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魔王少女、世にはばかる!  作者: bene
第二章 大森林に巣食う魔卵
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23.2章エピローグ そして、それは舞い降りた

「――たぁっ、てい、やぁっ!」

「ふぁ……ぁ……っ」


 まだ夜が明けて間もない時間。

 寝泊まりしている小屋の前で、俺は切り株で出来た椅子に腰掛けながら、寝ぼけ眼を擦りつつ元気に掛け声をあげる小さな影をぼんやりと眺めていた。

 痛々しく包帯を巻いたその小さな影は、無事だったほうの手で木剣――ウルゥのものとは違い、本当にただの木で出来たそれを振り回す。


「どう、ですかっ。エルトリス、さんっ」

「……どう、って言われてもなぁ」


 一頻り木剣を振り終えると、額の汗を拭いつつ小さな――ああ、いや。

 俺よりも少しだけ大きいそいつは、まるで芸を覚えたての子犬のように目を輝かせながら、俺の方に視線を向けてきた。


 ――ハンプティを倒すのに一役買ったらしいワルトゥは、以前のおっかなびっくりとした、怯えた様子をすっかり見せなくなっていた。

 命がけで仇と肉薄した経験が良かったのか、或いは……今相対している俺が、最早そうする必要がない相手だからか。


「取り敢えず、そうだな……何を相手にしてるか、考えてるか?」

「何を……」

「……何も考えずに剣振ったって意味ねぇぞ。ちゃんと相手を定めとけ」

「……は、はいっ」


 一瞬浮かびかけた後ろ向きな考えを頭を振って否定しつつ、ワルトゥに軽くそう返す。

 まあ、どうせ俺も出発までの間はやることが無くて暇だったし、丁度いい暇つぶしだ。

 俺に言われたとおり、今度は――多分灰色狼辺りだろうか――相手を考えつつ剣を振るい始めたワルトゥを眺めつつ、俺は切り株の上で胡座をかくと、頬杖を付く。


 俺が目を覚ましてから、一週間。

 何も出来なくなった俺は、のんびりとルシエラの力が戻るのを待ちつつ、アミラがこの集落の引き継ぎなどを終えるのを待っていた。

 それも今日には終わり、この集落からリリエルと……そしてアミラと一緒に出発することになっている。


「やぁっ!ふっ、たぁっ!」

「……っ、ふぁ、ぁ……」


 ――その間、俺は今の自分の無力さを痛感させられていた。

 いや、この身体の無力さに関してはこの体になった直後に判っていた筈だが……日常生活を送っていく中で、嫌というほどの無力感を味わわされてしまって。

 心が軽くすり減った、というのも有るが――それ以上に、前までは浮かぶことさえなかった後ろ向きな考えが、少しだけれど浮かぶようになってしまった。


 これから先、一体どうするのか。

 リリエルやアミラが力づくで襲ってきたなら、どうするのか。

 力が戻る前に野盗に襲われてしまって、リリエルとアミラに見捨てられたならどうなってしまうのか――……まあ、考えるだけ無駄な事なのだけれど。


「なあ、ワルトゥ」

「あ……は、はいっ。なんですか、エルトリスさん」

「俺は暇だから良いんだが、お前は楽しいか、それ?」

「はいっ。エルトリスさんに見てもらって、教えてもらうのは参考になりますし――」


「――今の俺が、お前よりも遥かに弱くてもか?」


 ああ、そうなのだ。

 今の俺は、目の前のまだ怪我が癒えず、片手でしか木剣を振るえないワルトゥよりも、遥かに弱い。

 否、寧ろ俺よりも弱い相手を探すほうが難しいとさえ言える。

 少なくとも、今……この集落には、俺より弱い相手なんて、きっと居ないだろうから。


 ワルトゥは俺の言葉にきょとんとすると、少しだけ考えるように小さく唸る。


「関係、ないですよ。だってエルトリスさんは言ってたじゃないですか」

「……俺が?」

「どうやったら勝てるか、考えろって。そうしたら強さなんか後からついてくる、って」


 ――そして、そんな事を事も無げに言えば、再びワルトゥは剣を振るい始めた。


 どうしたら勝てるか、考えるか。

 まあそりゃあ当然のことだ、ワルトゥが言ってることは――以前の俺が言った事は、誰に聞くまでも無く正しい。

 ただ、そんな当然の道理があるにも関わらず、体の内側でずっとモヤモヤと後ろ向きな考えが渦巻いているのは、きっとこの体のせいなんだろう。


 この身体になってからずっと目を背けていた事に、一週間もの間無力なまま過ごした俺は、もう目を背ける事が出来なくなってしまっていた。


「……そう、だな」


 ワルトゥの言葉に軽く返事をしつつ、自分の手を見る。

 小さくて、柔らかくて、苦労なんて何一つ知らないであろう、幼い手のひら。

 これまで幾度となくルシエラを振るい、この体でもそれなりに戦ってきたにも関わらず、無力なまま――何一つ成長していない、俺自身。


 その事実に、この体は恐らくは一生涯無力な(よわい)ままなのだと、俺は否応なしに気付かされてしまった。


 よく考えれば、おかしい事は沢山あった。

 この体は幼いのに、いつまで経っても身体が……背が大きくなることもなければ、筋肉もつかない。

 一応、背丈に関しては成長が遅いなんて可能性もあるし、気づいていないだけで微妙に伸びているのかもしれないが……筋肉がまるでつかないのは、正直言って異常としか言えないだろう。


 つまりは、バンダースナッチとやり合ったあの実力が、俺の限界。

 元の体の全力と比較したら、取るに足らないそれが俺の全力で――しかもそれを使えば長い間本当に無力な子供に堕ちる、そんな無様な全力が俺の最大だった。


「……ははっ」


 思わず、笑ってしまう。

 最初が有り得ないくらい弱いとか、それだったら別に何とでもなったしそのつもりで居たが、そんな生易しいものじゃあ無かったのだ。


 勝てる手段を――強くなる手段をいくつも考えて、考えて、考えて、考えて。

 その全てが無意味な身体にされてしまったと、今更になって理解したなんて。


 なんて、バカバカしい。








「……あー、まあ。そう、だな」


 だがまあ、それでも。

 ワルトゥの言葉に、自分が言っていたその言葉に、ほんの少しだけ気が楽になった、気がした。

 結局の所、俺がこれ以上強くなれないのだとしてもやる事に代わりはないのだ。


 ……うん、寧ろ以前よりあのクソ女への怒りが強くなったし、悪くはない。


「ありがとよ、ワルトゥ」

「へっ?あ……は、はいっ」


 ほんの少しだけ、暗澹とした気分がマシになったのを感じれば、俺はワルトゥへ礼を口にした。

 何故か、ワルトゥは顔を真っ赤に染めながら、少しの間固まっていたが……ううん、よく判らん。


 さて、そうこうしている内に日が登ってきたし。

 そろそろ朝飯にでも――……








「――ん?」


 ……そんな事を考えて切り株から立ち上がると、不意に、空に何かが見えた。

 鳥……とは明らかに違う、小さな影。


「どうかしたんですか、エルトリスさん――」

「――冗談だろ」


 それが何なのかを理解して、思わず口から間抜けな声が漏れてしまった。


 それは、翼を持たない生き物だった。

 それは、空を飛ぶ事なんて出来る筈もない生き物だった。


 そんな何かは、俺達に気づいた――というよりは、この集落を見つけたのか、ゆっくり、ゆっくりとこちらに向かって降りてきて。

 ふわり、と地面に降り立てば、軽く服を整えつつそれは……その女は、周囲を軽く見回した。


 まるで、ルシエラのような背中まで伸びた黒い髪に、焦げ茶色の瞳。

 今の俺から見れば倍……とまでは行かないが、明らかにリリエルやアミラよりも背丈が高く、そして何よりも――……


「……っ」

「バカ。見惚れてる場合か、バカ」


 ……ワルトゥが、年頃の男が見ているだけで顔を赤らめてしまうようなその体つきは、多分ルシエラよりも凄い。

 俺に呆れられて、ワルトゥはぷるぷると頭を左右に振れば、それを見ていたその長身の女は、どこか幸せそうに笑みを零して。


「わあ、可愛い……っ!じゃなかった……こほん。おはよう、で良い?」

「え……あ、は、はい」

「驚かせちゃってごめんね。私はえと――じゃなかった、エスメラルダ=ランダ=クロスロウドって言うのだけれど」


 クロスロウド。

 この森の名前の一部でも有るその言葉を聞いた瞬間、総毛立つ。

 空を飛ぶ、という非常識をさも当然のように成した、目の前の女の正体が、それだけで理解できてしまった。


「ええと、クロスロウドの王様からお願いされてね。ついこの間……ええっと、一週間前だったかな。この森に、大きな怪獣が居たでしょう?」

「カイジュー……?」

「あ、そっか……ええと、大きな怪物が居たでしょう?それをやっつけた人って、まだこの村に居るかな?」


 ――ああ、もう疑う余地もない。

 こいつだ。以前から時々、名前だけは聞いていた大国がそれぞれ抱えているっていう三英傑の一人。

 そうじゃなければ、たった一人でこんな場所まで来ている説明がつかない。


 そして、この状況は余りにもよろしくない。

 今の俺は完全に無力だし、さっきのを見てる限りリリエルやアミラ……いや、他の連中が総出でかかった所で、多分コイツには……エスメラルダには、無意味だ。


 バンダースナッチと同格か、或いはそれよりも少し上か。

 間違いなく、そのくらいこの女は強いと直感が告げている。


「……ええっと」


 だが、それでもこっちに優位に働く事が一つだけある。

 今の俺が無力な存在である以上、相手が俺をバンダースナッチを討伐した者として把握する事は難しい、筈だ。


 ……だから俺を見るんじゃないワルトゥ。

 お前が知らないって言えば、多分その女は何処かに行くんだから……!!


「~~……っ♥ああ、もしかしてその子が知ってるのかな?」


 ワルトゥの視線に何を思ったのか――取り敢えず、今はまだ気づいていない様子のエスメラルダは、少しだけ頬を赤らめて俺に近づいてくる。

 何だか様子が少しおかしいのが気になるが……いや、でも気づかれていないみたいだし、丁度いい。


 軽く息を吸い、吐く。

 ……こいつとやり合いたい気持ちはあるけれど、それは力が戻ってからの話だ。

 今は、気づかれるのは絶対に不味いんだから……だから、仕方がない。


「え……えっとね、たしか、ずいぶんまえに森をでていっちゃったよ?」

「は、わ……っ♥そ、そう……随分前って、どれくらいか分かる?」

「ええっと……み、みっかまえ、くらいかなー……」


 ……正直口にしていて、頭がぼうっとするくらいに恥ずかしい。

 自分で考えて言葉を吐くだけで、こんなに消耗するのは初めてだ。


 それにしても何なんだこの女は。

 いや、絶対に俺がそれだと判って居ないって確信はある。

 あるが……何でこんなに興奮した様子で、俺を見つめてくるんだ!?

 頬を赤らめて、少し呼吸を荒くして……少しずつ身体を寄せてくるのは、何だろう、バンダースナッチが大口を開けているかのような威圧感すら、感じてしまう。


「そっか、それなら……?あれ?う、ん?」


 そうして、俺の座っている切り株に腰を掛けでもするつもりなのか、エスメラルダは頬を緩めたまま更に身体を寄せてくると、不意に首をひねった。


 ……何だ?

 何か、変な感じがする――まるで、何かを見透かされでもしているかの、ような。


「……ねえ、エルトリスちゃん。貴女、身体大丈夫?」

「――え、な」

「おかしいわ、貴女。レベルも、HPも、全部――ううん、こんなのおかしい、有り得ない……」


 ――俺はまだ、自分の名前を述べていない。述べるつもりだってない。

 エスメラルダとは完全に初対面だし、元の体の時だって出会った覚えは微塵もない。


 だというのに――今、この女は何で、俺の名前を口にした?


 ワルトゥに視線を向けてみても、当然ながらワルトゥも何故エスメラルダが俺の名前をはっきりと口にしたのか判らないらしく、頭を左右に振って。

 しかし、エスメラルダは意味の解らない単語を口にしながら、俺の事を先ほどとは別の意味で、真剣な……それでいて、心配そうな目で見つめれば。


「……辛かったでしょう、エルトリスちゃん。一体誰が、こんな酷いことを」

「え――ん、むうぅっ!?」


 ……突然、視界が真っ暗になった。

 顔は柔らかな感触で包まれて、背中にもしっかりと腕を回されてしまうと、今の俺では全く、微塵も身動きが取れず。


「許せない……こんな、こんな可愛い……じゃなかった、小さい子に、こんな――……」


 柔らかな感触に包まれながら、息苦しさに呼吸をすれば、甘い香りが肺を満たしていく。

 そのまま、段々と身体に力が入らなく、なって、きて――……


「大丈夫だよ、エルトリスちゃん。これからは私が――……」


 ……辛うじて、柔らかなものから顔を上げれば。


「……私が、守ってあげるからね?」


 そこには、頬を赤く染めながら優しく微笑んだ、エスメラルダの笑顔があった。


 ……それが、俺が意識を落とす前に見た、最後の光景。

 意識が途切れる瞬間、どこか遠くから声が聞こえたような……そんな、気がした。


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