚われたのだと理解しても、俺は復讐を諦めるつもりは毛頭無かった。
俺の言葉に、ルシエラも安堵したのだろう。にんまりと笑みを浮かべれば、先程のように優しくではなく、わしゃわしゃと頭を撫でてきて。
『よし、それでこそじゃ。して、これからどうする』
「ああ、ヘカトンバイオンを見てて思いついた事があるんだ」
そんなルシエラの様子に、少なからず俺自身も嬉しくなりながら、これからの計画を口にした。
――ヘカトンバイオンは、紛れもない強敵だった。
本体がどうであったかは分からないが、様々な身体を使いこなして戦うその様は、その力は紛れもなくアイツ自身の実力だ。
寄生して操るというその能力を遺憾なく発揮して、魔導国に深々と爪痕を残してみせたのが、その証明と言えるだろう。
そう、つまり。
「――魔剣。まあ剣に限らず武器……いや、防具でも、なんでも。それで強さを上乗せするってのはどうだ?」
この体がこれ以上成長しないのであれば、俺が使える手札を増やせばいい。
ルシエラ程のものは望めないにしても、扱えるモノを一つ、二つと増やしていけば場面場面で使えるモノだって――有効な手段だって増えていく、筈だ。
『……』
「……ん?どうした、ルシエラ」
……だが。
俺の言葉にルシエラは表情を笑顔で固めたまま……何故か、俺の腰の前に置いている手に少し力を込めた。
一体どうしたというのか、普段のように意地の悪い様子でもなく、先程までの穏やかな様子でもない――そう、まるで怒っているかのような、ピリピリとした空気を纏って。
『……私の前で浮気宣言とは、いい度胸だの』
「うわき……って」
そんな、突拍子も無い言葉を口にすれば――俺を抱きかかえたままベッドに転がり込めば、上から押さえつけるように両肩を掴まれた。
ベッドに押し付けられてしまえば、身動きが取れない。
恐らくはルシエラが俺への力の供給を抑えたのだろう、その両腕をはねのける事も、できず。
「お、おい。そんな変な風に捉えんな、ただそういう方法もあるだろうって――」
『やかましい』
「――っ、ん、む……うぅ……っ!!」
変に誤解されてると思い、言葉を口にすれば――開いたその途端に、唇が強引に塞がれた。
最近はされることもなかった、ルシエラからの口づけ。
強引に舌をねじ込まれてしまえば、それに抗う事もできないまま、口内を余すこと無く蹂躙されて――……
「んむっ、ぅ……ふぅ、うぅ……っ」
『ちゅ……っ、ん、ちゅうぅ……んぢゅる、ぅ……れりゅ、ん……っ』
……全身から力が、抜けていく。
精気を容赦なく吸い取られてるのも、ある、けど――ルシエラの口づけが、キスが、いつも以上に熱烈、で。
頭に、身体にじんわりと熱が広がると……内側から、おれが、溶けて流れて、しまいそう。
『――ふん』
「……ぁ……ふ、ぁ」
いつの間に、キスがおわっていたのか。
気付けば、ルシエラはまだ不機嫌そうな顔をして、おれのことを見下ろしていて。
そんなルシエラを見ながら、おれは……声をあげることも、できないまま。
全身が溶けてしまったかのような熱を感じながら、だらしなく開いた口元から、垂れるものさえ止められず。
『……条件がある』
「じょう……け、ん?」
そんな俺を見れば、少しだけ溜飲が下がったのか。
ルシエラは大きくため息を吐き出せば――再び、おれに顔を思い切り、ちかづけてきた。
唇が触れ合わない、ギリギリの距離。吐息が混じり合うその距離で、ルシエラはおれの目を、のぞきこんで。
『魂の契約を交わすのは私だけにしろ。その上で、メインで使うのが私であれば……嫌々じゃが、許可してやる』
「――……」
『それが嫌ならば諦めよ。諦めぬのなら、このままお前を溶かす』
――そんな、余りにも当然の事を、真剣な顔をして口にした。
元より、おれはそのつもりだった。
ルシエラ以上の武器は先ず望めないし、それにルシエラ以外の武器と魂の契約を交わすつもりだって有りはしない。
……そんな当然の事を真剣に尋ねてくる、脅してくるルシエラは、まだ少し憮然とした様子、だったけれど。
「……ね、ぇ」
『何じゃ。言っておくが、妥協は――』
「もしかして……しっと、した、の?」
まだ、少し熱っぽい意識の中。
ふと思ったことを、おれはそのまま口にしてしまった。
『――……?』
ルシエラが憮然とした表情のまま、固まる。
少しして何を言っておるのだコイツは、と言った表情を浮かべたかと思えば、その顔色は今まで見たことも無い程に赤く、赤く染まっていき――……
『……っ、ば、馬鹿者ッ!!調子に乗るな馬鹿がっ!!私が嫉妬じゃと、ええい頭まで赤ちゃんにでも成り下がったか戯けめっ!!!』
……そんな、とてもらしくない――可愛らしい罵倒を、口にした。
『え、ええい、全く、全く――っ、兎も角、この条件以外は認めんからな――!!!』
「わ、ぶっ!?」
ぼすん、と枕を顔面に叩きつけられながら。
奪われた視界の中で、慌ただしく、荒々しくドアを開閉する音が部屋に響き……俺は、まだ力の抜けたままな手で枕を退かせば、やっと落ち着いてきた頭でさっきまでのルシエラの様子を思い返していた。
「――ったく、いつもああなら可愛いんだけどな」
ルシエラの目の前で口にしたのなら、いい笑顔で折檻されそうな事を口にしつつ、俺は軽く笑って。
取り敢えずはルシエラの許可も取れたことだし、当面はこの方針で行こう、と――たっぷりと精を吸われた身体を横たわらせたまま、決めたのだった。