6.少女、巷の噂を聞く
――エスメラルダの元に来てから、少しの時間が過ぎた。
最初の方こそ過保護気味だったエスメラルダもようやく距離感という物を覚えたのか、最近は少しはマシになってきた……ような、気がする。
「エルトリスちゃん、はい♥」
「……」
今日は、エスメラルダも少し時間が有るとの事で、初日以来――いや、初日も結局竜車からは降りなかったのだから、初めてクロスロウドの街中を散策する事になった。
アミラは大森林での生活が主だったせいか、物珍しさに視線をキョロキョロさせていて、少し微笑ましい。
一方でリリエルの方は、奴隷商人との行商の中で大国に行った事もあったのだろう、その無表情が崩れる事もなければ、特に浮ついた様子もなく、ルシエラの隣に座っていて。
『ふむ、偶には甘味も悪くないのう』
「氷菓子、というそうです。後でレシピを聞いてみましょう」
「はい、あーん♥」
「……」
……エスメラルダの案内の元、城下でも人気らしい店に来てみたは良いが。
正直な所、俺は少しどころではない疎外感というか、居心地の悪さを感じていた。
美味しいものを食べに行こう、というエスメラルダの言葉に俺はてっきり肉やら魚やら、少なくとも――そう、主食を口にできるものを想像していたのだが、案内されたのは甘味専門の店で。
肉も無ければ魚もなく、というか甘い物以外何一つ存在していないその店は、当然のごとく女の客ばかりだった。
まあ、姿だけを言うのであれば、今の俺も女ではあるんだろうが。
それとこれとは、全く別の話だろう。
「……エルトリスちゃんっ」
「……ああもう、判った、判った」
いい加減無視するのも限界か。
このまま無視を続ければ、口に直接氷菓子を押し付けてきそうな勢いのエスメラルダを見れば、俺は小さく溜息を漏らしながら、口を開く。
全く、何が悲しくて俺が――……
「ん、む」
「どう、美味しい?」
「……う、ん」
……口に広がった甘味に、素直に頷いて、しまう。
美味しい。あれ、甘味ってこんなに美味しいもの、だったのか?
そういえば確か、前にルシエラにクッキーだったかをねじ込まれた時も、美味しかったような記憶がある。
おれが元の体だった頃と比べて、甘味が美味しくなりでもしたんだろうか。
もっと、たべたい。
「はい、あーん♥」
「あー……」
「ふふ、そうしていると姉妹――いや、親子のようだな」
「……んっ!?」
そのまま、エスメラルダに促されるままに口を開けて――ぱくん、と口に入れてから、自分がしていたことに気づいて、顔が一気に熱くなる。
アミラは微笑ましげに、リリエルも少しだけ口元を緩めて――ルシエラは少しだけ不機嫌そうに、おれの方を見つめていて。
――おかしい、この間から何かが変だ。
前は意識してれば抑え込めてた筈なのに、どうして勝手に――……!?
「はい、あー……」
「……っ、い、良いっ!自分で食べれるってばっ!!」
「……そう?」
自分がしでかしていた醜態に顔を熱くしつつ、自分の元にもあった食器を手にして氷菓子を口にすれば、エスメラルダは酷く残念そうな顔をしていた。
全く、本当に全く。俺を子供扱いするのも大概にしろっていうんだ。
『くく、食べ方までまるで子供みたいだのう、エルちゃんは♥』
「あー?」
『いやまあ、変わっておらんか。だが、似合っておるわ、くくっ』
ルシエラの言葉に俺が不機嫌そうに睨めば、ルシエラは意地悪げに――しかしどこか懐かしむような顔をして、机の上にあった布地を手に取って。
「ん……っ」
『ほれ、口元が汚れておるぞ』
「……しかたねぇだろ、昔からずっとこうなんだから」
「昔から、というにはまだまだ若いだろうに。しかしまあ、確かに――」
口元を拭われれば、恥ずかしくはなるものの。
……まあ、食べ方というか、そういうマナーに関してはそう言われても仕方ないのは自覚しているから、反論はできなかった。
アミラの視線が向かっている先も、判っている。
俺が使っている、木製の匙――を持っている、その手。
しっかりと握るようにしたその手は、別にこの体になったからそうしているとかそういう訳じゃあ無く、元の体の頃からずっとそうだった。
何しろ食事の仕方だのなんだのは全部独学だし、教えてくれる奴なんて居なかったんだから仕方ないだろう。
「――直すつもりはねぇからな、面倒くさい」
「全く。今からそんなでは、大人になってから恥ずかしいぞ?」
『あっはっは……っ、成程、成程確かにのう!いや、面白い事を言ったなアミラ!』
「ん……?そんな笑う所だったか、私は至極真面目なんだが」
「……気にすんな、ルシエラがおかしいのはいつもの事だろ」
ゲラゲラとお腹を抱えて笑うルシエラから視線を反らしつつ、溜息を漏らす。
あむ、と氷菓子を咥えつつ、顔に溜まっていた熱を甘味と冷たさで抑えながら。
……しかしそうか、これが子供っぽいのか、なんて思ってしまうと、少しだけこういった作法というか、マナーというか……そういった物も、学んだほうが良いのかな、なんて思ってしまった。
そういうのを教えてもらうなら、まあリリエルが適任か。
ルシエラが力を取り戻したら、その時にでも教えてもらうとしよう。
「――ほら、エルトリスちゃん」
「ん……っ」
「ふふっ、口元べたべただよ?」
そんな事を考えていると、エスメラルダが少し可笑しそうに、微笑ましいものを見るような笑みを浮かべながら、優しく口元を拭ってきて。
拭った後の布地を見せられてしまえば――べとべとに濡れているそれを見れば、俺は折角冷めてきた熱が再び顔に灯ってくるのを感じながら、あむ、とそれを隠すように氷菓子を頬張った。
……氷菓子が溶けるのが悪いんだ。
別に、おれが子どもっぽいだとか、そういうのじゃあない。きっと、多分。
そうして氷菓子を俺が食べ終えれば、腹ごなしにと再び街の通りに出る。
相変わらず外は賑やかで、しかし諍いもなく和やかな物だった。
『しかし、すっかりその格好にも慣れてきたのう。どうじゃ、お姫様な気分は』
「……仕方ないだろ、あの服を洗いに出してる間はこういうのしか無いんだから」
俺の腕の上に載せながら、ルシエラがからかうように俺の服の裾をつまむ。
……そう、今の俺の格好は大森林での狩装束のようなアレではなく、エスメラルダが選んだドレス――それも、今日は薄いピンク色のそれだった。
今でも意識してしまうと恥ずかしいけれど、実際他に着るものがないのだからどうしようもない。
そう思ってしまえば、この服の恥ずかしさも多少なりとは我慢できる。
『中も可愛らしいしのう、くくっ♥』
「って、きゃあぁっ!?」
『……ぷっ、くくく。きゃー♥か、ふくくっ』
「~~~~……っ!!」
スカートをぴらり、と捲られて中を晒されてしまえば、思わず素っ頓狂な声を漏らしてしまい、顔が一気に熱くなってしまう。
……ルシエラの言う通りだ、何がきゃー、だ。
そんな声出すとか、なんでこう、我慢が効かなくなってるんだ、俺は……っ。
スカートをぎゅうっと抑え込みつつ、何とか気持ちを落ち着かせようと、平常心を保とうと息を吸い、吐いて。
「――もう、ルシエラさんっ!エルトリスちゃんが嫌がっているでしょう?」
『前にも言ったがエルちゃんは私の所有物じゃ。大女に何か言われる筋合いは無いわ』
少し怒った様子のエスメラルダを軽く流しつつ、ふん、と鼻息を荒くするルシエラを見れば、軽く肩を落とした。
全く、暫くこのままで居ろって言ったのはコイツだってのに、コイツがエスメラルダと喧嘩してりゃあ世話がない。
「――を覚ませ、民衆よ!!今こそ立ち上がるべきだ!!」
「……ん?何だ、あれは」
そんな二人のやり取りを尻目に、不意に聞こえてきた……まるで何かを喧伝するかのような男の声に、アミラが興味深そうに声を上げる。
声のする方を見れば、若干の人だかりとその中央にいる台の上に乗った男が一人。
「今こそ我々は武器を手にとって魔族と戦うべきだ!人間兵器という役に立たない存在を捨て、我々の手でこの国を守るのだ――!!」
「……あん?」
――その男が叫んでいる言葉に、俺は眉を潜める。
人間兵器、という台詞は確か……そう、あの小男がエスメラルダに向けて吐いていた言葉だ。
それと同じ事を口にしつつ、まるで男は民衆でも武器さえ持てば魔族に勝てるような、そんな口ぶりで周囲の人だかりに、通り過ぎていく人々に叫び続けていて。
その、全く具体性も無ければ実際にやればただ皆殺しになるだけの自殺行為に、俺は首を捻らずには居られなかった。
『何じゃあれは。自殺志願者でも募集しておるのか?』
「……いえ、あれは最近この街で多く見られる反英傑派の宣伝、ですね」
「は、反英傑派だぁ?」
何かを知っているのだろう、リリエルは無表情なまま――しかし視線を僅かに鋭くしつつ、意味不明な喧伝を続ける男を睨む。
反英傑派、という時点で訳がわからない。
英傑は国を魔族から守ったりしている守護者みたいなもんだろうに、それを否定して何がしたいんだろうか。
「――そういう人達も、居るんだよね」
俺達が一様にその不思議な派閥に首を傾げていると、エスメラルダがぽつり、と呟いた。
エスメラルダからしてみれば、守っている人間にいきなり反旗を翻されたようなものだし、さぞ怒り心頭だろう……と、思っていたのだが。
――エスメラルダの表情には、怒りどころか何か、諦めのようなものが宿っていた。
「彼ら曰く、英傑は名ばかりの情婦だ、毒婦だ、この国を犯す毒そのものだ――だ、そうです。私は馬鹿げた話だと思いますが」
「……そう思うことは、自由だから。それに……原因を作ったのは、きっと」
リリエルの言葉に、エスメラルダは頭を軽く左右に振ると、一瞬。
本当に一瞬だけだったが、酷く泣きそうな、そんな顔を見せて――……
「――エスメラルダ?」
「ううん、何でも無い。いこう、エルトリスちゃん、皆っ」
「……何というか、わかり易いな」
……それが嘘だったかのような笑顔を見せると、エスメラルダは足早に通りを進んでいく。
何というか、色々と気にしてるのがバレバレだ。
「……時間が有ったので、少し調べたのですが」
エスメラルダが先に行ったのを見計らって、リリエルはゆっくりと――エスメラルダに追いつかないように歩き出した。
俺もルシエラも、アミラもそれに習うように歩き、エスメラルダに聞こえないように言葉を交わしていく。
――リリエルが口にしたのは、最近このクロスロウド魔導国に広がっている噂話だった。
曰く、三英傑エスメラルダはろくに仕事もせずに私利私欲を貪っている。
曰く、王は三英傑エスメラルダに命を握られていて、この国はエスメラルダの魔の手に落ちかけている。
曰く、三英傑エスメラルダは魔族とつながっており、今までの戦果は全てでっち上げである。
曰く、三英傑エスメラルダは自分の気に食わない相手を殺した事がある――……
「……最後のは問題なくねぇか?」
「いや問題だろう、冒険者ならまだしも国を守る立場なのだぞ、エスメラルダは」
『まあ、そうじゃなぁ。私も別に良いとは思うが……そういう奴が高い地位に居る、というのはいい気分では無いかもしれんのう』
俺の反応にアミラは呆れたような顔を見せると、ふむ、と考えるように口元に指を当てる。
ルシエラの考えを聞けば成程たしかに、案外そういうものなのかも知れないな、なんて思ってしまう――が。
「――どれも、根も葉もない虚言だろう。エスメラルダは実力も有れば、度が過ぎる程に国に奉仕してるように見えたぞ」
「ええ、私もそう思います。つまり、これは反英傑派が流したデマなのでしょう」
「……回りくどいな、そうまでしてエスメラルダを排除したいってのか?」
『ふむ……まあ、人間が考えそうな事、じゃが』
そう、そのどれもが――少なくとも殆どが嘘である事は、俺達はなんとなく判ってしまった。
魔族とつながってる、なんて事はまあ有り得ないだろう。そんな事を考える程の邪さは、エスメラルダにはない。
王の命を握ってる、なんてのも無い。アイツにそんな度胸があるんなら、この国はとっくの昔にアイツの手の中だ。
そして、私利私欲を貪ってるなんてのはそれこそ笑っちまうような話だろう。アイツはもっとそうした方が良いって、俺が思ってるくらいなんだから。
『大方、元々地位が高かった連中のやっかみじゃろうなぁ。英傑が居ればそれだけで地位が一つ落ちるようなものじゃ』
「ええ、事実――エスメラルダさんが現れて以来、対魔族を担当していた役職の方々は、少なからず不利益を被ったようです。何しろそれを全てエスメラルダさんが一手に担ってしまった訳ですから」
成程確かに、そうなってしまえばそれまで魔族を相手にしてきた連中はお役御免になってしまうのだろう。
……でもそれは、決してエスメラルダが悪いわけじゃあない。
その役割を奪われた連中がエスメラルダよりも弱く、使えなかったのが悪いのだ。
嫉妬をするのも、罵声を浴びせるのも筋違いにも程が有る。
「……ばっかばかしい」
「呆れてしまうな、全く――しかし、取り締まられはしないのか、そういうのは」
「監視しているのは城の人間です。つまりは、そういう事でしょう」
『自分から絞首台に上がって悦に浸るとは。少し愚か過ぎる気がするのう、全く』
各々呆れ返りつつ、すっかり遠くなった――未だに喧伝を続けている男の姿を見る。
人だかりはその馬鹿げた内容に賛同するように声をあげてはいるが、街の人間の多くは通りすがるばかりで。
……ああ、でも。
あんな人だかりが出来てしまうくらいには、バカな人間が居るんだな、と思ってしまった。
「――皆、どうしたの?迷子になっちゃうよーっ!」
エスメラルダの声に視線を戻せば、そこには心配そうにこちらを見る大きな姿が見える。
俺達は多少離れた程度では見失いようがないその姿に顔を見合わせて苦笑しつつ、足早にエスメラルダの元へと歩いていった。