16.幕間/妖花、返り咲く
――ああ、死ぬのだな。と、どこか冷静に、私は思考していた。
落ちていく、堕ちていく、墜ちていく。
今更それを止める手段はない。
魔王の一撃でその殆どを失った私では、最早何を行う事もできない。
……ただ、無念だった。
出来得る限りの足止めをした後は、どんな形であれど戻るつもりだったから。
クラリッサ。
アシュタール。
イルミナス。
……それに、エルトリス、リリエル、アミラ、エルドラド――ああ、それにアリスとバルバロイも。
もう少し。
後少しで、私は私の理想を、その目にできそうだった気がしたのだ。
――まあ、だからといって今更時は戻らない。
魔王から受けた傷は致命的だ。
創世の水はその機能の尽くを喪失し、霧散した。
辛うじて頭部だけは残ったけれど――それも、この高所からの落下で叩きつけられれば、その機能を喪うだろう。
そうすれば、残るのはただの水。粘液。
そこに、私の知性はきっと残らない。
だから、残念だ。
私は――ああ、そうだ私は、もっと、生きたかったのに――……
「――私以外に殺されるつもり?」
……そんな私の脳裏に、懐かしい声が聞こえてきた。
ああ、そうだった。
あの子はまだ、私の内に居たのか。
私が弱っているから――だから、表に出てこれたのか。
「なんて無様。私に大見栄切って、私を打倒した貴女がそんな有様だなんて、笑えてくるわ」
――私の内側から、ずるりと――サイズを無視して這い出してくる、彼女。
相変わらず無力な身体のままだけれど。でも、その表情は彼女らしさそのままだった。
確かに、アルルーナには悪い事をしたかもしれない。
私の理想のため、それを果たすために彼女を討ち滅ぼしたというのに――だというのに、その結末がこれでは、彼女も報われない。
……無論、彼女に報うつもりも無いが。
「……認めない。私以外の何かに殺されるアンタなんて、私は認めない」
ただ。
後は地の底に落ち、死にゆくのを待つばかりとなった私を、アルルーナは唇を噛みながら睨みつけた。
「私に死を許可しなさい、アルケミラ。貴女はこんなところでは死なせない――貴女はもっと栄え、もっと伸び、繁栄して、その上で私に殺されなければならないのよ――!!」
……なんて、自分勝手。
ああ、でもそうだった。
いつも自由だった――アルルーナは自分勝手で、自己中心的で、他人のことは踏み台としてしか、糧としてしか見ていない。
「――アルケミラ!!私も貴女も、こんな所で死ぬ訳がないでしょう――!?」
ただ。
――ああ、ただ。
ずっと、ずっと……気が遠くなるくらい、昔。
まだ私もアルルーナも幼かった頃、彼女は、こんな顔を私に、向けていた気がする。
……だから、私は彼女に強いていた楔を、外した。
何が有っても死ねないという楔を外せば、彼女に残るのはただの脆い身体。
これで、彼女は何時でも死ぬ事ができる。
……それで良い。
ただの粘液に成り果てる前に、せめて、嘗ての友人を救えたなら。
きっと意味はあるのだろうから――
「――くふっ。くふっ、ふふふふ――っ」
――アルルーナは、そんな私を見て嘲笑った。
いつもの、他人を見下した、小馬鹿にしたような笑い方。
「バァカ。本当に馬鹿ね、アルケミラ」
躊躇いなく、アルルーナは自らの舌を噛み切れば、ごぼ、と音を鳴らしながら――苦痛を感じているのだろう、表情を顰めつつも、私を見た。
瞬間。
地の底から、それは現れた。
うぞるうぞると繁茂する蔦。
それと繋がる、新緑の女体。
――ああ、そうか。
私はアルルーナのおおよそを滅ぼしたと思って、居たけれど。
彼女は、私さえ探れない地の底深く。
誰もたどり着けはしないその場所にも、自らを分けていたのか――
「――くふっ、くふふふふっ!!あはっ、きゃははははは――っ!!!!」
狂喜するアルルーナを見ながら、私は徐々に胡乱になっていく意識の中で、良かった、だなんて考えてしまう。
アルルーナは、きっとエルトリス達にとって害を為すだろう。
私の理想にも、害をなすだろう。
だというのに――胸に去来したのは、心からの安堵だった。
私が消えても、アルルーナが存在しているのであれば、まあ、仕方ない。
そんな奇妙な納得を得ながら、私は目を閉じて――
「……っと、いけないいけない。ほら、食べなさいアルケミラ」
――そんな私に、アルルーナは果実を無理やり、ねじ込んできた。
「――っ、~~~~……っ!?」
「アンタは私が殺すけど、でもそれは今じゃないわ。さっさと食べて増えなさい、アレを排除するんだから」
体内に強引にねじ込まれた果実を分解し、吸収する。
……それだけで、幾分か私は、私を取り戻す事が出来た。
「ほら、さっさと次も食べる。万全までは戻せないでしょうけど、安定するまでは喰わせるわよ」
「……っ、ま、待ちなさい、んぐっ!?な、何の――んむ、ぅ――っ!?」
「――くふっ」
やっと言葉を口にできる程度に回復した私を見れば、アルルーナは次々に、矢継ぎ早に果実を私の口にねじ込んでいく。
人の形を――とは言っても、まだ小さいけれど――取り戻した私の身体は、果実をすぐさま消化することは叶わず、段々と、重みを、増して――
「くふっ。くふふふっ、きゃははははっ!!なぁにその身体、不格好ねぇ♪」
「ん、ぶ……っ、あ、あなた、が……っ」
――ずっしりと膨らんだ、まるで肥えたようになった身体を、アルルーナの葉の上に載せながら。
私は、心底楽しそうに嘲り笑う彼女を睨み――そんな私を見て、旧友はパン、と手を合わせた。
「あー、笑った笑った♪さあ、愉快なことをしましょうアルケミラ」
「ゆ、かいな……こと……?」
「ええ。貴女を殺したと思ってる奴に、吠え面をかかせるの。あの澄ました顔を横合いから殴りつけて、余裕を台無しにするの――楽しいと思わない?」
アルルーナは、以前と何一つ変わらない。
……いや、或いは変わったのかも知れない、けれど。
魔王という新しい標的を見つけた彼女は、酷く楽しげに――どうやって彼を貶めようか、苦しめようかと、頭を働かせていた。
「……ほぉら、まだまだ食べ物はあるわよ、アルケミラ?くすっ、いっそアルケミラちゃんとでも呼んであげましょうか?」
「……結構、です……んぐっ!?や、やめ――んぶっ、ん――っ!!」
「あらあら、お腹どころか顔も脚も、腕も膨らんじゃったわねぇ♪くふっ、くふふふ――っ♪」
――無論。
その間、私を弄ぶ事を、全く忘れる様子もなく。




