17. 終着、そして――
――放置すれば均衡が崩れる。
その闖入者に魔王は気付くが、彼女達に手を出す暇をエルトリスは与えなかった。
「――……」
『寄越せ、アルケミラ――!!』
「ええ。無論、そのつもりです」
「ふん。まあ、今回だけは貸しにしてあげるわ」
黒い刃が振るわれるよりも早く、ルシエラが2人から放たれた白い槍を、植物の蔦を喰らえば。
今までは微かに圧されていた筈のエルトリスが、魔王を僅かにだが圧し始める。
アルケミラだけでは、拮抗に戻せただけだったかもしれない。
だが、もう1人。
既に退場したはずの六魔将が居たならば、話は変わる。
「……っ、あ、ああああぁぁぁぁ――ッ!!!」
「く……っ」
漆黒の刃と白熱したそれが激突する度に火花が散り、徐々に、徐々に――今まで無傷だった魔王の身体に、傷が入り始めた。
傷から溢れ出すのは、赤ではなく紫。
人間ではない色の血を流す少年を見れば、エルトリスは唇を噛む。
魔族になっているから、ではない。
「――思い出して!!あなたは、私を殺した男でしょう!?」
「何、を」
「忘れたなんて言わせない!!思い出せないなら、思い出すまで言ってやる!!あなたは私を殺した、殺せた唯一の人間なんだから――ッ!!!」
取り繕う事さえ忘れた言葉を、必死な声で口にする。
少年は、エルトリスの口にした言葉の意味が判らなかった。
それで、互いの刃が鈍ることはない。
それで、動揺する訳でもない。
ただ――何か。胸の奥、脳の片隅でひっかかる何かを感じ、少年は眉を顰める。
「……知らない。僕は、君なんて」
「私は忘れない!あなたが、私を殺してくれた事――あの楽しくて最高だった一時を、断じて忘れてなんかやらない!!」
少年が何を言おうと、エルトリスは言葉を止める事はなかった。
……それは、エルトリスとしてはとても珍しいことだった。
戦いの最中に言葉を交わす事など、然程意味はない。
それどころか、体力を減らすだけで余分でしかない。
下手をすれば、隙を露呈するだけの愚行にしかならない、そんな行動は馬鹿らしい。
故に、エルトリスが戦いの最中に言葉を口にするのは、余裕綽々な時か――或いは、余程愉しかった時だけ。
感情が抑えきれず、言葉を口にせずには居られなくなった時だけで――そして、今は余裕でもなく、愉しい訳でも無く、正しくそれだった。
許せない。我慢できない。悲しい。ムカつく。
雑多な感情を入り混じらせながら、エルトリスは魔王と白熱した刃で切り結び。
「どうしてあなたは戦ったの!?守りたい奴が居たんじゃなかったの!?」
「――守りたい、もの?」
「それを台無しにされて!!あの戦いもなかったことにされて!!悔しくないのかよ、勇者――……ッ!!!」
――その言葉を耳にした瞬間、初めて魔王の顔が苦悶に歪んだ。
太刀筋が鈍る訳ではない。
判断を間違える訳でもない。
「……そんな、者は――っ」
「あったでしょう!?私とおんなじで!守りたいやつが居たから、あんなに強かったくせに!!」
「あ……ぐ、う――っ!?」
ただ。
脳をかき乱されるような。
心を切り刻まれるような、そんな感覚に魔王は苦悶の声を漏らした。
その脳裏に微かに映るのは、存在しない筈の記憶。
ただの収穫機であり、世界のシステムに過ぎない魔王には存在する筈のない記録。
――優しく、暖かな両親。
聖剣に認められた自分を暖かく送り出してくれた村。
旅の途中で出会った大事な女性。
戦いの最中で得た、大切な友。
大きくなりすぎた力を恐れ、裏から迫害するように仕向けてきた貴族。
自分に取り入ろうとする、醜い性根が顔に出ている事にも気付かない連中。
精一杯頑張った自分たちを、僅かに出た被害で責め立てる民衆。
そして――最後に出会えた、自分と同類の、自分とは正逆の道を進んだ男。
『――駄目よ?貴方は魔王、私のお人形さんなんだから』
「――クソ女なんかに負けないで!!あなたは、私と同類なんだから――!!」
「――――――あ゛」
――同時に耳にしたその言葉に、魔王は短く声を漏らし。
「……っ、う゛あ゛あ゛あぁぁぁぁぁぁ――ッ!!!!」
そして、手にした漆黒の刃を――黒に塗れたアルスフェイバーを、少年はエルトリスではなく、虚空に向けて振り払った。
眼から。耳から。口から。
血を垂れ流すように零しながら、少年は荒く息を吐き、体を震わせる。
「……っ、ぁ……ぐ」
苦悶の声を漏らし、攻撃の手を完全に止めた少年に、エルトリスもまた手を止めて。
そして、しばしの静寂の後。
「……ありがとう。君のおかげで、思い出せた」
魔王であった、魔王にさせられていた少年は、柔らかく笑みを浮かべた。
姿は、変わらない。
手にした刃もまた、漆黒のまま。
しかし、その瞳には確かに理性を宿していて。
その姿に、魔族達も、人間達も戸惑いを隠すことが出来なかったが……エルトリスだけは、心底嬉しそうに安堵の笑みを零した。
「良かった……気をつけて、まだ――」
『――あーあ。残念、私は魔王クンが勝つと思ってたのになぁ』
――声が、響く。
エルトリスと少年だけではなく、その場に居る全員がその声を聞いたのか。
戸惑う周囲を無視して、エルトリスと少年はその姿を探った。
前回は、既にエルトリスが死亡寸前だったが故に、遅れを取った。
だが、今は違う。
互いに消耗こそしたが、エルトリスも少年も健在で――
「――な」
「……っ」
――二人が、それに気付いたのは刹那の後。
少年の背後から、なにもないはずのその空間から現れたのは、大きな人の口。
きれいな歯並びをしたそれが、少年を瞬きの間に飲み込んで。
『――まあ、何方でも変わらないのだけれどね?ふふっ、ふふふ――っ♥』
ごくん、と飲み込む音。
その口はそのまま少年を飲み込めば、水面から浮き上がるかのようにして、それは現れた。
絶世の美女。
見る者すべてを魅了するであろうそれは、口元を醜悪に歪めながら。
『おめでとう!貴女の勝ちよ、エルトリス。満足した?』
――たった今、全てを台無しにしたそれは、女神は。
手を軽く合わせながら、心底見下した、小馬鹿にするような声色で、エルトリスを褒め称えた。