10.交戦開始:陽動部隊
アミラ達が巨木の上を跳んでいく中。
魔族に狂わされてしまったエルフ達の大部分を相手するであろう陽動部隊もまた、その役割を全うする為に、分散して木々の間を進んでいた。
彼らの役割は言うまでもなく、時間稼ぎである。
「シュトル様、斥候が――その、彼らを発見しました」
「ああ、こちらでも視認できた。総員、する事は理解できているな?」
本来ならばアミラと共に主力として魔族を討つ役割だった筈の男……シュトルは、その報告に陽動部隊であるエルフ達に問いかける。
既に覚悟を決めているのだろう、その言葉にエルフ達は無言で、しかし小さく頷いた。
シュトルはそれに少しだけ、本当に少しだけ悲しげにすれば、手にしていた弓に矢を番え。
「――これより、死地に入る。各々、役割を全うせよ!」
その言葉と同時に放たれた矢は――彼方に居た、魔族の手に堕ちた同胞の頭を、寸分違わずに射抜いた。
木々の間を縫うように放たれたそれは、正しく神業である。
その矢の正確さ、そして射程距離ならば右に出る者は居ないと自負しているシュトルの狙撃は、放たれる度に遠くの同胞の頭を貫いて――……
「……あはっ、あはははっ。居たぞ、彼処だ!ハンプティ様に仇なス馬鹿な連中が居たぞ!!」
……本来ならば。
視認すら出来ない位置からの必殺の狙撃という、恐慌状態に陥ってもおかしくないそれを、意に介する事さえ無く。
愉しげに、愉しげに笑いながら、狂わされてしまった同胞達は草木を掻き分けて猛然とシュトル達陽動部隊へと突撃を仕掛けてきた。
「ははっ、なんだシュトルじゃあないか!どうだい、君もハンプティ様に仕えないか?とっても楽しいぞ!!」
「死んでも断る」
「そうか残念!じゃあここで全員死んでくれるかな、あははっ、はははははは!!!」
ケタケタと笑いながら、かつての仲間に対して容赦なく殺意をぶつけるその様は、明らかに狂っているというのに。
だと言うのに、その動きは異様なまでに統率が取れていた。
後方から矢を放ちつつ、突撃する部隊はまるで後ろに目でも付いているかのような正確さでその射線から外れ、陽動部隊へと喰いかかる。
「ぐ、あ――っ」
「ふふっ、きゃははははっ!弱い弱い、やっぱり貴方達も産み直して貰うべきだ――わッ」
「怯むな!奴らは死を恐れていないだけだ、力量はそう変わらん!!」
「シュトル様だけに任せるな!我々も死力を尽くすぞ――!!」
一人、また一人と仲間が倒れていく中、シュトルの弓は未だに狂う事無く敵を捉え。
そして、その鼓舞に応えるようにエルフ達は声をあげると猛然と、狂った同胞達へと挑みかかった。
だが、半ば捨て身で……自らの命さえも捨ててかかってくる狂ったエルフ達の勢いは、止まらない。
如何にシュトルが優れた射手であったとしても、それは安全な位置から相手を狙えるからこそ利点として働くのであって、戦線を徐々に徐々に押し上げられていくその状況では、些か力不足と言わざるを得ず。
一人、また一人と同胞を射抜きつつも、森の奥――魔族が居るであろう集落の方から湧き出すように集まってくる敵のその数に、陽動部隊は圧倒されつつあった。
――無論それは全て、事前に陽動部隊の全員が承知していた事である。
彼らの役目は文字通りの陽動。
出来得る限り多くの敵を引き付けて、その場に押し止める事こそが、彼らの役割だった。
優勢になってはいけない。不利となって集落に引き返せば、主力部隊が危険に晒される。
敗走してもいけない。そうなってしまえば、残った敵は全て侵攻部隊と主力部隊に向かう事になる。
常に不利でありながら、同時に全滅しない程度に戦線を保つ。
退却を許されない死地。犠牲が絶対に避けられない部隊。
……それを理解した上で、陽動部隊の彼らはそこに立っていた。
「とは、言え――ち、捨て身がここまで厄介とは」
しかし、それを理解していて尚、状況は決して予定通りとは言えなかった。
魔族の手に堕ちたエルフ達がここまで統制の取れた動きを取れるというのは、事前の情報には無く。
戦線の崩れが想定よりも遥かに早く進行しているのを見れば、シュトルは矢を放ちつつ舌打ちした。
命が惜しい訳ではないが、このままでは予定よりも早く壊滅してしまう――遥か彼方を見通せる目があるからこそ、シュトルはそれを察してしまったのだ。
「散開していた部隊を集めろ、方円を組め」
「方円、ですか?」
「時間を稼ぐ必要がある。急げ」
苦肉の策として、シュトルは横長に散らしていたエルフ達を集めれば、円陣を組むような形で陣形を作った。
全方位に対応できるそれは、本来は攻め手側が用いるような陣形ではない。
移動は困難になり、この場から逃れることはますます難しくなる上に、一点を集中して狙われたのならばそのまま食い破られかねないようなモノで。
「はははっ、進退極まったのか?一気に終わらせてあげ――ぐ、げっ」
――しかし、シュトルにとってのソレはまるで別物だった。
方円の中央に立ったシュトルの狙撃は、一点から攻め入ろうとするその動きを見逃さない。
無論それで動きを完全に止める事ができる訳ではないが、動きが鈍ればその分を他のエルフが補っていく。
完全ではないものの、守りに関してはより厚くなったその陣形は、先程までは圧倒的だった相手の攻勢を少なからず鈍らせた。
「あはっ、それなら――囲め、囲め!!」
「回りから押しつぶせばおしまいだ!ハンプティ様に仇なすモノを殺してしまえ!!」
先程よりも攻め手が鈍ってしまう事を嫌ったのか。
そのままでもいずれは方円を破れただろうエルフ達は、笑いながらシュトルでも対応が出来ないように、その方円を囲んでいく。
そうなってしまえば、最早シュトル達には逃げ場はなく。
直ぐに崩されて壊滅する事はなくなりはしたものの、じわり、じわりと攻められて、敗走――否、全滅するのは誰の目にも明らかになった。
それは最早有利不利の次元ではなく、敗北そのもので。
一度は正面からぶつかり合って殺し合い、優位を取り。
そして相手が劣勢となったまま、苦し紛れに守りを固め。
その守りを、今この瞬間に押しつぶそうとしている――優勢な側からすれば、理想的とも言えるその状況を疑う者は、狂ったエルフ達の中には誰一人として居なかった。
幸いだったのは、狂ったエルフ達にあるのはハンプティへの愛にも近い忠誠心のみだった事だろう。
如何に知性が残されていようと、命が惜しくない戦い方をしようとも、敵が何を考えているのかまで――その裏まで考えるような思慮までは、残されていなかったのだ。
「……よし」
……そうして、陽動部隊はその役割を果たした。