10.三英傑エスメラルダ、その正体
「……落ち着いたか?」
「っく……う、うん、もう大丈夫……ごめんね、エルトリスちゃん」
『ち……今回だけじゃぞ』
俺を後ろから抱えるようにしつつ、座り込んだまま。
少しの間嗚咽を漏らしていたエスメラルダはようやく泣き止んだのか、謝罪の言葉を口にしつつ、しかしその腕に籠もった力を抜くことは無かった。
まあ、今の俺ならこの程度なら簡単に引きはがせるんだが――それをしてまた泣かれたら面倒だし、今はやめておくとしよう。
寝る時とかに散々されたことだし、今更一回や二回こうされたところで変わることもないし。
「やっぱり、ルシエラさんは人間じゃ、無かったんだね」
『何じゃ、気づいておったのか?』
「うん、見た時から人じゃないのは視えてたから。でも、エルトリスちゃんを守ろうとしてるのは感じたし、だから良いかなって」
「あー?いやいや、コイツは基本的に俺をおちょくったりからかったりする事しか考えて無いバカ剣だぞ……っ、と」
『……ふ、ん』
思わず出してしまった言葉に、慌てて身構える……が、ルシエラがいつものように俺をお仕置きするような事はなかった。
俺の言葉に――というよりは、エスメラルダの言葉に、ルシエラは何故か、珍しく顔を赤くすると視線を反らしていて。
……明日は槍でも降るかも知れないな、なんて思いつつ。
そんなルシエラの様子に淡く笑みを零すエスメラルダを見上げれば、とんとん、と指先で俺を抱いている腕を叩いた。
「ん……どうしたの、エルトリスちゃん」
「……いや、まあ間違ってたら間違ってたで、笑ってくれて良いんだけどな」
……前々から疑問に思っていた事を聞くには、丁度いい機会だろう。
聞いたところで何が有る……という訳でもない、ただの興味本位だけれども。
こうして、まるで子供のように泣いてしまったエスメラルダを見たら、聞かずにはいられなかった。
「――お前、その力は何処で貰った?」
「え」
そう、俺にはどうしても、エスメラルダの持っている力をエスメラルダ自身のモノとは思えなかったのだ。
無論、ルシエラやマロウトのような魔性の武器で賄っているとか、そういう訳では無いのだろう。
今はエスメラルダ自身の力として振るえているのは解ってる、ただ――生まれ持っていた力とするには、奇妙な事が余りにも多すぎた。
昔から力を持っていたのなら、もっと傍若無人であって良い。
鍛錬で力を得たのであれば、感情の揺れ動きで力を暴発させるのは少しおかしい。
何より――これだけの力を持っている筈なのに、当の本人の心がまるでそれに追いついていない。
俺の言葉にエスメラルダは少し固まってから、魚のように口をパクパクとさせて。
暫くの間、言葉にするのを躊躇しているようだったが――やがて、小さく頷いた。
「……どうして、解ったの?」
「ただの勘だ。まあ、お前の態度とかそういうのがな」
「ん……そ、っか。うん、そうだね……」
エスメラルダは小さく言葉を口にしつつ、少しだけ自嘲的に笑うと、俺を抱く腕の力を少しだけ強めて。
「――そう、だよ。私……エスメラルダ……ううん、衛藤蘭奈はね、女神様からこの力を貰っただけの、ただの学生なんだ」
そんな言葉を口にすれば。
ぽつり、ぽつりと……その力を授かった経緯を、エスメラルダは口にし始めた。
私、衛藤蘭奈は異世界人である。
……なんて言うと、頭がおかしい人間だと思われるから、それを口にした事はない。
普段どおり高校に通って、授業を受けて、部活をして。
そうして家に帰ってお風呂に入って、ご飯を食べて、少し勉強をしてから眠る――なんて、そんな普通の日々を送ってたのに、目を覚ましたら真っ白な世界だったなんて、私だって今でも唐突だったと思う。
『――おめでとう!全人類の中から貴女は見事、私に選ばれました!』
真っ白な世界で初めて聞いたのは、そんな明るい声。
ゆるりと私の前に現れた、見たこともないような綺麗な人を目にして私は緊張してしまっていたのを、よく覚えている。
『ああ、そんなに緊張しないでいいのよ。貴女にはね、ちょっとしたお願いをしたいだけだから』
「お願い……です、か?」
『ええ。女神様からのちょっとしたお願い♪』
威厳、というか、威圧、というか。
口調にはそんなものはないのに、目にしているだけで身体を縛り付けられるような感覚に、私は辛うじて言葉を口にしつつ――目の前の女神様から、一方的に幾つかのお願いをされた。
私の世界が危機だから、どうか助けて欲しい。
そのための力を貴女にあげます。
その力をどう使おうと、貴女の自由です――……
……そんな、どこか小説とかで読んだようなお願いを。
『それじゃあ、後はお願いね?』
「――え」
そんな一方的な言葉とともに目を覚ませば、そこはもう私の居た世界じゃなくて。
寝間着じゃなくて制服で放り出したのは、あの女神様の一片の慈悲だったのか、趣味だったのかは判らなかったけれど――それからは、本当に、本当に大変だった。
地理が判らない。常識が判らない。何をすれば良いのかも判らない。
目で見る生き物には奇妙な数字がへばりついて離れず、慣れるまでは頭がおかしくなりそうだった。
自由と言うには余りにも、余りにも安全もなにもないその世界で、私は何度危険を感じただろう?
野生動物に襲われた時に魔力を暴発させて、そこでやっとこれが私が貰った力なんだ、って理解して――幾らお腹が空いても死ぬことが無かったのに気づいたのは、それからもう少し先だった、ような気がする。
その後は当てもなく彷徨いながら、この魔力という力の使い方を自力で何とか会得して、たまたま襲われてた王様を魔獣から助けて。
王様から手厚くもてなされて、この世界に来て初めて自分の居場所を得た私は、それはもう一杯頑張った、と思う。
頑張れば頑張っただけ、お城の人も、街の人も私のことを尊敬してくれて、褒めてくれて。
頑張れば頑張っただけ、私が女神様から与えられた力もどんどん、どんどん伸びていって。
そんな、元の世界に居たなら中々味わえないような感覚に、私は少し酔っていたんだと思う。
そうして、王様から英傑になってほしいって言われて……私は、私に居場所をくれたこの人達の為に、もっともっと頑張って、もっともっと褒めてもらおう、って。
そう、考えていた矢先に――私は、思い知った。
ああ、そうだ。
エスメラルダは、衛藤蘭奈自身はただの高校生だったんだ、って。
男の人に薬を飲まされて、襲われる寸前まで行って――そこで、酔いは醒めてしまった。
「――げ、ぇ……っ!あ、あ……っ、う、あああぁぁぁ……っ!!!」
あまりの恐怖に魔力が暴走して、目の前で、男の人は粉微塵になって、血煙のようになって弾け飛んだ。
部屋に散らばったそれを見て、胃からこみ上げてきたものを全て、吐き出して。
――初めて人を殺したその感覚は、今でも私の手に染み付いて、離れない。
男の人に薬を盛られて襲われそうになったあの夜の恐怖は、今でもこびり付いたまま、離れない。
その日から、男の人と会話をすることが怖くなった。
普通に話すだけなら良いけれど、敵意を向けられてしまったら、害意を向けられてしまったら、それだけで身体が竦んで動かなくなってしまった。
反英傑派、というのが生まれても――私は、何も出来なかった。
頑張れば頑張っただけ褒めてくれた人達も、半分くらいは陰口を叩くようになって。
だから、だから私はもっと、もっと……もっと、頑張って。
――そう思っていた矢先に出会ったのが、エルトリスちゃんだった。
エルトリスちゃんは信じられないくらいに、この世の全てに呪われてるんじゃないかと思えてしまうくらいに、か弱くて。
だと言うのに、自分の思うことをはっきりと口にしたり……そんな彼女を慕う人達で囲まれているのが、私にはとても、とても眩しかった。
そのエルトリスちゃんがあの大臣さんに蹴り飛ばされた時は、また魔力を暴走させてしまいそうだった、けれど。
元々保育士が将来の夢だった私は、エルトリスちゃんをとにかく守ろうと思った。
このか弱くて可愛い女の子を守ろうと、そう思った。
一杯愛して、可愛がって……この子にだけは、嫌な思いをさせないように、って。
「――……結局、嫌な思いさせちゃった、ね。ごめんね?」
「気にすんな、悪いことばっかりじゃねぇさ……なぁ?」
『……何のことじゃ?』
「しらばっくれんな。テメェ、効率よく精を得るために俺を放置しまくってたんだろうが……!!」
エスメラルダの……エトウランナ、は言いづらいしもうエスメラルダで良いか……話を聞き終えた後。
俺はすとん、と今まで抱えていた疑問の答えを得たような、そんな気持ちになった。
俺の言葉に視線をそらすルシエラにため息を漏らしつつ、酷く申し訳無さそうな顔をしているエスメラルダに視線を向ける。
……取り敢えず。
少なからず、力を失っていた俺を守ろうとしてくれていた訳だし……ルシエラの奸計が有ったとはいえ、早く力を取り戻せたのもエスメラルダの力が大きい訳だし。
エスメラルダには、ちゃんと恩を返さなければならないだろう。
借りをそのままにしておくのは、趣味じゃないし気分も良くない。
それに、何より――強者の先達として、未だに強者としての振る舞いを理解してないエスメラルダは、どうにも放って置けなかった。
「なあ、エスメラルダ」
「ん……なぁに、エルトリスちゃん」
「お前には結構世話になったからさ。何かお願いだとか、そういうのが有れば――?」
そんな事を口にしていると、不意に階段の方からガシャン、ガシャン、と大きな足音が響いてきた。
言葉を途切れさせつつ、入り口を見ればそこから少し急いだ様子の衛兵が部屋に入ってきて。
「――失礼します、エスメラルダ様。王がお呼びです」
「え……あ、そ、そうだった、お話を途中で切り上げちゃったんだ――!?」
そんな事を言えば、エスメラルダは慌てた様子で立ち上がりつつ走り出した。
……俺を、胸元に抱えたまま。
『な――ちょっとまて貴様!!エルトリスは置いていけ――!!!』
「あー……まあ、良いか」
色々有ったせいか、ぐるぐると混乱したまま王の居る部屋まで走ってく、そんなエスメラルダの腕に抱かれながら。
そして、それを後ろからハッとした様子で追いかけるルシエラの声を耳にしながら。
……まあ、恩返しはまた今度でも良いか、と。
軽く苦笑しつつ、俺はエスメラルダに抱かれたまま流れていく光景を、しばしの間眺めていた。




