16.気持ちの整理
「――思ったよりも不味いな。何なんだ、あの化け物は」
偵察から戻ってきたシュトルは、顔を少し青くしながらそう言うと、小さく息を漏らした。
流石に向こうの状況も判らない状態で突撃するのは無策が過ぎる、とシュトル自身が買って出た事なのだけれど……
「具体的に、どうヤバかった?」
「少しずつだが、奴は森を喰っている。このままだと大森林そのものが消えかねん」
「……どういう事?」
「そのままの意味だ。他に、比喩のしようがない」
シュトルの言葉の意味がよく判らなかったのか……あるいは、判りたくないのか。
ウルゥは首を捻りつつ小さく唸っていたが、俺とアミラ、それにリリエルはアレを直視していたからこそ、それがそのままの意味だと理解できた。
何せ目の前で森を喰う場面を見ていたのだ、疑うも何もない。
あの時一瞬見た限りでも、たった一口で集落の半分程度を丸呑みにしていたのだから、時間を置けば置くほどに不味い事になるのは目に見えている。
「お前は本当にあの化け物をどうにか出来るのか……?」
そして、シュトルの疑問も当然だ。
少なくとも、今の状態の俺では間違いなくあの怪物を相手取る事は出来ない。
何しろ、大きさが違いすぎる。
相手は下手すれば城みたいなサイズの化け物だってのに、こちとらちびっこい子供みたいなものなんだから……
……ちょっと自分で思っておきながら悲しくなってきたけど、それは置いといて。
これだけ大きさに差があると、まず攻撃そのものが通用しない可能性が非常に高い。
ルシエラでぶった切っても革と肉をちょっとだけ削る、みたいな事になるだろうし、他の連中が矢を大量に放った所でそもそも刺さらないだろう。
大男と子供、程度の体格差ならそれこそ大した事はないが、巨城と子供とまで来てしまえば、それは最早立派な暴力だ。
「まあ、な。多分だが、俺がやるのが一番良い」
「……解った、信じよう。少なくとも自分ではどうにも出来ないからな」
――その上で、勝てる公算はある。
だから、今問題になるのはどっちかと言えばアミラ達の方だろう。
「ねえ、貴女がこっちを手伝ってそれから怪物を叩く、っていうのは無しなの?」
「その間あの化け物をフリーにすんのか?丸ごとパックンってのは俺はゴメンだぞ」
「……じゃあ、私達全員で怪物を」
「そうすると、ハンプティを完全にフリーにしてしまいます。あの威力の魔法を自由に撃たせるのは、全滅したいと言ってるようなものかと」
「……むぅ」
ウルゥの言葉に俺とリリエルが返せば、ウルゥは軽く口ごもってしまった。
まあ、コイツの言わんとする事は判らない訳じゃあない。
要するに、自分たちだけで魔族と戦って勝てるのか――本人に自覚があるのかは判らないが、それが不安なんだろう。
「安心しろ、少なくともテメェらがちゃんとやれたら負ける事はねぇよ」
「でも……」
「大丈夫だ、ウルゥ。私も一度やり合って解ったが、アレならやりようは有る」
「……アミラ様が、そういうなら」
俺が言っても不満げだったのに、アミラに言われたら一言で納得しやがったのはちょっとだけ納得いかなかったけど、まあ、良し。
少なくともアミラ達がちゃんとやってくれないと、そのまま俺まで負ける事になりかねないんだからしっかりしてくれないと困る。
だから、コイツらがちゃんとやってくれるんなら、後はこっちの問題だ。
「……は、ぁ」
「大丈夫ですか、エルトリス様」
「あー……まあ、問題ない」
……一瞬だけ、ほんの一瞬だけ。
もし俺が元の体だったなら――なんて、らしくもない事を考えてしまう。
もしそうだったなら、きっとこいつらの助けなんか無くても一人でどっちも相手取れたんだろうな、なんて。
まあ、そのお陰で今はそれなり苦戦だとか、そういう事ができてるんだから悪い事ばかりじゃあないんだが。
……それでも、ほんの少しだけ。
もしそうだったなら、こんなリスクを背負い込まずに済んだのにな、なんて思ってしまって――……
『……本当に良いのか、エルトリス』
「何がだよ」
そんな俺の心を見透かすように、俺を膝の上に載せているルシエラが小さく呟く。
その声色には、いつものようなふざけた調子や、からかうような響きは全く含まれていなかった。
『奥の手を使えば、今の身体ではどうなるか判らんぞ。死にはせんだろうが、下手をすれば――』
「……解ってる。でも、それ以外勝機がねぇだろ」
『――まあ、もしそうなったら私やリリエルが死ぬまで愛玩してやろう。安心しておれ』
「うっせ。絶対そうはならねぇからな」
ルシエラがいつものように俺をからかうような言葉を、しかしいつもとは真逆に、酷く優しげな響きで口にする。
まるでもしそうなったとしても私達が傍に居る、とでも言うかのような、そんならしくもない言葉。
でもそれだけで、その少し後ろ向きな感情……或いは不安、だったのだろうか。
以前ならば感じたことすらなかった筈のそれも、大分和らいだ。
……もしかして、ルシエラなりの気遣いだったんだろうか。
そう思ってしまうと、少しだけ気恥ずかしくなる。
「……よし。準備は出来たか、テメェら」
「ああ、大丈夫だ。行こう、皆」
「畏まりました。こんな所で止まる訳にもいきません、疾く片付けましょう」
「怪我人の癖に随分と自信満々ねー……まあ、やるしかないか」
さて、それじゃあそろそろ――この大森林が更地になっちまう前に、決着をつけに行くとしよう。
その後どうなるかは、その時考えりゃあ良いことだ。
アミラ達もリリエルも心の準備は済んだのか、各々の武器を手にして立ち上がり、怪物とハンプティの居る方へと視線を向ける。
「……あまり硬くなるなよ、ワルトゥ。お前は見ているだけでも良い」
「いいえ……っ、僕も、僕だって……っ」
シュトルの気遣うような言葉に頭を左右に振って、俺がさっき投げ渡したそれを大事そうに、血がにじむ程に握り込んだワルトゥを見れば――
「……じゃあ、行くぞ」
――俺はつい、軽く笑みを零しながら。
言葉にせずとも魔剣の形をとったルシエラを握りつつ、怪物が居るであろう場所に向けて駆け出した。




