21.
『不確定要素。不要因子。世界のエラー――』
女神は憎々しげにエルトリスを睨みながら、歯軋りをした。
その表情は美しくも憎悪に染まっており、女神が見せた嘲笑以外の表情に、エルトリスと少年は圧を感じつつも口元に笑みを浮かべる。
二人はようやく、忌々しい相手に一矢報いる事が出来たのだ。
「そんなに顔を傷つけられたのが嫌だったの?」
「――この程度では済まさないよ。僕を、彼女達を弄んだ罪は贖って貰う――!!」
そして、再び白刃と黒刃が女神に向けて疾駆した。
もう少年を足止めする人間は居ない。
エルトリス達の元に向かう白い異形も居らず、女神とは一対二。
この状況が例え女神の慢心から生まれた好機だったのだとしても、二人が留まる理由など何処にもなかった。
『――っ』
――女神に、戦いの心得などという物はない。
必要ないからだ、そんなものは。
女神は世界を管理する側であり、わざわざ他者と争ったりすることもない。
否、正確に言えば他の神と競い合う事はあれど、それはあくまで成果での話だ。
直接殴り合う、殺し合うといったような事などは、神々の間では行われず。
精々が、自らの持つ世界同士を見せあい、ケチを付け合う程度で――
『こ、の――っ』
「いける……っ!!」
『大した力じゃが、扱いきれなければ宝の持ち腐れじゃなぁ!!』
「もう貴女を倒しても戻らないけれど――っ!!」
故に、女神は二人の戦士に圧され始めていた。
無論、一方的というわけではない。
女神が振るう腕は、放つ力はすべてが規格外の破壊力を秘めていた。
疾く、鋭く、強く。
だがしかし、その全ては一度たりとも洗練されたものではない。
故に、文字通り最強の戦士である二人にとっては、決して捌けないものではなかったのだ。
女神の体に、少しずつ傷が入っていく。
赤い血が滴り落ち、身体に切り傷を作り。
時折女神は新たな生命を産み出して二人の連携を阻止しようとするも、それも叶わず。
(――全ては、このバグ。バグを、私が看過していなければ、こんな……!!)
女神は今になって、エルトリスという存在をどんな形であれ残したことを後悔していた。
1つ前の世界で生まれてしまった、世界の不具合。
女神が意図せずに生まれてしまった、人間でありながらその規格から外れていた者。
それは無限に成長し、無限に強くなり、そして周囲にまでその影響を及ぼすエラーだった。
女神が創り出した、いわば分身とさえ言える存在にも関わらず、女神はエルトリスが死の淵に至るまで干渉する事さえ出来ず。
故に、女神は勇者という者を――女神が意図して規格外として作り上げた、少年を用意したのだ。
少年はその実、よくやっていた。
良く成長し、良く周囲を育て、良くエラーを、バグを処理してくれた。
故に、次の世界でも同じ役割を与えたのだ。
エルトリスという存在がもし、無力な器に収められたのだとしても周囲に影響を及ぼすのであれば、それを刈り取る収穫機として。
そして、エルトリスという存在が瞬く間に死に絶えたのだとしても、全てを何れ刈り取る終末装置として。
『く、あ――っ!?』
――女神の腕が片方、斬れて飛ぶ。
それを直様女神は補い、再生させつつエルトリス達を弾き飛ばした。
……だが、女神の計算外は唯一つ。
エルトリスというバグが、その終末装置さえも侵食した、という事だった。
世界のリソースの半分を持つ魔王と、如何様にしてか、それと対等に渡り合うだけの実力をもったエルトリス。
つまり、世界そのものと同等の戦いを強いられれば、女神も苦戦せざるを得なかった。
(だと、しても――こんな事は、起こり得ない筈だというのに――!!)
――女神は、創世において自らの力を分ける事でそれを為しているのだ。
世界を生み出すにあたって、自らのリソースの4割を用いてそれを産み出している。
故に、本来ならば、負けるはずのない戦いだった。
6割と4割では、本来勝負にならないはずなのだ。
無論牧場として育てる以上、多少なりとその世界は育つが――女神はそれが自分を超える前に、必ず収穫を行っていた。
今回も、この世界は良い所5割程度までしか成長していない筈だった。
だと言うのに、今女神が感じている二人の圧力は、自らに劣っているとは到底思えず。
先程まではまだ、優位だったはずだと言うのに――僅か数分、それにさえ満たない時間で自らに迫った二人を見れば、女神は忌々しげに眉を顰めた。
『――くふっ』
だが。
そんな女神の口元に、笑みが浮かぶ。
思い出したのだ。
先程行った、確かに片方に効果があった行動を。
「これで――ッ!!」
「その首、貰った……!!」
わずかに動きを止めた女神に、エルトリスと少年は疾駆する。
それは、間違いなく必殺のタイミングだった。
女神は逃げる暇もなく、防ぐには足りず、確実に殺せる――そんな間合い。
女神はその刹那を、創造に使った。
生み出すのは、ただ一人。
リソースの1%どころか、その十分の一にも満たないであろう簡単な物。
「――……エルトリス様」
――それを見た瞬間、エルトリスの動きは止まった。止まってしまった。
居るはずがない。
ここに現れる筈もない。
何しろ、本人は未だにエルトリス達を守る為に眼下で戦っているのだ。
だとしても。
「お慕いしております、エルトリス様」
――自らを慕う、この身体になってから長い付き合いの仲間を。
その言葉を、この死線で聞いてしまえば、止まらない訳がなかった。
それは、刹那のこと。
エルトリスは直ぐに我に返れば、歯軋りを鳴らしながらリリエルの姿をしたそれを切り払い――
『――くふっ、ふふふふっ』
瞬間。
女神は少年に自らの身体を深く傷つけられるのも厭わずに、リリエルの体に隠れるようにしてエルトリスに迫った。
エルトリスは咄嗟に反応し、女神の掌を防ごうと身構える。
『神の右の御手』
『なっ、これは――っ!?』
――それは、光り輝く御手。
決して動きが早い訳でもなければ、避けられないわけでもない。
ただ、リリエルの姿を見せられ、声を聞かされ、それに対処させられたエルトリスは判断を誤った。
「――あ」
女神の腕が、ルシエラの守りを――その内側にあったエルトリスの身体を、貫いた。
深々と胸を穿ちぬかれたエルトリスは、短く声を漏らす。
『エルトリス――!?』
『貴女も邪魔ねぇ。砕けて消えなさい……!!』
そして、そのまま横薙ぎに。
女神が腕を振り払えば、纏っていたルシエラの身体も砕け散る。
「――……!!!」
エルトリスは、自らの身体が致命的に欠けた事を理解しながら。
身体から急速に熱が消え失せていくのを――そして、満ちていた筈のルシエラの力が消えていくのを、感じていた。
落ちていく。
落ちていく。
少年の絶叫にも似た声を聞きながら、しかしエルトリスは何をすることも出来ず――やがて、水面に落ちた。




