25.全てを喰らうもの
殺してやる。
――胴体から頭部にかけての、大きな欠損。
生物であれば死んで当然だろう損傷を負った女神はそれでもまだ死んではいなかった。
苦痛は有る。
痛みも、苦しさも、その何方も感じる機能を備えながらも、しかし女神――神という存在に、死という概念は存在しない。
体を大きく損なった女神が、グルンと体を起こしたのを見れば、周囲の人間は……アリスでさえも、慄いた。
傷はじゅるり、じゅるりと音を鳴らしながら埋まり、瞬きをすれば修復は終わっていて。
その様子を、エルトリスはミカエラを軽く握りしめながら見据えていた。
『とても。ええ、とても腹立たしいけれど、良いわ』
勝利を確信していたと言うのに、まるで死ぬ様子が無い女神を見て消沈、或いは困惑する面々を見れば、女神は多少なりと余裕を取り戻したのか。
憎悪と痛みに表情を歪めつつも、エルトリス達を睨みつけ、吐き捨てる。
『何度でもやってみなさいな。全部が無駄だって教えて』
「言われなくても、そのつもりだよ」
――それを、エルトリスは口にし終えるよりも早く、両断した。
ミカエラの刃が、女神の顔面を両断する。
下顎から上を喪った女神は、言葉を口にするまもなく鮮血を吹き出した。
「ほら、さっさと直しなよ。まだまだ足りないんだから」
『……っ、無駄だっていうのが分からないのかしらぁ!?このバグが……!!』
傷は、すぐさまに再生する。
女神はエルトリスの攻撃を防ぐ手立てがない。
いかなる防御を展開しようとも、それに先んじてエルトリスの攻撃が、刃がその起こりを両断する。
だが、如何にエルトリスが攻撃を加えようとも、そのたびに女神は再生し――
「……これじゃあ、勝負がつかないんじゃ」
――その様子を見ていたエスメラルダは、ぽつりとつぶやいた。
エルトリスの刃は確かに女神に届いている。
だが、女神は――神という存在は死なないのだから、如何に傷つけても、致命傷を与えても、次の瞬間には再生してしまう。
苦悶の声をあげるという事は、痛みはあるのだろうけれど――だからといって滅びないのであれば、それは相手の憎悪を掻き立てるだけだ。
「アリスさん、何とか出来ないの?」
「ん……ごめんね、私じゃあアレには干渉出来ないみたい」
「無理もないよ。君が世界をある程度再構築出来るのだとしても、あの女は世界以上の存在だからね」
アリスの言葉に、少年は小さく呟く。
少年もまた、女神に刃を届かせる事ができる存在だ。
だが、少年はもう、エルトリスの前に立って女神に刃を振るう気にはなれなかった。
怒りはある。
憎悪もある。
だが――たった今、大切なものを奪い去られたエルトリスの怒りには、どちらも遠く及ばないだろうと、少年は理解していたのだ。
ならば、僕は彼女の邪魔をするべきじゃあない。
少年はそう自分を納得させると、黒刃を握りしめたまま、目の前の戦いとも言えないそれを、目をそらす事無く観続けた。
「――25回目」
『……っ、ふん。何時まで続けられるのかしらぁ?貴女がその刃を鈍らせた瞬間が最後――』
26回目。
女神は幾度となく殺されつつも、その感覚に、苦痛に徐々に慣れつつ有った。
痛いことは痛い。
呼吸する能力を失った際の苦しみは、耐え難くさえある。
だが、どんな苦痛であっても与えられ続ければ、何れは慣れるのだ。
女神は確信していた。
このまま続けば、私は苦痛を克服する。
一方でエルトリスは、私を殺す手段を獲得する術はない。
当たり前だ、そんなものなど存在しない。
神同士であってさえ、互いを殺す事はよくよく考えてみれば出来ないのだから。
例えエルトリスが特異な存在であったとしても、それを覆す事はできない――
『――……?』
――女神は、そう確信していた。
少なくとも、その拷問じみた一方的な暴力に、ようやく慣れ始めた頃までは。
女神は苦痛への対処で気づかなかったのだ。
エルトリスが先程から行っているのが、ただの斬撃ではない、という事を。
「……後何回くらいかな、ミカエラ」
「まだまだ先だと思います。けれど、ええ」
――ルシエラがそうであったように。
ミカエラもまた、“全てを喰らう魔剣”であるという事を。
『は……?』
有に百を超える致命傷の後、女神はようやくそれに気がついた。
自分が、減少しつつある。
いかなる斬撃を、いかなる破壊を受けようとも、元通りに戻る筈の自らが、少しずつだがそのリソースを減らしている。
女神は、全身から嫌な汗が噴き出すのを感じていた。
おかしい、おかしい、おかしい――何で、どうしてここに降り立った時よりリソースが減っている?
有り得ない筈だ、起き得ない筈だ。
これでは、まるで死に向かっているかのようじゃあないか――!?
「やっと、見えてきたかな」
『何、を』
「終わりが、だよ」
エルトリスの言葉に、女神は一歩後ずさる――その脚を、エルトリスは斬り飛ばした。
切り飛ばされた脚を修復しながら、女神は額を伝う冷たい汗を感じつつ、違和感に気づく。
――確かに目の前のバグは、随分と大きな身体になってはいたが。
だからといって、この距離で見上げなければならない程、だっただろうか?
『え……え?』
「今度の貴方はうんと脆弱で弱々しい、そして愛らしい存在にしてあげる」
それは、いつだったか。
女神が死にゆく筈だったエルトリスに向けて、醜悪な笑みを浮かべながら口にした言葉。
「――うん。愛らしい、っていうのは知らないけど。そうしてあげるよ、女神様」
エルトリスは、微かにも笑顔を見せること無く。
酷く冷たい声色で、女神に向けてそう言い放ち――再び、女神を喰らった。
喰らわれたリソース分、女神の存在は少しずつ、少しずつ減じていく。
消滅はしない。死も訪れはしない。
ミカエラの中には、喰らわれた女神のリソースは、残り続ける。
ただ、喰らわれた側の女神はどんどん卑小な存在に成り果てていく、というだけの事。
『あ……あ、あ……っ!?ひ、いぃ――』
――再び、存在を喰らわれるのを感じながら。
女神は先程の苦痛による悲鳴ではなく、心からの恐怖で、絶叫した。