14.決戦は、夜明けとともに①
――それは、皆が覚悟したその翌日に起きた。
最早薄氷ほどになった光の壁。
それでもなお、異常なまでの力を持つ魔王を遮る機能を保持していた壁は、遂にその力を完全に喪失した。
夜明けとともに光の壁が消え、陽の光が魔族の住まう大地と人の住まう大地を照らし出す。
魔王の姿は、まだ見えない。
だが――それでも、人間たちは、その世界に避難していた魔族達は一様に背筋を凍りつかせた。
見られている。
遠く彼方から、自分たちはソレに――魔王に、視認されている。
戦いの心得すら無い者でさえも自覚する程に強烈な存在感に、ある者は立ち尽くし、ある者は震え、ある者は家に隠れ。
「――来やがったな」
そして、ある者は笑みを浮かべてみせた。
光の壁が消えるまでの、長いようで短い間。
その全てを、魔王との戦いのために注ぎ込んだ者達の目に、迷いはなかった。
以前は背筋が凍りつき、僅かに戦う事さえも難しかった魔王に、面と向かって立ち向かう。
それは最早暴挙に近い物があったが――
「んじゃアリス、それにエスメラルダ。頼むぞ」
「うん。任せてエルちゃん」
「バッチリやってみせるから――だから、エルトリスちゃんも無理しないでね?」
「そりゃあ約束できねぇが……まあ、やれるだけやってみるさ」
2人に苦笑しながら軽く手を振れば、エルトリスは魔族の住まう――今や荒野と成り果てたその場所に、駆けた。
一歩前に進む度に、強烈な存在感が、威圧感が肌を凍てつかせる。
『……さぁて、大一番じゃな』
「ああ。まあ安心しろよ、ルシエラ」
既にルシエラを纏ったエルトリスは、緊張するような様子もなく。
着いてきているリリエル、アミラ、エルドラド――それにエスメラルダを除く英傑に、バルバロイ――それ以外にも多くの人間と魔族達を見れば、クク、と笑い。
「今度は、負けないからさ」
少し子供っぽいような、女の子っぽいような。
或いは、取り繕う様子さえもないその言葉に、ルシエラは安堵したように笑みを零した。
『案ずるな、以前とは違う。私を使いこなすお前に、敗北など有りはせぬさ』
「そうだね。行こう、ルシエラ――ご挨拶だ」
――刹那。
彼方から黒い剣閃が迫る。
まだ魔王は視認出来ない。
それでも魔王は正確に、淡々とエルトリス達を刈り取らんとその刃を振り抜いていた。
如何に距離が有れど、受ければ死に至るその一撃は余りにも疾く――……
「――ッ、らああぁぁっ!!!」
……そして、エルトリスにとっては見飽きたものだった。
既に2発、エルトリスはそれを見ている。
ましてや一度は弾くことに成功さえしているのだから、既にそれに対応出来るようになるまで、エルトリスは自らを強化していた。
彼方に居て見えない魔王の表情は、変わらない。
一撃、二撃、三撃。
次々と飛来する黒い剣閃を、エルトリスは弾き、弾き――そして、砕き。
そうして只管に、その剣閃が飛来する方向へと迎えば――ついに、エルトリスは再び……否、三度魔王と向き合った。
魔王の表情は、変わらず微笑のまま。
笑っていると言うのに感情の見えないその表情に、エルトリスは舌打ちしながらも構える。
「……大勢で来たんだね。でも、無意味だよ」
「そいつはどうかな。コイツらも、十分覚悟決めてここに来てるんだぜ?」
「それでも、変わらない。さっきので判った、君は僕には勝てないよ――そして、君以下が幾ら寄り集まっても、それは変わらない」
エルトリス似合わせるように、魔王も漆黒の刃を構えてみせた。
……それは、魔王に言われるまでもなく、エルトリス自身が一番理解している言葉だった。
あれから随分と鍛えた。
アリスやバルバロイだけじゃなく、リリエルやアミラ、エルドラド――クラリッサ達も、それ以外の魔族や人間達も、見違えるほどに強くなったはずなのだ。
だというのに。
それでもなお、目の前にいる魔王は遥か彼方の存在なのだと、向き合ってから改めて痛感させられてしまった。
恐らく、まともに打ち合えるのは一瞬だけ。
後は瞬く間に、その漆黒の刃で全員斬り刻まれて――刈り取られて、お終いだろう。
「――自分の言ったこと、覚えてる?」
「……?」
――だが、それはただ力をバラバラにぶつけたならば、という話でしかない。
「あの時の私には、判らなかった。守るべきものの為にとか、意味がわからないって思ってた」
彼方から、光の束が飛来する。
魔王は自分への攻撃か、と身構える――が、そうではない。
その膨大な力を秘めた光は、自分とはまるで違う方向へと向かっていた。
「――でも、今なら分かるよ。この世界は、今でもクソみたいな奴でいっぱいだけど。でも、確かに守りたい奴っているから」
「何を、言ってるんだい?」
「……うん。だから、私が勝つよ。勝って、あの時の戦いがたしかに合ったんだって、あのクソ女に証明してやるんだから――!!」
――エルトリスが、跳躍する。
それと同時に、共に来ていた者達から一斉に攻撃が――魔王にではなく、エルトリスに向けて放たれた。
全てを焼き尽くす吐息。
空気すら凍てつかせる冷気。
無限とも言える無窮の斬撃。
暴風と雷鳴を纏った矢。
黄金色に輝く刃。
果てには歌や楽曲と言った、攻撃とさえ言えるか分からないようなモノがエルトリスに疾駆する。
「さあ、やるよルシエラ!!今度は、絶対に勝つんだから!!!」
『ああ、負けはせぬさ――!!!』
そして、彼方から飛来した光の束が。
地上から飛来したあらゆる攻撃が、エルトリスに直撃し――その尽くを、ルシエラは喰らってみせた。
喰らい、貪り、糧とする。
それは、かつての少年……勇者がしたそれと比べれば余りにも乱暴で、洗練されているとは言い難く。
だが、それでも確かにエルトリスは、ルシエラは多くの者の想いを、力をここに束ねてみせた。
多くの者の恐怖、絶望、嘆き――そして、守りたい者達の共に戦える喜びと、希望。
「私は、守るべき者のために戦う!そして――何より、そんな風にされちゃったアンタが気に食わないから戦う!!」
「……っ?」
エルトリスの言葉に、魔王は微かに表情を顰めた。
……まるで、遠い過去にこんな事があったような。
微かに脳裏に傷が入るようなそんな感触に、頭を軽く抱えてみせて。
――先に、攻撃を直撃させたのはエルトリスだった。
顔面に拳を叩き込まれた魔王は、勢いをそのままに彼方に飛ばされ、地面に叩きつけられる。
「――ああ。うん、でも、やることは変わらない」
そして、魔王はゆらりと立ち上がれば漆黒の刃を――かつてエルトリスの命を奪った、アルスフェイバーを構えてみせた。