その後のお話①
「……そういう訳で、以前と変わらず光の壁の有った場所を境に国境としようと思うのだが」
「そうですね、妥当な所だと思います」
――魔王との戦い、そして女神の襲来が終わってから暫く後。
女神が創り出した白い異形達によって荒らされた家屋や城も、ようやく再建が始まった頃。
クロスロウドにて、再建中の街の一角――喫茶店のテラスで、何人かがテーブルを囲み、談笑していた。
一人は、この国の王。
普段のような出で立ちではなく、市民然とした服装故か、通る人々は彼を国王だとは気付いておらず。
否、それもあるが――それ以上に、人々は王とテーブルを囲んでいる残り二人にばかり、視線が向かっていた。
方や、青い髪に白い肌の怜悧さを感じさせる美女。
方や、黒い髪に黒いドレスの、どこか残酷さを感じさせる美女。
「……それで、私達は?」
「貴女達には、見定めてもらいたいと思っている。儂は魔剣がどのような暮らしをしてきたか、この目で見た訳ではないからな」
「魔族の生活が肌に会うか、それとも人との生活が肌に合うか、ですか」
「ん……まあ、良いだろう。取り敢えず、民には両者を傷つける真似はするなと厳命しているからな」
黒い美女――ミカエラはそう言うと、黒くどろりとした液体に口をつけた。
口を満たす苦味に、ミカエラは目を細めつつ小さく息を漏らし。
そして、王と青い美女――アルケミラに視線を向ければ、軽く圧を飛ばした。
普通ならば軽く悲鳴を上げてすくむであろうその威圧も、アルケミラは元より王にも通じず。
それを軽く笑いながら、ミカエラは椅子に軽く寄りかかれば言葉を口にした。
「――但し、飽くまでも自分からは、だ。そちらから手を出してきた場合はその限りではない、心しておけ」
「うむ、判っている。そのような事があれば、儂もそちらに非は問うまいさ」
「こちらも――一部は除いて、そのような事はしないかと。その一部も、今暫くはおとなしいでしょうしね」
ミカエラの言葉に二人はそう返すと、さて、と空を見上げる。
空は、雲ひとつ無い青空。
最近は曇天が多かったが、次第に天気のいい日も増えてきた。
もう一月もすれば、白い異形達に破壊された家屋も戻り、元通りの――とは言い難いが、平穏な日々が戻るだろう。
「……全く」
――その平穏も、いつまで続くのやら。
アルケミラは苦笑交じりに小さく呟けば、あの日以来すっかり姿を見せなくなった旧友を思い、ため息を吐き出した。
魔族がかつて暮らしていた土地。
女神によって大穴が空けられ、巨大な湖を作られたその場所もまた、新たな生活の場を作る為に再建の真っ最中だった。
特に、直接の被害を受けた――今は湖となってしまった場所で暮らしていた魔族達は、湖畔に集落を作らなければ住む場所もないのが現状で。
「魔王様。こちらの資材は――」
「うん。僕が運んでおくよ」
「魔王様!あちらで諍いが――」
「――ん、止めたよ。気絶してるから後は任せるね」
「……ねぇ、魔王様。幾ら何でも何でもかんでも引き受けすぎじゃないかしら?」
そんな魔族たちの要望を二つ返事で受ける小さな影が一つ。
魔王――もとい、嘗ては勇者だった少年である。
そんな彼を呆れたような表情で見つめながら、クラリッサは小さく息を吐き出した。
何しろ、少年にそんな事をする義理は何一つ無い。
確かに少年は多くの命を刈り取ったが、それは刈り取られた側が弱かったが故の事。
強者が弱者に対して力を振るう事は、決して悪い訳ではない。
無論それでも赦されない――例えば、尊厳を踏みにじるような、何処かの緑色の魔族がやったような――事もあるが、少年はそれだけはやっていなかった。
「ううん、ほら。僕も、やる事が無かったから」
「……人間達の方に行った方が良いと思うんだけれどねぇ」
「そんな事をしても恐れられるだけだろうし――何より、行く意味もね」
「申し訳有りません、魔王様!怪我人が――」
「……それは、僕だとちょっと。クラリッサ、行ってくれるかい?」
「はいはい。案内して頂戴な」
少年はクラリッサ達を見送ると、魔族達が用意してくれた椅子に腰掛けて、小さく息を漏らす。
……そう、少年には人間達の居る側に行く理由が、何一つ無かった。
クラリッサは少年が元々は人間で、女神によって魔族に――魔王に変えられた事を知っているからこそそう提案したのだろうが、違うのだ。
今を生きている人間と、少年は何一つ、欠片一つたりとも繋がりがない。
親類も、知り合いも、生まれた土地さえも、そこにはない。
確かに人間という種は居るのかも知れないが、だからといってそれに意味が有るわけでもなく。
この世において、自分と少なからず繋がりがあるのは魔族達と、最近は顔も見ていない彼女だけ。
であるならば、少年が魔族達の側を選んだのも、そうおかしな話ではなかった。
ただ、ほんの少し。
少年は今でも、思い出さずには居られなかった。
嘗ての世界の友人たち。守りたかった、守ったはずだったその全て――今は何処にも有りはしない、それを。
「――まおうさま」
「ん……?」
「あの、ね。えっとね」
そんな少年に、声をかける者が一人。
小柄な少年よりも更に小さいその少女は、たどたどしく言葉を紡ぎながら、おずおずと一輪の花を差し出した。
魔族たちの住まう世界ではそれ程見られない花。
決して大輪ではなく、決して特別きれいな訳でもないその花を手渡されれば、少年はキョトンとして。
「えっと、いつも、ありがと」
「……」
ただ、少女が続けて口にしたその言葉に、少年は硬直した。
何気ない感謝の言葉。
年端も行かない子供だ、もしかしたら少女は少し前に少年が多くの命を刈り取ったことすら知らないのかも知れない。
だが、それでも。
「……こちらこそ、有難う」
「ん……えへへ」
少年は、久方ぶりに感じた暖かさに目を細めれば、少女の頭を優しくなでた。
二度とは取り戻せない夢を、世界を、忘れる事はないのだろう。
それでも、いつか――いつか、同じくらい守りたいものができるのだろうか、と。
少年は都合が良すぎるかな、なんて独り言ちながら、少女を親の元へと送り届け。
そして、ふと。
彼女達は今頃何をしているのだろうか、と空を見上げた。