23.来たるべき時
――おかしい。
おかしい、おかしい、おかしい、おかしい、おかしい。
何故これは生きている。
確実に息の根を止めた。その力の源さえも砕いた筈なのに、どうしてここに立っている――!?
女神は、混乱の渦中にあった。
無論、頭骨を砕く程の拳打によるダメージは無視できる物でない。
しかしそれ以上に今眼前に居る女性が、未だ健在であることに女神は戸惑いを隠せなかった。
死なずとも、こんな力を発揮できる筈がないのだ。
彼女の――エルトリスの力の源であろう武器は、確かに砕いた。
そして、今確かに、彼女は武器を持っていない。
だと言うのに――
『こ……の……っ、家畜が、作物風情が――!!』
「うるさい」
――だと言うのに、エルトリスの動きは常軌を逸していた。
先ほどと同等どころの話ではない。
女神さえも圧する程の膂力を、速度を彼女は持っていた。
再び命を絶とうとした女神の右手を、エルトリスは無造作に弾き飛ばす。
輝く掌ではなく、腕を砕き潰すかのように殴りつければ、エルトリスは再び女神の顔面に拳を叩き込んだ。
一撃、二撃、三撃。
容赦なく叩き込まれる拳は、女神の美貌を容赦なく叩き潰す。
『――……!!』
だが、女神は止まらない。
頭骨を砕かれ、その内側も潰され、明らかに生物であれば死んでいるであろうダメージを負っても尚、それは死ななかった。
生物としての規格が違う。
神は、そもそも滅ぶようには出来ていない。
生殖を必要とせず、基本的に増えることの無い神に滅びは必要ないからだ。
故に、女神は死なず――ただ、目の前の存在に憎悪を滾らせた。
殺す。
喰らう必要もない、こんな汚物を取り込むなど耐えられない。
生育を促す肥料としては、飼料としては優秀だったが今となってはそれもどうでも良い。
こんな、創造主に無礼にも拳を振るうような輩など、私の世界には必要ない――!!
パァン、と女神は自分の手を叩き合わせる。
同時にエルトリスの身体を淡い光が包み込んだ。
『き――え、ろ……ッ!!』
ごぽり、と赤い血を吹き出しながら、女神は呪いの言葉を口にする。
強制消去。
女神が、創造神が最終手段として用いる、本来なら決して使うことがない権能。
それを作るまでに使った年月も、リソースも、何もかもを消去する――つまりは創造神は丸損してしまうその権能を、女神はためらう事無く使用した。
これでいい。
損失は大きいが、バグのリソース分は何度か世界を作り、捕食すれば補填できる。
今は、一刻も早くこのバグを消去しなければ――
「――忘れたの?」
『……あ?』
――しかし、エルトリスを淡く包んだ光は、いつまで経っても彼女を消去する事はなかった。
否、出来なかった。
リソースが大きいから消去できないという訳ではない。
エルトリスに触れている光が、その端から喰らわれているのだ。
「アンタは、前も私が死ぬまで手出し出来なかったじゃない。自分が弱者だってこと、思い出した?」
『ふ、ざ――っ、バグが、バグ風情が、この神を見下す事なんて――!!』
「……見下してなんかないよ。うるさいから、死んで」
非常手段。最終手段さえも容易く弾かれたのを見れば、女神は取り乱し。
そんな女神をつまらなさそうに見ながら、エルトリスは再び、その顔面に拳を叩き込んだ。
他の部分は殴っていない。
そうする事もできたが――ただ、顔面を殴りつけたほうが、溜飲が下がる気がしたから、そうしているだけ。
ばちゅん、と頭を弾けさせながら、女神は大きくのけぞり――しかし、再び身体を起こす。
『……っ、く、ふ』
そして、最初にそうしていたように。
何かを思い出したかのように、女神は醜悪に笑みを浮かべてみせた。
「エルトリス!それに何もさせちゃ駄目だ!!」
「うん、判ってる」
『くふっ、ふふ――ぐ、ぶぁっ』
その醜悪な笑みが再び殴り潰される。
その身体が、黒刃に両断される。
赤い血を撒き散らし、耐え難い屈辱を味わいながらも、しかし女神は笑うことを止めなかった。
『――ああ、そうだったわ。別に、貴方達は無視しても、いいんだった』
「……?」
ぽつり、とつぶやいた女神の言葉に、エルトリスは眉を顰める。
その間も攻撃の手は緩めていない。
死なないと言うなら死ぬまで――何もできなくなるまで、殺し続けるだけだと言わんばかりに、容赦なく。
そのたびに再生し、修復し、女神は醜悪に笑っていた。
『……良いの、かしらぁ?帰るべき場所が、なくなるわよ?』
そして――女神は、勝利を確信したかのように、勝ち誇ったかのように二人を嘲笑う。
幾度となく潰され、斬られ、本来なら死んでいて当然のダメージを負いながら――目の前の二人に完全に圧倒されていながら、しかし見下すように。
「……まさか」
『くふ、ふふ……っ!ええ、ええ。そうだったわ、あなた達は最後で良いんだものねぇ?先に前菜から済ませてくるとするわ――!!』
その笑顔に嫌なものを感じたのか、少年がはっとすれば、女神はケラケラと笑いながら、まるで水面にでも沈むかのように風景に溶けた。
強い存在感も消えれば、女神は二人の前から完全に消失し――
「……ミカエラ。居る?」
――そんな女神を見ながら、エルトリスは小さくつぶやく。
同時に、風を裂くように現れたのはルシエラ――と瓜二つの姿をした、もう一振り。
ルシエラに妹とされた、ミカエラだった。
「……姉様、は」
「ごめん。後で私のことを、殺しても良いよ」
ミカエラの言葉に、エルトリスは小さく言葉を口にする。
それだけで理解したのだろう、ミカエラは目を見開くと、ふるふると肩を震わせた。
実際、エルトリスは今此処でミカエラに殺されたとしても、文句一つ言うつもりは無かった。
だが、ミカエラはそんなエルトリスの表情を見れば、ふるふると頭を振る。
「姉様は、そこに居ます」
「……ここに、か。ん、ありがと」
エルトリスはミカエラの言葉に、自分の姿を見る。
ルシエラが入り混じった今の自分の姿こそ、まだルシエラが居る証左だと。
その言葉に、僅かに救いを感じれば――エルトリスは、ミカエラの手をとった。
「既に、民も守りに向かわせました。来たるべき時が来たのです……行きましょう、エルトリス」
「うん。行こう……君も、一緒に」
「……うん」
少年とエルトリス、ミカエラは手を取り合えば、小さく頷きあい。
そして、エルトリスはルシエラにそうしていたように、ミカエラを纏えば――ひゅん、と虚空を切り裂いた。