19.戦いの結末/来訪者
「――……っ、……ガ……」
眩い光に飲み込まれたヘカトンバイオンが、異音を上げながら膝をつく。
銀色の装甲は見る影もなく焼け焦げ、赤熱し、溶け落ちて。
内部の機構を露出させたその姿は、明らかにもう動けるような状態ではなかった。
今まで流暢に煽り文句を口にしていたその音声を出す機構さえも、今は異音を出す事しかできないのか、意味のある音は出てこない。
「……っ、は、ぁ……ぁ……っ」
そして、その光――星の息吹を全身全霊で放ったエスメラルダもまた、限界だった。
自らの全魔力を載せて放った一撃が、ヘカトンバイオンを焼き尽くしたのを見れば、安堵したような笑みを見せて――そのまま、地上へと落下していく。
ただ、そのままならば地面に激突していたであろうエスメラルダを、既の所で抱きとめる者が居た。
「――ご苦労さまでした、エスメラルダ様」
「え、へへ……あ、いたた……っ」
涼し気な顔をしているリリエルは、膝をプルプルと震わせながらエスメラルダを地面に下ろすと小さく息を漏らす。
エスメラルダは、先程反転した光から飲み込まれる刹那、それから助けてくれたリリエルの顔を見ればふにゃり、と頬を緩めつつも――流血の原因であろう頭の傷を、軽く抑えた。
「もうちょっと、優しく助けてほしかった、かも」
「何しろ、とっさの事でしたので」
光が反転する瞬間、何事かと呆然としていたエスメラルダの頭部に氷をぶつけて叩き落としたリリエルは、しれっとそんな事を言いつつ流血している傷を見れば、布地を軽く巻いて。
あいも変わらず淡々とした様子のリリエルに、エスメラルダは苦笑しつつも。
傷の処置が軽くとは言え終われば、魔力の大半を使い果たしてふらつくその身体に鞭を打って、無理やりに立ち上がった。
「……エルトリスちゃんの所に、行かなきゃ。私よりもあの子の方が心配だもの」
「そうですね、早く手当をしなければ――」
二人は顔を見合わせるとこくん、と頷いて。
様々な機転を効かせて、エスメラルダの魔法が通用するようにした、今回の戦いの一番の功労者。
エルトリスはヘカトンバイオンの猛攻を一身に受けていた筈なのだから、恐らくはただでは済んでいないはずだ。
だから、早く彼女の元へ行かなければ――そう、二人は足早に瓦礫の中を歩き出した。
『――む、やっと来おったか。ご苦労じゃったな、リリエル、大女――いや、エスメラルダ』
エルトリスの元まで歩く事、数分。
そこに居たのは、血まみれになったままぐったりとしたエルトリスと、それを心配そうに見つめているアミラ。
そして、そんなエルトリスを膝の上で優しく寝かせている、ルシエラの姿だった。
「え、エルトリスちゃんっ!?エルトリスちゃん、大丈夫――!?」
『ええいやかましい!案ずるな、命に別状はないわ。私の力を舐めるでない、全く』
「……何よりです。ご苦労さまでした、エルトリス様、ルシエラ様、アミラ様」
「私はあまり大したことはできなかったが、な。殆どエルトリスに攻撃を受けさせてしまった」
リリエルの言葉に心底申し訳無さそうにしつつ、アミラは小さく息を漏らす。
そんな彼女の様子に、リリエルとルシエラ、それにエスメラルダは顔を見合わせれば軽く苦笑した。
確かにエルトリスが攻撃を一身に受けていた事は事実だが、だからといってアミラが役に立っていなかったかといえばそれは違う。
エルトリスの一撃では届かなかった腕の破壊を成したのは、紛れもなくアミラの一撃なのだ。
だから、この中でアミラを卑下する者など、それこそアミラ自身しか居ない。
『自分を過大評価しすぎじゃ、バカめ。お前の出来る範囲では最大限じゃろ』
「……うぐ」
「それを言ってしまったら、私もエスメラルダ様も、等しく役立たずになってしまいますね」
「い、いや、そういうつもりでは」
テキパキとエルトリスの負った傷の処置を行いつつ、リリエルの淡々とした――それでいて、少し意地の悪い言葉にアミラは慌てたように手をぱたぱたとすると、小さく息を吐いて。
そんなアミラの様子に、エスメラルダはどこか微笑ましそうに笑みを零せば、小さく寝息を立てているエルトリスの横……ルシエラの隣に腰掛けた。
「……えへへ、お姉ちゃん頑張ったからね……♪」
『おい、エスメラルダ。あれはエルトリスが貴様が生きている事を察しないように効かせた機転じゃからな?変な勘違いを――』
「ふふふ、起きたらお姉ちゃんがいーっぱい褒めてあげるね♥ううん、エルトリスちゃんに褒めてもらうのもいいかな……♥」
『――この大女……』
余程、お姉ちゃんと呼んでもらえたのが嬉しかったのか。
或いはそれがエスメラルダの琴線に触れたのか、頭から血を滲ませつつも、どこか恍惚とした表情を浮かべており。
やはりペドじゃコイツ、とルシエラは口にはしなかったものの呆れながら、煙をあげたまま動かなくなったヘカトンバイオンを見上げた。
――紛れもなく、今までで一番の強敵だった。
エルトリスと自身単体では打倒できず、奇襲を重ね、更に英傑という戦力を用いて漸く打倒する事ができた、そんな格上の相手。
『……少し、方策を考えるべきだのう』
エルトリスの髪を優しくなでつつ、ポツリと呟いたルシエラの声は、誰の耳にも入る事無く崩れ去った夜の街並みに消えていった。
――エルトリス達から程なく離れた、瓦礫の中。
焼け落ちたヘカトンバイオンの巨体から離れたその場所に、ずるり、ずるりと這いずる者が居た。
大きさは精々大人の手のひら程度の、赤黒い塊。
その全身にある無数の眼球をぎょろり、ぎょろりとさせながら、その塊は戦いの有った場所から離れていく。
「――あ、ぁ。くそう、失敗したなぁ……まさか、おじゃんになっちゃう、なんて」
ずる、ずる、ずるり。
身体をはいずらせながら、それは少し悔しそうに呻く。
その動きはひどく鈍重で、子供でさえも歩けば追いつけてしまう程。
――そんな小さな塊こそが、人形師ヘカトンバイオンの本当の姿だった。
あるのは全身にある無数の眼球……恐慌の魔眼のみ。
それ以外には手も、脚もない醜く脆弱な、恐らくは魔族の中でも最も弱い存在。
生物の体内に入り込む事で人形のようにその生物を操る力を持っていたヘカトンバイオンは、ただそれだけでこの国を混乱に叩き落としたのだ。
しかし、それも最早敵わない。
ヘカトンバイオンの存在は露見し、反英傑派が製造した魔導人形が暴れまわった今、反英傑派もお終いだろう。
時間を掛けて築いたヘカトンバイオンの人形劇は、今日完全に崩れ去ったのだ。
最早、ヘカトンバイオンがいかなる手を弄したとしても以前のように簡単には人間は、この国は踊ることはないだろう。
「まあ……良いさ、まだまだ、チャンスはある」
――だが、ヘカトンバイオンはそれを特に気にした様子もなく嘲笑っていた。
生きている。
生きているのであれば、幾らでも再起できる。
また人間に寄生し、暫くの間――この国が再び綻びるその時まで、のんびりと待つとしよう。
またこの国を――いや、今度は別の国で遊ぶのも良い。
ヘカトンバイオンはそんな事を考えながら、丁度いい身体は無いかと街中を這いずり、進み。
「――♪」
「……はは、まだ運があるじゃあないか」
眼前から進んできた、空色のエプロンドレスを来た少女を見れば、ヘカトンバイオンは心底楽しそうに笑いながら、ずるり、ずるりとその少女の元へと這い寄った。
近づいたなら、恐慌の魔眼で動きを止めて、寄生すれば終わり。
後は身体から記憶を読み取って、暫くの間はこの少女として過ごせばいい。
そんな事を考えつつ、歩いてきた少女が自身の魔眼の射程に入れば、ヘカトンバイオンは目を見開いて――……
「お人形劇は、楽しかったかしら?」
「は――え?」
……そんなヘカトンバイオンを、少女は歌うような声で、妖精のような笑顔で、小さな指先で摘み上げた。
手のひらの上に乗せれば、事も無げに視線を合わせながら、ヘカトンバイオンと言葉をかわし――ヘカトンバイオンは再び恐慌の魔眼を発動するも、少女は気にした様子もなく。
「とっても楽しそうだったわね♪うらやましい、うらやましいわ」
「な……バカな、これは――」
ありえない事態。
ありえない状況に、ヘカトンバイオンは混乱する。
恐慌の魔眼は間違いなく発動している。この至近距離であれば、幼い子供の精神などまたたく間に壊れている筈だ。
だというのに、目の前の少女は全く動じず、魔眼の影響も受けずに笑っていて。
「――は、は。そうか、成程。僕はとっくに運を使い果たしてた、訳だ。いや、むしろ幸運かな?」
「あら、どうしたの?何か楽しいことがあったのかしら」
――そこで、ヘカトンバイオンは目の前の存在が何なのかを理解した。
幼い少女の形をしたそれが、その特徴的な姿をした人ならざるものが何なのかを理解したヘカトンバイオンは、今度は別の意味で笑い出す。
そう、これはむしろ行幸だ。
これほどの身体を貰い受けるチャンスは恐らくは二度とは無い。
「……その身体をもらうよ、六魔将アリス――!!」
幼い少女の形をした怪物にそう叫べば、ヘカトンバイオンはその手のひらの上からずるり、とアリスの体内へと入り込んだ。
いける、とヘカトンバイオンは確信する。
もし体内に入ることすらできないのであれば詰みだったが、アリスの身体は不思議と脆く、それを為す事は容易かった。
そもそもこちら側に来れた時点で、アリスは相当な枷を自らに課したのだろう。
つまり、今の弱っているアリスであれば、乗っ取る事さえ可能なはずだ――そう、ヘカトンバイオンは狂喜した。
六魔将の一角を人形にする、それ以上の戦果は他をおいてない。
この体を元にアルルーナの元へと向かえば、さぞ狂王は喜ぶことだろう。
大国の一角を混沌に堕とすよりも遥かに良い報せを送れると、ヘカトンバイオンはアリスの体内を進んでいく。
後は、アリスの中核を為す部分に寄生すればそれで終わり。
六魔将アリスはただの人形に成り果てる――
「――ふふっ、甘えん坊さんなのね♥」
「……っ、何だ、これは」
――その、筈だった。
アリスの体内を潜るヘカトンバイオンは、その今まで潜ったどの生物とも違う光景に戦慄する。
そこは、ただただ広がる一面の闇。
上も下も、右も左も、前も後ろもない、一片の光さえもない塗りつぶしたような黒。
「私の中は気に入ったかしら?」
「な……バカ、な」
そんな闇の中に、唐突に――ヘカトンバイオンの顔を覗き込むように、居るはずもないアリスが現れる。
さも当然のように言葉を口にしつつ、頭を撫でられて――ヘカトンバイオンは更に驚愕した。
赤黒い、無数の目玉を持つ小さな塊。
そんな姿だった筈のヘカトンバイオンの姿は、いつの間にか様変わりしていた。
目の前のアリスに合わせたような、同じくらいの背丈の少年。
姿見がなく、ヘカトンバイオンは詳しくは認識できていなかったが、それは丁度アリスを男にしたのならそうなるであろう背格好で――……
「さあ、一緒になりましょう?一緒に、ずっと、ずっと遊びましょうね♥」
「――あぁ……残念。やっぱり、とっくに運は使い切ってたか」
軽くアリスに手を引かれれば、ヘカトンバイオンは自身が一面の黒に吸い込まれていくような感覚を覚え、自嘲するように笑った。
これが六魔将。
これが、もっとも相手にしたくない存在とされるアリスか、と。
足掻いた所で無意味な事を悟っているからか、ヘカトンバイオンはそのまま、手を引かれるままにアリスに連れて行かれて――そして、暗闇に消えた。
「――ふふっ、甘えん坊さん。お家に帰ったら、皆と遊びましょうね♥」
アリスは楽しげに、幸せそうに笑みを零せば自らのお腹を撫でながらそう言うと、再び歩き始めた。
まるで、花畑の中を散歩でもするかのような笑顔で、焼け落ちた街の中をお友達に会う為にアリスは進んでいく。
「ふふっ、エルちゃんは遊び疲れてないかしら?ああ、とっても楽しみ――♥」
人間の、初めてのお友達。
そんな宝物とどんな遊びをしようかと、アリスは胸一杯に想像を膨らませながら、歌いながら――その歩いた後を、焼け落ちた街並みを花畑へと変えていった。