4.少女、歴史を読む
『ぷ……っ、あっはっはっは!なんじゃその格好は!!』
「なんだ、可愛いし似合ってるじゃないか。笑うことは無いだろうに」
「……そうですね、似合っているとは思います」
「……う、うるさい……っ」
――エスメラルダに保護された翌日。
早速というか何というか、俺はアイツに保護されたことを後悔しそうになっていた。
確かに英傑の元で保護される、というのはルシエラの力が戻るまでの間、身を守るには最善手だとは思う、思うのだが。
「とっても似合ってるよ、エルトリスちゃん♥」
「うぐ……ぅ……」
エスメラルダに軽く頭を撫でられ、ルシエラに笑われ、アミラ達にフォローされつつ。
ふわふわとしたリボンの感触と、身体に触れる柔らかな布地の感触に、俺は顔を熱くせずにはいられなかった。
以前バンダースナッチを相手にしている時に話しかけてきたヤツが俺にさせた格好――より、尚酷い。
いや、酷いというのは正確ではないのだろう。生地は上等だし、今まで着た物の中では一番良い物なのは間違いない。
……ただ、そのデザインが問題だった。
真っ白な、フリルたっぷりのフリルドレスに、それなりに長い髪を軽く結っている大きなリボン。
まるでどこぞのお嬢様だか、お姫様みたいに飾られてしまった俺は、始めこそエスメラルダに抵抗していた、のだが。
俺のここに来る時に着ていた――エルフの集落で着せられたあの服は、どうやら城のメイドに洗濯させてしまったらしく。
「……っ、あの服が、戻ってくるまで、だからな……っ」
「ん、こっちもかわいいのに……でもうん、エルトリスちゃんはあっちがお気に入りなんだね」
「い、一々撫でるなぁっ」
未だに冷めない顔の、頭の熱に唇を噛みつつも、エスメラルダにそう言うとまた頭を撫でられて、俺はぶんぶんと頭を振った。
……頭を振る度に、ふわふわとリボンが揺れるせいで、否応無しに今の格好を自覚させられるのが、本当にたちが悪い。
ますます熱くなる頭を軽く押さえつつも、それじゃあ行こうか、なんてエスメラルダが口にすれば、俺達は後を付いて歩き出した。
無論、着る服が無かったからというのもあるのだが、こんな服を着てまで部屋の外に出たのにはちゃんとした理由がある。
「それにしても、書庫に行きたいだなんて。本を読むのが好きなの?」
「あー、違ぇよ。いやまあ嫌いって訳じゃあないが、確認したい事があってな」
そう、書庫。
大国の城にある書庫ならば、きっと俺が知りたい物を調べられると思ったのだ。
今までも町や村に偶に……いや、稀にある本屋に寄っては軽く見てきたが、俺の知りたい情報は何一つ得る事は出来なかった。
ギルドでも調べられることは精々が武具の手入れの仕方やら、ギルドの規約やら何やらだったし、どうせ戦う事が出来ない今が丁度いい機会だろう。
「確認したい事……?」
「魔族について、ですか?」
「ああ、それも良いがちょっと違う。俺が知りたいのは歴史だよ」
「歴史……難しいことが好きなんだね。エルトリスちゃんは」
「……っ、い、一々撫でるな、ってのに……」
まるで子供が勉強するのを褒めるように、優しく頭を撫でられると頭が熱くなって仕方がない。
……ええい、我慢だ我慢、ルシエラが力を戻すまでの間だけだし、何よりこいつのお陰で知りたい事を調べられそうなんだから。
自分にそう言い聞かせつつ、ゆっくりと歩く――それでも俺はそれなり早足で歩かないといけなかったが――エスメラルダの後についていけば、大きな扉が目に入った。
エスメラルダが扉を開けば、書庫特有の本の匂いが鼻孔を突く。
俺の低い視界でも分かる程に大量の本が並んでいるのが見えれば、アミラもリリエルも少し驚いた様子を見せて――まあ、ルシエラは余り興味がなさそうだったが。
「これはこれは、エスメラルダ様。何か御用ですか?」
「うん、この子達に本を読ませてあげたいんだけど、大丈夫かな」
入ってすぐに声を掛けてきた……多分司書だろう老婆は、あの小男のようにエスメラルダに慇懃無礼な態度を取ることもなく頭を下げれば、俺に視線を合わせるようにかがみ込むと、笑みを向けてきた。
「無論です。ただ、本を汚さないように気をつけてくださいね?」
「……わかってるってのに」
……敵意がなく、善意を向けられているだけに悪態をつくにつけず、俺は軽くそう返すと視線をそらして。
そんな俺の様子を微笑ましいとでも思ったのか、司書は笑みを浮かべたまま立ち上がり、エスメラルダと俺達を軽く案内し始めた。
一通り案内を受ければ、後は各々自由行動ということになり、俺も歴史書を探しに行こう……とした、のだが。
「……何だよ」
「え?」
「いや、お前も好きにして良いって」
「うん、だから好きにしてるよ」
……何故か、エスメラルダは俺から着いて離れようとはせず。
口で言っても首を傾げるばかりで、もう仕方ないかと諦めれば、俺は書庫の中を歩き始めた。
幸い、先程司書が親切に案内してくれたお陰で歴史書の有る場所は判っている。
「っと、あったあった」
こんな身体でも、まあ書庫の中を歩き回るくらいは造作ない。
ふわふわしたスカートだとか、そういったのは気になるが……まあ、気にすればするほどルシエラを爆笑させるだけだから、極力意識しないものとして。
兎も角、目当ての場所にたどり着けば、俺は自分が知りたい物を探し――……
「……あ」
……探そうとして。
間抜けなことに、そこでようやく、俺は大変なことに気づいてしまった。
届かないのだ。
今の俺の背丈では、精々本棚の下から三段目くらいまでしか届かず、しかも上の方に至ってはタイトルを見ることすら叶わなくて。
「――ん、ここの本が欲しいんだね。はい♥」
「あ……きゃ、あっ」
思わぬ事態に呆然としていると、突然ふわっと地面から身体が離れてしまい、素っ頓狂な声をあげてしまった。
脇の下に両手を入れられて抱きかかえられた、と理解できたのはその一瞬後。
背中に感じる柔らかなクッションに、それがエスメラルダによるものだと理解出来たが……俺は思わずあげてしまった声に、顔を熱くしてしまう。
エスメラルダの背丈が背丈なだけあって、突然上がった視点にどくん、どくん、と変に胸が高鳴って仕方がない。
……このくらいの高さ、なんて事無かった筈なのに。
「……大丈夫、エルトリスちゃん?」
「え、あ――ああ、大丈夫だ。ええと……これ、かな」
心配するような声にハッとすれば、俺は軽く頭を振ってから棚の上の方に並んでいる本の中から、目当てのものを手にとって。
思ったより重いそれを両手で抱えるようにすれば、エスメラルダはそれを微笑ましくでも思ったのか、小さく笑みを零してから俺を抱えたまま歩き出した。
「それにしても、どうして歴史なんて?」
「あー……ちょっと、知りたい事があってな」
「んー、私もこっち……ううん、歴史には疎いから一緒に読ませてもらっても良い?」
「ああ、別に構わねぇさ」
軽く言葉をかわしつつ、エスメラルダは椅子を軽く引けば――そのまま俺を膝に乗せて。
少し恥ずかしく思いつつも、まあ一緒に見るっていうならこの方が確かに良いか、と俺は手にしていた歴史書を軽く開いた。
今から千年程昔の事までを軽く記してあるらしいそれを、軽く捲っていく。
興味がない出来事しか書かれていない所は適当に、少し興味を引く所は少しだけ時間を掛けて。
「……ん」
「どうかしたの?」
「あ……いや」
――だが、幾ら捲っても俺が求めているような情報は欠片も出てこなかった。
魔王エルトリスの名も。
それどころか、それを打倒したであろうあの少年の名前さえも、そこにはなく。
俺の名前は兎も角として、あの少年についても一切の記述がないのは、流石におかしいと首を捻る。
あの少年は、今で言うなら三英傑よりも更に上。単独で魔王を滅ぼした、連合にとっての救世主の筈だ。
「……もっと昔、って事か……いや、それは流石に……」
一瞬だけ、更に昔――2000年や3000年も経った後なのか、と考えもしたが、それにしては明らかにおかしい部分が幾つも有る。
野に居る獣の生態系は特に変わっては居ないし、地形だって所々ちゃんと覚えがあるものだった。
まあ、町や国の名前に関しては俺が覚えていないのが悪かったんだろうが……三つの大国といい、俺が元の体だった頃と比べて変わらない部分が余りにも多すぎる。
1000年よりも更に時間が過ぎた、というのにそんな事は有り得るのだろうか……?
そのまま更に捲っていけば、近代史――要するに、最近の歴史について記された部分に移り、念の為にそこにも目を通しては見たものの、やはり俺についても、少年についても記述は一切なく。
代わりに魔族と六魔将、そしてそれを閉じ込めている魔法について書かれているページを見つけると、俺はそこに視線を落としていく。
「……六魔将」
「とんでもなく強い魔族の事、だね」
ぽつり、と呟いた単語に、エスメラルダは俺の身体を軽く抱いた。
……そう言えば、三英傑は人側の最大戦力だ、なんて話を聞いたような気がする。
それはつまり、エスメラルダは何れはその六魔将と戦うであろう、という事に他ならず。
「何だよ、もしかして怖いのか?」
「……ううん、大丈夫。魔族だって何人も倒したし、私、とっても強いんだから!」
それはきっと虚勢ではないのだろう。
ただ、そう言うエスメラルダの顔には若干の陰りがあって――俺の視線に気づいたのか、エスメラルダは笑みを零すとぽんぽん、と優しく頭を撫でてきた。
「大丈夫だよ、エルトリスちゃんも、ルシエラさん達も、この国の皆も――全部、全部私が守っちゃうんだから」
「……まあ、好きにすりゃ良いさ」
少し無理をして言っているような気がするその言葉に、俺はそう返すと本を閉じる。
再びエスメラルダに抱き上げられ、他の歴史書も一応見てみたものの、何処にも魔王エルトリスや少年に関する記述は無く。
魔族や六魔将、今の世界に対するあれこれを多少見た所でそれ以上は無意味か、と俺は小さく欠伸をした。
「――ん、眠たくなっちゃった?」
「あー……まあ、久々に本ばっか、だったし……な」
エスメラルダの優しげな声に、瞼を軽く擦りながら息を吐く。
……それにしたって、大分眠気が強い。
エスメラルダの膝の上で……座り心地が良く柔らかな、暖かいその場所で本を読んでいた、っていうのも有るんだろうか。
「眠ってても大丈夫だよ、エルトリスちゃん。一杯本を読んだもんね」
「だから……子供扱いするな……って」
うつら、うつらとしながら言葉を口にしていると、ふわり、と身体が抱き上げられる。
そのまま柔らかな何かに押し付けるようにされてしまえば、軽く香る甘い匂いに、ますます意識はふわふわ、ふわふわとして。
「ん。それじゃあ本は私が返しておくから――……」
「……ん……」
……瞼が落ちるのを、抑えられない。
勝手に瞼が落ちて、ふわふわした意識はどんどん何も考えられなくなっていく。
エスメラルダの声も、聞こえていても何を言っているのか聞き取れなくなって、きて――……
「――む、エルトリスは眠ってしまったのか」
「うん。歴史の本を一杯読んでたから、疲れちゃったんじゃないかな」
「こうしていると、本当に普通の子供のようですね」
『……むぅ、この場面をエルちゃんに見せられればのう』
――エルトリスちゃんを胸に抱きながら、ルシエラさん達に声をかける。
すぅ、すぅ、と小さく寝息を立てる姿はとても愛らしくて、可愛くて――それはどうやら、ルシエラさん達にとっても変わらないみたい。
3人ともエルトリスちゃんの顔を覗き込めば、微笑ましそうに口元を緩めていて。
「私はエルトリスちゃんと部屋に戻るけれど、ルシエラさん達はどうする?」
「私はもう少し本を読んでから戻るとするよ。流石にこの数だ、興味を引くものが多くてな」
「私も料理について、もう少しメモをしておこうかと」
『……私はそうじゃなぁ、リリエルを横から眺めておくつもりじゃが――』
私の言葉に、ルシエラさんはそこまで言うとエルトリスちゃんから私の方に視線を移す。
……どうも、この人は苦手だ。
荒っぽい、というのもあるのだけれど、どうにもルシエラさんからは敵意にも似た何かを向けられているような、そんな気がしてしまう。
それに何より――私の目に映るこの人は、明らかに他の二人とは違いすぎて。
それでも、エルトリスちゃんを守ろうとしているのは何となく分かるから、それを口に出すような事はしない、けれど。
『――エルトリスを手篭めにするでないぞ?大女』
「てごめ……って、そ、そんな事するわけないじゃないですか――!!」
……こういう事を、真顔で言ってくるんだから本当に怖い。
私を一体何だと思っているんだろう、確かに保育士さんを目指していたし、小さい子供は好きだけどそういうのじゃないのにっ。
私が大声を上げれば、ルシエラさんは少しだけ可笑しそうに笑ってから、手を振って去っていく。
リリエルさん達も各々で本を探しに行ったのを見れば、私は小さく溜息を漏らしながら――司書さんに頭を下げて、書庫を後にした。
「……すぅ……ん……」
「もう……本当に、全く……」
胸元に抱いているエルトリスちゃんは、さっきの大声でも全然起きる様子は無い。
……指標が普通の子供の半分、という事はエルトリスちゃんはその見た目よりも遥かに体力がない、という事だ。
体の大きさに対して体力が追いついていないのだから、すぐに疲れてしまうのも、寝てしまうのも仕方がないんだろう。
「……かわいいなぁ……♥」
「ん……っ」
……そんなエルトリスちゃんの頭を優しく撫でて、額にキスをすれば。
私は自分の部屋に着くまで、エルトリスちゃんの寝顔に魅入りながら……部屋に戻ったらどうしようかな、なんて事を考えていた。