19.天地創造①
――目の前の女神を、エルトリスは睨む。
宿願。自らの最高の瞬間を、それを与えてくれた存在を――そして、今再び新しく積み上げてきたものを踏みにじろうとするそれにかけるような情けなど、エルトリスには無かった。
それは、少年もまた同じである。
自らの守りたい物は、全て消し去られた――否、捕食された事を彼は理解していた。
自らの身が人間ではない何かに成り果てていた事は然程ショックでもなかったが、それだけは許し難く。
「――いくよ」
「ああ、いこう――!!」
故に。
今ここに初めて、エルトリスと少年は並び立ち、共通の敵に刃を向けた。
事情を知らない、理解していない人間と魔族達もその二人の行動に、先程おぞましい言葉を垂れ流した造物主こそが真の敵だと理解したのか。
エルトリスに力を供給しつつ、その場に居た全員は女神に向けて一斉に襲いかかる。
『ええ、ええ。くふっ、良いわ――偶には運動しないと、身体も鈍るものね?』
だが、それを目にしてなお、女神の余裕は崩れなかった。
ゆるりと体を動かせば、指先をエルトリスたちに向けてみせる。
――何だ、その動きは。
エルトリスの脳裏に去来したのは、強烈な違和感だった。
恐らく凄まじい強さを持つ相手なのだろう。何しろ神なのだ、弱いわけがない。
だと言うのに……目の前の女神のその動きは、一切の洗練がなされていなかった。
隙だらけで、戦いなれている感じでもない。
いわば、素人同然の動き。
だというのに、エルトリスと少年が感じ取ったのは強烈な悪寒で――……
『ええと、何だったかしら……ああ、そうだった』
そんな白と黒の刃がその身体を一閃する、その刹那。
『先ずは、天と地を消しましょうか』
「――え」
「な……っ?!」
音もなく空が消え、そして踏みしめていた筈の大地が消失した。
正確には、全てが消えたわけではない。
地平線の彼方に大地はまだあるし、漆黒に染まった空も彼方にはまだ青が見える。
ただ、女神の周囲――というには余りにも広範囲の地面や雲といった物が指の一振りで消えて無くなったのだ。
翔ぶ手立てを持たない人間は、魔族は瞬く間に奈落へと落下していく。
エルトリスと少年は、その様を見て背筋を凍りつかせつつ――しかし、女神に刃を振るった。
その刃が触れる瞬間、まるで煙か霞のようにその姿は掻き消えて、少し離れた場所に現れた女神は心底可笑しそうにクスクスと嘲笑う。
『はい、これで頼もしいお仲間はご退場♥』
『いかん……!!』
「大丈夫だ!あいつらを信じろ!!」
女神の言葉に、先程垣間見えた光景にルシエラが焦りを滲ませる……が、それをエルトリスは律した。
どう考えても、助からない。
数kmは有るであろう深い地の底に叩きつけられたなら、ほとんどの人間や魔族は助からない。
……ただ、それは彼らが居なければの話だ。
「これで私達を殺せると思ってるなら」
「創造主だなんてのも眉唾ねぇ?私でもなれそうかも」
アルケミラが、アルルーナが、バルバロイが地の底に落ちかけていた者達を掬い上げる。
それは、慈悲では断じて無い。
そうしなければ女神に勝利できないと理解しているが故の行動だ。
エルトリスは、その場にいる全員を信用していた。
恥辱を味わわされたアルルーナでさえも、今だけは信頼を寄せていた。
一度手を合わせたからこそ分かる。
その場にいる誰もが、目の前の存在に相対するにはどうすれば良いのか、ちゃんと判っているのだと。
全員生き残ったのを見れば、女神は少しだけつまらなさそうに目を細めつつ。
しかし直様ニタリと嘲笑えば――
『――光あれ』
――まばゆい光が、周囲を照らす。
次の瞬間、消え去ったはずの大地が水に満ちた。
前触れがあったわけではない。
ただ突然現れたとてつもない質量の水に飲み込まれた者達は、藻掻き、苦しみ。
「……っ、らあああぁぁぁぁ!!!」
「届け――ッ!!!」
「これ以上アレに好き勝手させるな……!!」
そんな最中であっても、エルトリスと少年、そして空に逃れていた魔族と人間達は攻撃の手を緩めない。
水中にあった者達は、水圧に押しつぶされそうになりながらもアルケミラ達に救われ、水面へと浮かび上がる。
『くふっ、ふふっ♥ほら、次行くわよ?』
しかし、猛攻に晒されながらも女神は、その余裕を一度たりとも崩さなかった。
天と地を指差せば、空から眩いばかりの光とともに、熱が降り注ぐ。
それは、灼熱に覆われた球体だった。
放たれる熱は凄まじく、生み出された水面は煮立ち、湯気が立ち上って。
そのまま熱にさらされ続ければ、それだけで体力を奪われる事を察したバルバロイは、直様にそれを打ち砕かんと飛びかかった。
エルトリスと少年には、女神の相手をしてもらわなければならない。
その間の瑣末事は、全て自分たちが受け負おう。
そうするのが、恐らく最善手だと――そう、バルバロイは理解していたのだ。
甲殻を焼かれ、溶解する程の熱に向けてその尾を叩きつければ、生み出された星は砕けて散る。
だが、女神はそれを一瞥さえしなかった。
まるで、これはただの児戯なのだからとでも言うかのように、自らの攻撃を凌がれても焦りすらその表情に浮かばせない。
『頑張れ、頑張れ♥さあ、次はちょっとキツいわよ――?』
被造物に対して酷薄で残虐な笑みを浮かべながら、女神は軽く手を叩く。
ごぽり、と水面が揺れる。
それと同時に、空からそれは現れた。
真っ白な身体に真っ黒な瞳の腕の生えた魚と、同じ色をした巨きな鳥。
それが無数に、無数に――幾百、或いは幾千と水面の底から、空の果てからエルトリス達へと迫ってくる。
女神は未だ、最初に真っ二つにされた以外の傷はなく。
その余裕も、醜悪な笑みも、絶える事はなかった。