18.贖いは、小さな手で
ハンプティの力は圧倒的だった。
その魔力は魔族の中では中の中、或いは中の上程度ではあったものの、それは飽くまでも魔族の中での話。
人の住まう世界において、その魔力は文字通り人外そのものであり、ハンプティの扱う魔法は規模も威力も尋常ではない。
「八重奏ォ――ッ!!!」
「……っ、また来る……っ!」
比較する事さえも烏滸がましい、魔法の差。
度重なる下等生物と侮っていた存在からの逆襲に、ハンプティは薄っぺらな尊大さを失っていた。
下等生物如きに全力を出すまでもないと言った侮りも、下等生物を弄ぶという余裕さえも無くし、ただ目の前の相手に力を叩きつける。
――それは、まるで子供の癇癪にも似ていたが。
埋め難い種族差故に、ただそれだけの暴力が、リリエル達を少しずつ追い詰めていた。
「暗黒の槍――!!七重奏ォ!!」
「ちょ……っ、少しは止まりなさい、よ――ッ!!」
地面から突き出す無数の黒い槍。
一瞬で針地獄と化した地面から逃れるようにリリエル達は樹々へと跳ぶが、即座にハンプティは再詠唱を始める。
攻め手が、まるで緩まない。
無尽蔵とも言える魔力による暴力は、例えそれが分かりやすいテレフォンパンチだったとしても、リリエル達にとってはただただ驚異でしか無く。
詠唱の隙を突くように、ウルゥがハンプティへと飛びかかる……が、ハンプティはそれを意に介する事さえ無かった。
ガキィン、とまるで金属の塊でも殴りつけたかのような音と共に、ウルゥの振るった木剣が弾かれる。
障壁が消えたとは言えど、身体に亀裂が入っているとは言えど、その体の硬度は未だに健在であり、ウルゥは負けじと幾度となく斬りかかるがその全てが弾かれ――
「……っ!!」
「下がれウルゥ!!」
「――魔神の鉄槌ァァッ!!!」
――直後、ハンプティの周囲を叩き潰すかのように、漆黒の円柱が大地を叩いた。
ウルゥは済んでの所で飛び退きはしたものの、一度でも直撃したならば死――或いは行動不能は避けられないであろう魔法の雨嵐に、疲労の色が出始めていて。
それは、近接戦闘を行わないアミラ達もまた同様だった。
既にリリエルもアミラも、シュトルも――そして、先程のようにウルゥも、幾度となく攻撃を行っているというのに、未だにハンプティに有効打を与えられずにいる。
否、有効打どころかかすり傷さえもつけられていない。
亀裂は最初から有るものだし、障壁は先の戦闘で既に解除しているのだから、何一つ出来ていないのと変わらず。
「ハ、アァァァァ……ッ、鬱陶しい、小賢しい、目障りなのであるうゥゥゥゥ……ッ!!」
「こんなのどうすれば良いってのよ!?」
「ただ硬いだけだというのに……っ」
「……ひたすら攻撃する他無いでしょう」
「判っては、居るが――」
目の前の羽虫を払えずに居るかのように苛立ちを顕にするハンプティを見ながら、ウルゥ達は唇を噛んだ。
初めの方こそ、攻撃を避ける事も攻撃を当てる事も出来るのだから勝てる――と勇んでいたものの、時間が経つにつれて戦意を疲労が上回っていく。
少しずつ荒れていく呼吸を整えようと、4人はハンプティの次の詠唱に身構えて。
「ひひっ、ひ――ならぁ……っ、暗中盲目ォッ!!!」
「な……っ!?」
――故に。
ハンプティのその行動は、完全にアミラ達の意表を突いた。
ハンプティの強大な魔力から放たれたのは、漆黒の帳。
威力どころか何かを傷つける事さえ叶わない、そんな一瞬だけの暗闇。
「い、ひぃ」
「――あ」
だが、その一瞬で十分だった。
僅かな間の暗闇に乗じてハンプティはウルゥに組み付けば、押し倒し――同時に、転生卵で彼女を包み込んでいく。
「しま……っ、ウルゥ!!!」
「あ……あ、あっ、ああああぁぁぁっ!!?」
視界が戻ると同時に、ウルゥは半狂乱になりながら剣を振るう……が、組み付いたハンプティを動かす事さえ叶わない。
徐々に卵に覆われていくウルゥに気づいたシュトルが矢を放てど、アミラが暴風を纏った矢を直撃させても、ハンプティは微動だにすらしない。
「ひひっ、いひひっ!!手駒、手駒ァッ!!!さっさと吾輩の忠実な下僕になれぇぇぇっ!!!!」
「い、や……っ!ふざ、けんじゃない、わよ――ッ!!」
仲間たちの目の前で。
親愛するアミラの前で、彼女たちに牙を剥く存在に作り変えられる。
その絶望に彼女は泣き出しそうになるが、それを既の所で堪えれば、殻を砕こうと木剣を振るっていく。
だが、それに意味はない。
転生卵を砕くことが出来たのはルシエラが高位の魔剣であるが故であり、ウルゥの扱う木剣では切れ味も位も、何もかもが足りていない。
抵抗をするウルゥの前で、無常にも殻は形成されていき――
「――白雪の壁!」
「ぬ……ぅ……ッ!?無駄な事をォ……!!!」
――ただ、そんな最中で。
ただ一人、リリエルだけは動揺する事もなく、ウルゥとハンプティごと、その卵が形成されている部分を氷の壁で埋めた。
形成を妨害するように造られた氷の塊に、転生卵の形成は少しの間だが遅れ――しかし、それでも止まる事はない。
「ひひっ、くひひひひっ!!無駄な抵抗なのであるぅ……っ!!大人しく、吾輩の下僕にぃぃ……!!!」
ハンプティは妨害されたことに激昂しつつも、それでもじわり、じわりと氷壁を砕きながら転生卵が出来上がっていくのを見れば、愉快げに笑った。
自らの腕も氷の壁に埋もれていたものの、そんな事を意に介する必要もない。
いつでも砕けるそんなものよりも、早く手駒を増やし、同士討ちをさせなければ――そう、考えた。
それは、ハンプティという魔族の本質から来る行為。
自らが魔族の中では中位にすらなれない存在であると、無意識の内に自覚しているが故に、ハンプティは常に強さを自分の外に求めてきた。
下等生物と蔑むそれを、自らの兵隊に作り変える。
自分を捨てるように媚びへつらって、強者の飼っていた魔獣を手に入れる。
その本質は、相手が決して強者という訳ではない、人が住むその世界においても変わる事はなく。
「――っ、ああああぁぁぁぁぁぁ――ッ!!!!」
――故に。
ハンプティは、一体何が起きたのか理解が出来なかった。
ガツン、という強い衝撃。
それと同時に、バキ、バキン、と鳴り響く、何かが割れる乾いた音。
「……あ、あ?」
「ねえ、さんの――皆の、仇……っ!!」
腕を氷壁に埋めたまま、ウルゥが転生卵に閉じ込められるのを愉しげに眺めていたハンプティの、その身体。
頭頂部と言えば良いのだろうか。エルトリスに傷つけられていたその部分には、深々と何かが刺さっていた。
一体何処から現れたのか。
転生卵の欠片を手にしたワルトゥが、ソレをハンプティの亀裂にめり込ませつつ、今なお殺意を込めて押し込んでいたのだ。
「あ゛――いぎっ、あああぁぁぁぁ――ッ!?」
遅れてきた激痛に、ハンプティは半狂乱になりながら絶叫する。
最早亀裂どころではなく、明確な穴――欠損となったその部分から、どぷっ、どぷん、と勢いよく何かが溢れ出した。
青黒い、ドロリとした液体。
人では有り得ない――当然ハンプティは人ではないのだが――その悍ましい液体を撒き散らしながら、ハンプティはウルゥから手を離すと転生卵の形成も止めて、頭部にしがみつきながら亀裂を、穴を広げようとしているワルトゥを掴み、投げる。
「う、あ……っ!」
「こ、この、この、のののののの、が、がき、ガキがあああぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」
――ハンプティのその殻のような身体は、ハンプティの骨そのものである。
特別頑強であり、生半可な攻撃では傷一つつかないそれはハンプティの強みの一つでもあったが、その実ハンプティ自身知らない弱点そのものでもあった。
砕けた殻の内側から、どろり、と体液とともに、内蔵が、臓腑が零れ落ちていく。
鎧の中に隠されていた、体内になければならないそれをハンプティは手で抑え込もうとする……が、徐々に、徐々に殻の亀裂が、穴が広がれば、その手の隙間からドロドロと溢れ出して、止まらない。
まるで堤防が決壊するかのように。割れた卵が中身を留めていられないように。
一度殻が壊れてしまえば、最早その中身を留める方法を、ハンプティは持っていなかったのだ。
それは、彼が仮に――利用するつもりだったとはいえ仕えていた、アリスの気まぐれによるものだったのだが。
ハンプティ自身、自らがそんな作りになってしまっているなど知る由もなく。
「ひ、ぃ……っ、ひっ、ひぃっ、ひいいぃぃぃぃっ!!い、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だああぁぁぁっ!!わが、吾輩は、吾輩が、こぼれ、こぼ、れぇっ」
「っ、攻めろォッ!ワルトゥの作ったチャンスを無駄にするな!!」
アミラの号令とともに、ドロドロと臓腑と体液を零しながら悶えるハンプティに、一斉に矢が、魔法が降り注ぐ。
そのほとんどは変わらず、ハンプティの身体に弾かれていたが――
「お、ごぇっ!?や、やめ、やめるである、やめろっ、やめ――ッ!!!」
――最早、そんな防御など何の意味も為さない。
コン、カツン、ガキン。
ハンプティの身体を矢が、魔法が叩く度に、その身体を揺らす度にどぷん、どぷん、と欠けてしまったその部分から、抑えきれない臓腑が零れ落ちていく。
「ばか、バカな、こんなっ、こんな――わが、吾輩、わがは――がっ、ご、ぇっ」
有り得ない。有り得ない。有り得ない。
こんな下等生物に負ける未来なんてありえる筈がない。自分がこんな所で死ぬ筈がない。
リスクを避けて最大限の結果だけを求めてきた自分が、どうして、どうして、どうして――……
「――……っ」
……そうして来たからこそ、こうなってしまった事にも気づかないまま。
生命を維持できない程に内容物を失ってしまえば、やがて抑え込んでいた腕は力を失い、ハンプティはゴトン、と身体を、地面に横たえた。
とめどなく、残っていた体液と臓腑を垂れ流しつつ。
目もない顔は、微かに残った意識の中で地べたに転がっている小さな影を見る。
落下の強い衝撃で臓腑でもやられたのか、口から血を流し。片手を、片足をあらぬ方向に曲げ、倒れ伏したまま動かない、小さなエルフの子供。
――それが自らの命を奪った者だと気づく事さえなく。
大森林のエルフ達の命を蹂躙してきた魔卵は、絶命した。




