1.少女、大国に行く
俺達が置いてきた竜車は壊れる事無く残っており、走り蜥蜴も逞しく自分で草木や小動物を食べながら生き延びていた。
まあ半野生化してはいたんだが、リリエルの事はちゃんと覚えていたらしく。
竜車に大人しく繋がれれば、再び竜車を引いて人を運ぶ、そんな仕事に戻ってくれた。
「~~……♪」
『……ぷっ、ふふっ』
「……っ、何だよ」
『いやあ、お似合いじゃなぁ、と』
――まあ、それは良いとして。
俺達は今、三大国の一つであるクロスロウドに向かっていた。
理由は幾つかあるが、その一つは――今俺を人形のように抱っこしている大女、エスメラルダ。
こいつが俺を保護すると言って聞かないのが、一番大きい。
「エスメラルダ様。クロスロウド魔導国に着いたら、どうすれば?」
「ん、様付けは良いよ。呼び捨てかさん付けで呼んでほしいな、リリエルさん」
「……では、エスメラルダさん、と」
「うん。ええっと、魔導国に着いたら大通りを真っ直ぐ進んで。門から王城まではほぼ一直線だから、それで迷わないと思うよ」
エスメラルダの柔らかな口調に、リリエルは軽く頭を下げつつ竜車を走らせていく。
……三英傑、という仰々しい名前の割に、エスメラルダは何と言えば良いのか、身分だとか種族だとか、そういった者をまるで感じさせない独特の雰囲気が有った。
偉ぶる事もなく、寧ろ対等な存在として見てほしいと願っているかのような素振りさえ見えるその姿は、余りにも強者らしくはなく。
「しかし……意外だったな。貴女であれば、私達を無視してエルトリスを連れ去る事も出来ただろうに」
「え?そ、そんな人さらいみたいな事する訳ないでしょう!?大体、アミラさん達がエルトリスちゃんを必死になって守ろうとしてたのは、何となく判ったし……そんな人達を放ってとか、無理、無理っ!」
「……はは、まあほぼ一蹴されてしまったが、な」
慌てた様子で応えるエスメラルダに、アミラは軽く肩を落として小さく息を漏らした。
俺は気絶していたから判らなかったが。
俺を抱きしめているエスメラルダを見つけたアミラは、どうやらエスメラルダに問答無用で攻撃を仕掛けたらしい。
何でも俺を攫おうとしているように見えたらしく、いきなり射掛けてきたアミラにエスメラルダは即座に応戦して――……
「え、ええっと……集落の方は、大丈夫だった?」
「ああ、まああの程度ならな。一週間もかからないとは思う」
「そっか、良かったぁ……」
「ん、む……っ」
……その結果。
エスメラルダの反撃の余波で集落の一角は半壊、再び魔族に襲撃されたとパニックになった集落の混乱をウルゥとシュトルが収めるまでに一日かかり、アミラとエスメラルダの間の誤解が解けたのは翌日のことだった。
アミラの陳謝を受けて申し訳無さそうに頭を下げるエスメラルダの姿は、とても三英傑には見えなかったが、その実力は紛れもなく今まで――この体で出会った中じゃ、最強と言っても差し支えないだろう。
何しろ、その集落の一角をふっ飛ばした一撃は、重奏ではなくただの単発だったのだ。
普通ならば建物を壊す事さえできなさそうな一発の魔法で、集落の一角を吹き飛ばしたのだからその魔力――というか魔法の才能は、最早異能の域に達していると言わざるを得ない。
――それに、何より。
俺を見た瞬間に見せたあの表情と、口にした理解できない単語がどうしても、脳裏から離れない。
エスメラルダが俺に一体何を見たのか、それが気になって仕方がなくて。
「……ん、どうしたのエルトリスちゃん?えへへ、お姉ちゃんはここにいるからね♪」
「ちょ、ちが――む、ぎゅうぅ……っ」
『あっはっは……まあ程々にするんじゃぞエスメラルダ。エルちゃんは私のモノじゃからな』
「ふふ、本当のお姉さんはルシエラさんだもんね」
むにゅうぅ……と、身体が柔らかなモノに、頭が沈み込んでいく。
違う、と言おうとした口もそれに抑え込まれてしまえば、否定さえすることが出来ず。
ルシエラの笑い声――にしては少しキツいトーンが混じっているようなそれと、エスメラルダの楽しそうな声。
そして、俺の身体を万力のように強く、しかし柔らかく抱きしめるエスメラルダの身体に、俺はすっかり辟易してしまっていた。
「……エスメラルダは、小さい子供が好きなのか?」
「えへへー、だって可愛いし……って、変な意味じゃないよっ!?ただその、私、前は保育士さんを目指してたから――」
『ホイクシ?なんじゃ、それは』
「――あ、ええっと。小さい子供を預かって、育てる……場所?で、働く人……かな」
『……なんじゃ、やはりペドではないか』
「まあ……その、なんだ。人の趣味はそれぞれだからな」
「ち、ちがっ、違うよぅ……っ!!」
むにゅ、ぎゅううぅ。
エスメラルダの腕に力が籠もると、身体はすっかりその巨体に埋もれてしまって、身動ぎすら出来ない。
……というかルシエラ、絶対わざとエスメラルダをからかってるだろう、これ。
うぐ……何というか、甘い香りのせいで、凄く変な気分になる……頭もぼうっとするし……
「ともかく、エルトリスを離してやれ。また酸欠で気絶するぞ」
「へっ?わ……っ、ご、ごめんねエルトリスちゃん、大丈夫……!?」
「ぷ、は……っ、ぁ……っ、ら、らいじょぶ……」
……ナイスフォロー、アミラ。
心の底から感謝しつつ、俺はエスメラルダに大丈夫、と小さく頷くと軽く息を吸い込んで、改めてエスメラルダの膝の上で抱かれ。
「~~……♪」
そうして、少しすればまた、エスメラルダは上機嫌に聞いたこともない鼻歌を口ずさみ始めた。
何というか、本当に微塵も強者らしい風格も何もないエスメラルダは、その強大な力を誇示する事もなければひけらかす事もなければ、強引に何かを迫る事もない。
実力で言うなら遥かに格下であろうアミラやリリエルにも――今はルシエラもそうだが、上から目線で話したりせず。
このクロスロウド魔導国行きだって、俺やリリエルの怪我を知ったエスメラルダが、私に任せて、と自分から率先して提案したりしていたし――……
「……なあ、エスメラルダ」
「ん?なぁに、エルトリスちゃん」
「何で、こう……もっと好き勝手にしないんだ?」
……そう、何というか。
エスメラルダは圧倒的な強者でありながら、常に何かに縛られているような……或いは自分で自分を縛り付けているような、そんな感じがした。
俺をクロスロウドにつれていきたいのなら、エスメラルダなら単独で――それこそ、空を飛んでしまえばあっという間に浚えた筈だし、アミラ達が抵抗した所で集落ごと消し飛ばせた筈、なのに。
俺の言葉にエスメラルダはきょとんとしていたが、柔らかく笑みを零せば、その大きな手のひらでぽん、ぽん、と優しく頭を撫でてきた。
「エルトリスちゃんは、難しい言葉を知ってるのね。えらい、えらい」
「ん、ぐ……」
「……だって、皆と一緒のほうが楽しいもの。せめて、お城の外ではそう有りたいな、って――なんて言っても、エルトリスちゃんには判らないよね」
エスメラルダは少しだけ寂しそうにしつつ、自分で勝手にそう結論づけると、俺を抱く腕に少しだけ力を込めながら、また聞いたこともない鼻歌を口ずさみ始める。
……結局、何でエスメラルダがこんな事をしているのかは判らなかったが、まあこの状況は好都合だ。
エスメラルダ……三英傑の膝下なら、例え大国内とは言えど何かに狙われる事も無いだろうし、エスメラルダ本人だって俺が探してた当人だなんて気づいていない。
エスメラルダの元でゆっくり力を蓄えてから、元に戻ったらさっさとおさらばすれば――ああ、或いはエスメラルダに勝負を挑む、なんてのも良い。
それまでの間、ちょっとした豪華な生活でも楽しませてもらうとしよう――……