18.家畜達の神
――それは、誰が見ても口を揃えて“美しい”と口にするであろう女性だった。
翼が生えている訳でも無く、どこか異形な所が有るわけでもない、極めて人に近い姿をしたそれは、柔らかく笑みを浮かべつつ――先程飲み込んだ魔王を愛おしむように、お腹を撫でる。
『しかし、驚いたわ。世界の半分のリソースを持つあの子に、それに満たないリソースしかないあなた達が勝つなんて』
そんな言葉を口にしつつ、女神は何もない虚空に腰掛ける。
既に勝利が確定したが故の、慢心。
否、慢心ではなく余裕、というのかも知れない。
女神は敵意を向けているエルトリス達を敵とさえ認識しておらず、まるで道端で世間話でもするかのような気安さで、語りかけてきた。
「……どういう、意味だ」
『あら、私には魔王クンにしたみたいに話しかけてくれないの?あの口調、可愛らしいのに』
「どういう意味だって言ってんだよ」
無論、エルトリスはそんな女神に対して敵意を切らさない。
視線をそらす事無く女神を見据えながら――しかし、女神はそんなエルトリスに威圧される事もなく、クスクスと小馬鹿にするような笑みを絶やすこともなかった。
『どういう意味だ、と言われてもそういう意味、としか言えないわ?私にとって、どっちが勝っても関係なかったのよ』
ただ淡々と、笑顔で、明るい声色で、女神はそう言葉にする。
隙だらけだ。
構えてさえも居ない。
だが、そんな女神に誰一人として、手を出すことは出来なかった。
……否、手を出そうとはしなかった。
エルトリスが堪え、言葉を交わしている。
であるならば、それの邪魔をするべきではないと考えていたのだ。
『だって、そうでしょう?今日の食事が豚肉か牛肉かなんて、些末なことじゃない』
「――な、に」
ただ。
女神が口にしたその言葉に、エルトリスは呆気にとられたように声を漏らした。
言葉の意味が、理解できない。
まるで、先程までの――否、これまでの戦いがすべて、夕飯の献立程度の意味しかないとでも言うかのようなその言葉を理解できる者は、その場には居なかった。
そんなエルトリス達の様子を見れば、女神はくすくすと笑いながら、何もない所から赤い液体の入ったグラスを取り出し、口をつける。
『――まだ分からないのかしら、エルトリス。貴方達は、家畜なのよ?』
「家畜……って」
『そう、私の作り出した世界という“牧場”で飼われている、哀れな豚さん♥それが、貴方達。言うなれば魔族が牛で、人間が豚かしら?』
――そして、女神は酷薄に、愉快そうに、そう言葉にして嘲笑った。
自分が作った者達を。
創造物を。
造物主自らが、家畜と――そう、言い放ったのだ。
『貴方達は、私がより高みに昇る為に作り出した成長する家畜なの。成熟するまで勝手に育ち、発展して、時が来れば私に喰われるだけのとっても都合のいい家畜♥』
「……大人しく喰われてやるとでも思ったのか、クソ女が」
声を上ずらせ、愉しげに嘲笑う女神に、エルトリスは怯むこと無く視線を合わせる。
そんなエルトリスを見れば、女神はケラケラと笑いながら――虚空に、指を這わせてみせた。
『くふっ♥ああ、でも貴方だけは別よ?だって、貴方が居ると周りがよく育つんだもの』
「どういう意味だ」
『そのままの意味よ。前の世界でも、貴方が生きているだけで勝手に周りの生育がよくなったわ――まあ、多少問題もあったけれど、それに目を瞑ってもいいくらいには、貴方は私に貢献してくれているのよ?』
女神のその言葉に、エルトリスは心底不快そうに眉を顰める。
女神自身、エルトリスが嫌がる事を理解した上で言っているのだろう、それを見ればとても愉快そうで。
『だから、次の身体は貴方に選ばせてあげるわ――くふっ、ふふふふっ♥』
笑いを堪えきれない様子で、女神は口元を軽く抑えると。
虚空に、幾つもの――そう、今のエルトリスに酷似した身体を作り出していった。
性徴さえまだ分からないほどに幼い、ぷにぷにとした幼女。
過度に成長した、牛のように無駄に大きな胸とお尻をした、リリエルくらいの女性。
逆に、貧相過ぎるといえるほどにガリガリな、肋の浮いた大人の女性。
胸はまったくないというのに、下半身だけは過度に肉付きの良い少女。
全身にむっちりとした肉を纏った、肥えたとしか言えない女の子――
『好きな身体を選んで良いわ?ええ、どうせどれも成長も変化もしないけれどね♥』
「……っ、ざっけんなよ、このクソ女が……っ」
『あら、選ばないの?じゃあ――そうね、ちょっと体験させてあげましょうか』
――その何れも、エルトリスを辱め、貶める以外の意図は無く。
歯軋りをさせながら、怒りに満ちた表情を見せたエルトリスに、女神は残念そうに――しかし、悪戯を思いついたように言葉を口にすれば、パチン、と指を鳴らしてみせた。
「――……え」
それは、実際には瞬き程の時間さえもない、刹那。
周囲には何も起きていないように見えた――バルバロイでさえ視認出来なかった、認識出来なかったその刹那に、エルトリスはぽつり、と小さく声を漏らした。
幼い、性徴さえまだしていない幼女にされたエルトリスは、孤児院に拾われ、何時までも成長しない、おしめも取れない可哀想な子供として永い幼児期を過ごした。
過度に性徴した、牛のような乳房と尻をした女性にされたエルトリスは、無駄に乳を揺らし、尻を振り、常に男たちから好奇の視線を受け、時に襲われながら、被虐の日々を過ごした。
貧相過ぎるほどにガリガリな女性にされたエルトリスは、何をしても息を切らし、直ぐに疲れ、食事もろくに取れず、病弱で――そんな身体のまま放浪する、苦痛に満ちた年月を歩まされた。
下半身だけ肉付きの良い少女にされたエルトリスは、むちりとした下半身を揺らしながら、酒場の主に拾われて、踊り子として扇情的な踊りを踊り、誰かに媚びる事しかしなかった日々を長く過ごした。
全身にむちりとした肉を蓄えた、肥えた少女にされたエルトリスは、常に空腹に苛まれつつ、全身の重みに息を切らせながら、まるで豚のような飽食の日々を過ごした。
「~~~~……っ!?」
――それは、全て刹那のこと。
女神がエルトリスの記憶に、もしもその身体ならどうなるか、という偽りをねじ込んだだけ。
だが、それでもエルトリス本人にとってはその全ては本物の体験であり。
「あ……っ、ぐ、ふ、うぅ……っ!!」
『くふっ、ふふふっ♥よーしよし、良く壊れなかったわね、エルトリス?嬉しいわ、だって壊れたらつまらないもの』
頭を抱え、涙を流し。
強烈な記憶を複数同時に叩き込まれた頭痛、経験させられた感覚の到来に、エルトリスはその場で失禁して――しかし、それでもエルトリスはまだ、自我を保っていた。
様々な人生を叩き込まれ、その記憶を混ぜ込まれながらも、エルトリス本人は折れる事無く女神を睨む。
――力の差は歴然だった。
指を鳴らしただけで、エルトリスを廃人寸前まで追い込める、文字通りの造物主。
彼女はその力故に、余裕を一切崩さなかった。
そして、エルトリスの姿になにか注意を払うこともなかった。
『……?』
違和感に気づいたのは、その僅か後。
エルトリスをどの身体に入れてやろうかと考えた、その瞬間。
――完璧と言っても良い美しさを保っていた身体、その腹部から漆黒の刃が、貫くように突き出した。
『――ええい、私は貴様を許してなどおらん!こんな事はこれっ限りじゃからな!?』
「うん、有難うルシエラさん。おかげで、“出られた”」
『――は?』
漆黒の刃は、そのまま女神の身体を真っ二つに切り裂いて――その内側から少年と、その手に握られたルシエラが、エルトリスの元へと戻る。
女神は、忘れていたのだ。
何故エルトリスが、どうしようもなく弱い身体にされたというのに、今まで生き延びてこられたのか。
注意を払う事さえ無かったのだ。
エルトリスが、ルシエラを纏ってさえ居ない事を。
『待たせてしまったのう、無事かエルトリス――っ!?』
「う、ん。大丈夫、だ」
――少年が喰われる刹那。
エルトリスが少年に手渡したルシエラは、女神の内側からエルトリスに向かって、只管に少年を誘導し続けた。
それは、事実正解だった。。
女神は身体を真っ二つに切り裂かれ――無論、まだ死んでは居ないが――少年を助け出す事にも成功した。
『――貴様、エルトリスを辱めたな』
だが。
その間にエルトリスが弄ばれた事を即座に理解したルシエラは、女神に対して強い殺意を向ける。
少年もアルスフェイバーを構えれば、女神に迷うこと無く向けた。
それに追随するように、周囲の魔族や人間達も、女神に――造物主に、はっきりとした敵意を向けて。
『……あーあ。面倒くさいなぁ、私はワンサイドゲームが好きなんであって、戦いなんて面倒で嫌いなのに』
――それを向けられた女神は、真っ二つにされた身体をぴたりと繋ぐと。
心底面倒くさそうに――そして、意思が統一された家畜共を蹂躙するのも愉しそうだ、と歪んだ笑みを浮かべてみせた。