20.天地創造②
――地表を満たす水から、黒く穴の空いたような空から、白が迫る。
見たこともない異形は女神に目もくれずに、エルトリス達へと襲いかかっていた。
「――エルトリス!貴方は魔王とともにあの女神を討って下さい!!」
「うん、言われずとも――!!」
アルケミラはそんな最中であっても、的確に指示を飛ばす。
エルトリスと魔王の邪魔をさせないように陣形を組み、殺到する白い生き物の尽くを打ち払い。
そんなエルトリス達の様子を見れば、女神は醜悪な笑みを見せながら、余裕そうになにもない所に腰掛けて、宝石のような色をした液体を口にしていた。
その有様は、まるで演劇でも見ているかのよう。
エルトリス達の奮戦を、まるで喜劇が如く楽しみながら、女神は再び自分へと肉薄する二人にグラスを軽く投げた。
そのグラスが、みるみる内に巨大化する。
まるで城でも投げつけられたかのような巨大さに、そして勢いに二人は小さく息を吸って――
「舐める、な――ッ!!」
「この程度……っ!!」
――そして、白と黒の刃をもってそのグラスを、勢いを殺すことさえ無く切り裂いた。
止まらない。
エルトリスも、少年も、その程度の暴力で止まることはない。
自らに虚弱というのさえおこがましいような肉体を与えた女神を。
自らが守りたかった者を――守り抜いた筈の者を、全て奪った女神を。
二人は、断じて許すことはない。
『……あーあ。そんな真面目な顔しちゃって、馬鹿みたい』
だが、それを女神は小馬鹿にするように一蹴した。
その手を軽く――しかし二人の動きよりも早く――叩き合わせれば、パン、と乾いた音が鳴り響く。
刹那、現れたのは――
「――……っ」
『ほぉら、会いたかった人たちでしょう?どうぞ♥』
――少年の動きが、一瞬だけ止まる。
それは、彼が知っている人間達だった。
「……っ、テメェ、どこまで――っ!!」
そして、エルトリスも彼らの内何人かを知っていた。
あの戦いの時、少年について来て――しかしながら、少年とエルトリスとの戦いには着いてこられなかった者達。
それが、女神が作り出した者達の何人かに入り混じっていたのだ。
「……」
「……あ、ぅ」
「うー……」
言葉は、発さない。
それらは呆けた表情で音を鳴らしながら、刃を握る。
「――――――!!!!」
――その、人としての尊厳を踏みにじるような所業に、少年は咆哮をあげた。
エルトリスと共に矢のように、女神までの間を駆ける。
冷静さを欠いた訳ではない。
ただ、最早女神に何もさせたくはなかったのだ。
少年とエルトリスは、自らに向かってくるその人間達の尽くを切り捨てた。
かつて少年を育ててくれた者。
少年を愛してくれた者。
共に遊んだ友人。
自分を支えてくれた仲間たち。
それと同じ顔をした、同じ姿をした人間達を斬る度に、少年は口から血が滲み出るほどに歯軋りを鳴らし、先へと進む。
エルトリスは、少年に言葉をかける事はなかった。
理解していたからだ。
もしリリエルやルシエラ、アミラやエルドラド――自分の仲間たちで同じ事をされたなら、その時は何を言われようとも止まらないだろうと。
『あらあら、酷いわねぇ。折角再会させてあげたのに――』
「黙れ――ッ」
「――……あ、ぅ」
そして。
女神の言葉に静かに怒りに燃える少年の前に、彼女は現れた。
それは、少年が一番守りたかった者。
自分を愛し、自分が愛した女性。
少年はバキン、と奥歯を噛み砕きながら刃を強く握りしめ――
「……っ、え」
――その、女性の写し身は。
少年の目の前で、少年ににこりと笑みを浮かべれば、自分の首を突き刺した。
突然の行動に少年は呆気にとられ、動きを止める。
「……どう、して」
それは、決してその写し身に意思があった訳ではない。
すべて、女神が即興で作り出しただけの、外見だけの物に過ぎない。
だが、声色も、姿形も、或いは匂いまでも同じなそれが語る言葉は――
「……どうして、わたしたちを、ころしたの」
――これ以上なく的確に。
少年の心を、穿ちぬいた。
戦意を喪失するわけではない。
泣き叫ぶわけでもない。
だが、その余りにも残酷な――そして邪悪な仕打ちは、少年の思考を一瞬だけ、完全に停止させた。
『くふっ、ふふふっ♥はぁい、チェックメイト』
それは、女神の前では致命的な隙。
時間にすれば一瞬程度のその隙に、少年を水晶の内に閉じ込めた。
……否、推奨というよりは飴玉の方が近いのかも知れない。
甘い香りを放つそれに閉じ込められれば、少年は指1つ動かせなくなり――
――それに構うことなく、エルトリスは女神を間合いの内に収めた。
『あら、薄情ねぇ。折角のお友達なのに、助けようともしないなんて』
だが、それでも女神の余裕は崩れない。
知っているのだ。
エルトリスの白刃は、決して自分には届かないという事を。
それは、女神が造物主であるが故のアドバンテージ。
或いは、“世界を作る側”という立ち位置故の特典だろうか。
世界の内側に生きる者は決して、世界の外側からそれを作る物には触れられない。
先程は魔剣に誘導された結果、空間の綻びを切り裂かれはしたが、女神自身はダメージらしいものは負っていなかった。
故に確信していたのだ、遊んでも問題ないと。
故に慢心していたのだ。創造物が、自らに届きうる刃など持っていないと。
――否。
エルトリスは既に、世界の外に刃を届かせている。
「っ、そこ――ッ!!!」
かつて、ロアと戦った時の経験をエルトリスは覚えている。
あれもまた、世界の外側に立つ者だった。
アリスとも、幾度となく戦っている。
あれもまた、理の外に立つ者だった。
女神は知ろうともしなかったのだ。
牧場の内側で愉快なことが起きているとは知りながらも、牧場の中に立ち入ってその仔細を調べようとはしなかったのだ。
『くふっ、無駄無駄。何処を斬っているのかしら――』
「……そこを、斬ったんだけど?」
『――……?』
エルトリスの言葉に、視線に、女神は自分の首筋を撫でる。
――手が赤く濡れたのを見て、女神は信じられない物を見るような表情を、初めて見せた。
女神が硬直している隙に、エルトリスは少年を飴玉のような水晶から開放すれば、再び女神と向き合う。
「どうしたの?まさか、自分の血を見るのは初めて?」
『……嘘』
「……見てればやり方、多分わかるよね」
「ああ、大丈夫。君のを見て、何となく察した」
「さっすが」
女神は手についた自らの血を見て、ぶつぶつと小さくつぶやき始めた。
それを尻目に、エルトリスは少年と言葉を交わす。
旧友のように言葉を交わしあえば、互いに軽く笑みを浮かべながら――
『……ああ、ああ。やっぱり、不確定要素なんて、残すべきじゃ無かったのね』
――そんな二人に、女神は醜悪な笑み以外の表情をはっきりと浮かべてみせた。