11.少女、王と出会う
「――おお、戻ったか。何事かと思ったぞ」
さて、何はともあれエスメラルダに抱えられたまま――先程は扉の前で座り込んでいた部屋に入った訳だが。
如何にもな調度品やらが並んだその部屋の中には、先程エスメラルダが血相を変えて部屋から飛び出したからだろう、エスメラルダの顔を見て安心した様子の老人の姿があった。
立派に蓄えた白鬚に、深く刻まれた皺。
肩から掛けた紅いマントと、所々に見える綺羅びやかな装飾品は成程、如何にも王様と言った出で立ちで。
しかしながら、そんな服装に垣間見える体格はとても老人とは言えない程にしっかりとしており、背筋も真っ直ぐで……背丈も、エスメラルダより僅かに低い程度はあるんじゃなかろうか。
何より、俺とエスメラルダを見るその表情も、その姿もとてもじゃあないが、単なる老人とは口が裂けても言えない威容を讃えていた。
「……意外、だな」
「どうしたの、エルトリスちゃん」
「ああいや、てっきり……もっとこう、ボケた感じの爺かと」
「ぶっはっ」
エスメラルダの言葉に素直に思ったことを口にすれば、エスメラルダは俺を抱えたまま思い切り噴き出した。
……だって、仕方ないだろう。
ドルボーやら使用人やら、この城の中まで反英傑派を入れて放置しているような王が、こんなにまともそうな奴だなんて誰が思う。
王は俺の言葉に目を丸くしつつも、くく、と軽く喉を鳴らせば俺達と――
『――待てと言ったじゃろうが、この、大女……っ』
「ふ、む。彼女は?」
「あ……え、ええと、あの人はルシエラさんです。エルトリスちゃんの、その――」
「……成程、ならば良い。そちらに掛け給え」
『ぬ……なんじゃ、この爺は。まあ、少し疲れたからの……』
――遅れて部屋に飛び込んできたルシエラに、特に動じること無く、長椅子に腰掛けるように促した。
俺はエスメラルダの胸元から降ろされれば、二人の間に挟まれるようにされつつ腰掛けて。
正直少し圧迫感が有るものの、まあ膝の上に抱かれながら話すよりは少しはマシだろう、と小さく息を漏らした。
ルシエラもエスメラルダも、少しの間どちらの膝の上に乗せるかを静かに睨み合っていたようだったが、どうやら諦めたらしく、王の方へと視線を向ける。
「……さて。初めまして、かな。巨獣殺しの英傑殿」
「え――お、王様、何を言って」
「隠さずとも良い。先程の顛末は聞いておるし、何より佇まいで何となくだが、判る」
王から出た言葉にエスメラルダは慌ててそれを遮ろうとするものの、どうやら王は一目で俺をそうだと確信したらしい。
……つくづく、不思議だ。
この王はどう見たって無能じゃない、それどころか紛れもなく有能の部類に入る。
奸計に弱いようにも見えないし、相手を見る目だって確かなようだし――だからこそ、判らない。
「ああ、初めましてだな無能な爺。危うく、人には言えない目に遭うところだったぜ?」
「うむ、それに関しては詫びよう。危うくその柔肌に痛ましい傷が刻まれるところだったのだろう?」
「……?何処を見て――……っ!?」
俺の言葉に少しだけ申し訳無さそうな口調で、王はそう口にして……俺の一部に、視線を落とした。
――そこにあったのは、胸元が無惨に裂けたドレスとそこから零れそうになっている、俺の、胸で。
思わず顔に一気に熱が灯れば、俺は慌てて胸元を隠すように掻き抱いた。
そういえば、ルシエラを呼び出してからこの方、服装を全然気にしてなかった――……!!!
「はっはっは。まあ、済まないと思っているのは本当だ。後でドレスを用意させよう」
「……っ、こ、この爺……っ」
「え、エルトリスちゃんっ。王様、王様相手だから……!」
「構わんよ、英傑殿――いや、エルトリスか。今は彼女は儂に仕えている訳でもない、傅く必要は無いだろう」
顔を熱くしつつも、軽く息を吸って、吐いて。
……胸元を手で軽く隠すようにすれば、俺は……そこで初めて何でこんなに必死になってるんだ、と軽い頭痛を覚えつつも、王に視線を戻した。
「言っとくが、今後も仕えるつもりなんざねぇぞ」
「心配せずとも、君は儂には正直手に余る。手元に置いていては、なにかの拍子に爆発しかねんからな」
『……ふむ。不思議じゃな、それだけの目を持っておるのに何故豚を放置していたのじゃ?』
俺の言葉に軽く笑みを浮かべて返す王に、ルシエラが先程から俺が抱いていた疑問を口にする。
そう、それが判らない。
この王は暗愚でもなければエスメラルダに対して敵意を抱いても――反英傑派という訳でもない。
だと言うのに、何故獅子身中の虫でしかないあのバカ共を放置しているんだ……?
「豚……ああ、失礼、ドルボーの事か。済まないな、アレも昔は優秀な男だったのだが」
『嘘を言え、嘘を。生まれた時から品性下劣な肥溜め豚じゃろうが、あんな汚豚は』
「……解ってて放置してた、って訳だよな?」
「ああ、そうだ。いや、少し違うか」
ルシエラの言葉に少し可笑しそうに笑いつつも、王は少しだけ遠い過去を見るような目をして。
そして、放置していたという言葉に軽く頷けば――……
「……解っていても、手を出せない状況にあるのだよ。今の魔導国は」
……そんな、少し弱気が見える言葉を口にした。
解っていても、手を出せない。
つまり、反英傑派を排除しようにも排除できない理由がある、という事。
考えられる事は、そう多くはない。
一つは既に、この国の過半数が反英傑派に蝕まれてしまっている場合。
こうなってしまえば排除しようにも、排除してしまったら国はボロボロの虫食い状態になってしまうのだからやるに出来ないし、排除する時も多大な犠牲が出てしまう。
ただ、少なくとも俺が見る限りこの国はまだそこまで末期的な状況には見えなかった。
確かに反英傑派は居るには居るが、どう見たって少数派だ。今処理しちまえば、魔導国が負う傷だって浅く済むだろう。
でもそんな事は、この王ならとっくの昔に理解してるはずだ。
要するに、それ意外で排除できない理由があるという、事で……
……駄目だ、頭がグツグツ煮立ってきた。
「……あ゛ー、簡単に言え。どういう事だ」
「ふむ?それは、まるで儂に協力してくれると言ってくれているように聞こえるが」
「自惚れんな爺、テメェに協力する訳じゃねぇよ」
ぽんぽん、と隣に腰掛けてたエスメラルダの脚を軽く叩きつつ、小さく息を漏らす。
……まあ、世話になった礼では無いけれど。
コイツからの頼みもあれば聞くが、どうせ今は特に目的地だって無いんだから、暇つぶしには丁度いい。
「……エルトリスちゃんっ♥」
「ぬ、ぁっ!?こ、こら、抱くな、んむ……っ!!」
『この大女、止めんかっ!ええい、馬鹿力め――っ』
それが、よほど嬉しかったのか。
エスメラルダは隣に腰掛けていた俺をその両腕で抱き寄せると、そのまま胸元に押し付けて。
どこまでも沈み込むような感覚と、甘い香りに軽く酔いそうになりつつも、ルシエラが慌てた様子で――というか、少し怒った様子でエスメラルダの腕を引けば、やっと俺はその柔らかな塊から顔を出すことが、出来た。
……あぶなかった。
何というか、エスメラルダの胸は、力を取り戻した今でも危ない。
こう、何処までも沈み込むと言うか、甘く蕩けさせられるというか……直接戦闘でどうこうよりも、遥かに厄介すぎる。
「――はっはっは、どうやらエスメラルダは良い友人を得たようだな」
「は、ぁ……友人、だぁ?」
『何を言っておるか、耄碌ジジイめ。こんな大女、精々小間使いが良いところじゃ!』
「くっく、まあ、良い。どういう理由であれ巨獣殺しの英傑、エルトリス殿の助力を得られるのであれば、それほど好ましい事はないからな」
俺とルシエラの反応に、王は可笑しそうに笑いながら――どこか、嬉しそうにして。
一体何がそんなに嬉しいのか、俺には理解できなかったが……まあ、それを詮索したところで無駄だし、まあ、良いか。
結局エスメラルダの膝上に座らされた俺は、改めて王に視線を向けつつ……少し暖かな王の視線を受けながら、事の次第を聞くことにした。
――この魔導国に反英傑派が現れたのは、エスメラルダが貴族を殺害してから少し過ぎてからの事だった。
殺害された当初は貴族への同情の声は無く、寧ろ英傑を拐かそうとした貴族への侮蔑の声が殆どで、反英傑派など生まれるべくもなかったらしく。
「……んじゃあ、どうしてこんな事になってんだ?」
「儂にもそれは判らん。だが、反英傑派を作った者の思惑は想像がつく」
『国崩し、とでも言うべきかの。明らかに国を二分させて内側から瓦解させようとしておるな』
「……ごめんなさい、私が……ひんっ!?」
心底申し訳無さそうな顔をして、バカなことを口にしようとしたエスメラルダの腕を抓る。
素っ頓狂な声を上げながら、エスメラルダは俺の方を困惑するように見つめてきて……俺は思わず、ため息を漏らしてしまった。
「あのなぁ、今の話の流れでテメェが悪い場面は無かっただろうが」
「え、でも、だって――私が、あんな事しなかったら」
『おーおー凄いのう、国のためなら身体を豚に汚されても良いのか、エスメラルダは』
「ちが……っ、そういう訳じゃない、けど」
「――二人の言う通りだ、エスメラルダ。おそらく反英傑派を作った者にとって、その一件があったかなかったかは殆ど関係ないのだよ」
王の言葉に、エスメラルダは少しだけ目を見開き、視線を落とす。
……つくづく、何というか。
信じていたものに襲われたというのは、それを殺したという事実は、それだけコイツの心を歪めちまったらしい。
王もエスメラルダの様子を少し残念そうに見つめつつも、これ以上慰めたところで変わらないのは理解したのだろう、更に言葉を続けていく。
兎にも角にも生まれてしまった反英傑派は、当初はとても小さなグループでしかなく、危険視する程の勢力はなかった。
だが時を経る毎に徐々に、徐々に貴族を中心として勢力を強めていった反英傑派を危うく感じた王は、これ以上大きくなる前にとその首謀者を探り当て、処罰した。
そう、処罰したのだ。
根拠のない噂を流し、国を守る英傑を貶めんとする無知の輩は、早々にこの世を去った。
――だが、それで話は終わらなかったのだ。
「……その後もまるで変わらず、反英傑派には新たなリーダーが現れ続けた。それも時間を置くこと無く、一人処刑すればその翌日――いや、朝に処刑を行ったなら昼には新しいリーダーが現れてな」
「つまり、それだけ反英傑派が多いって事か?」
「いや、それとは違う。反英傑派のリーダーを処分した瞬間、そうではなかった者がリーダーとなっていたのだ」
『……何じゃそれは?』
「……判らないんです。幾ら調べても、調査しても――その、首謀者を処罰しても、反英傑派は消えなくて」
……成程、ようやく王がドルボー達を放置していた理由が理解できた。
つまり、処罰すればするほどに傷口が広がっていくのだ。
原因は判らないが、処罰――まあ、要するに処刑した瞬間そうでなかった人間まで反英傑派になってしまうというのであれば、手の出しようがない。
ふと浮かんだのは、あの……何だったか、大森林にいた魔族……バンダースナッチ……じゃなくて……
『……ハンプティの能力に似ておるのう』
「ああ、それだそれ、あの卵野郎だ。でも、あいつはとっくに死んでるぞ」
「似たような事例が有ったのか。良かったら聞かせてくれないか」
隠すようなことでも無いか、と俺とルシエラは顔を見合わせれば、大森林であった事をかいつまんで王に説明した。
クロスロウド大森林に、卵野郎……もとい、ハンプティという魔族が巣食っていた事。
その魔族は、エルフ達をその能力で生まれ変わらせる事で自らの手駒に変えていた事。
ハンプティの手駒であった巨獣の方がよほど手強かった事、など。
「……成程」
それを聞いた王は、口元に指を当てながら。
その深く皺の刻まれた顔の眉間に、ますますシワを寄せて――それから、小さく息を吐き出した。
「――まあ、それに関しては後で報いよう。それで、そのハンプティの能力であればこの状況は説明できるのか?」
「いや……それは、多分無理だな」
『そもそもハンプティが生まれ変わらせた奴らは無能で低能な輩に貶められていたからのう。知恵が必要な扇動者になるには少し無理がある』
「でも……それじゃあ、もしかして」
俺とルシエラの言葉に、エスメラルダは俺を抱く腕に少しだけ、力を込める。
……エスメラルダも気づいたのだろう。
俺も、ルシエラも――そして、王も小さく頷いて。
「――この魔導国に、未知の魔族が居る可能性がある、って事……ですよね」
「ああ、多分な。そう考えるのが自然だろ、この場合」
「……何と、いうことだ」
導き出された結論に、王は額に手を当てながら深く、深く息を漏らし。
反面、俺はハンプティでは散々肩透かしを食らったのだ、きっと今度こそは手応えのある楽しい相手に違いない、と……内心、少しだけ喜びを感じていた。