12.追憶の中へ⑦/夢の終わり
「――止まりました、ね」
「ああ。そりゃあそうだ」
――目の前で俺が首を断たれた瞬間、記憶の世界は停止した。
風も、音も、先程までの凄まじい攻防さえも、何もかもが止まり、動かず。
俺とリリエルは、そんな中を歩き――地面に落ちる刹那で止まった、過去の俺自身の首を見た。
満足そうな顔しやがって。
まあ、実際満足だったんだよな、ここまでは。
全力を尽くした上で、正面から打ち破られたんだ。
悔いも何もなく、俺は確かに死ねていたのに。
「……エルトリス様、何かは掴めましたか?」
「ん……」
そんな俺の首を見ながら、リリエルは少しだけ目を伏せてから言葉を紡ぐ。
何か。
ああ、そうだ。
俺が、リリエルがここに来た目的は唯一つ。
――あのクソ女に変わり果てさせられてしまった、かつての勇者を打ち倒す為。
ふと、勇者の方に視線を向けてみれば……勇者は何処か寂しそうな、しかし安堵したかのような淡い笑みを浮かべていた。
もしかしたら、俺が死んで少し寂しいとか思ったんだろうか。
俺が死ねば、多分こいつは自分の力に近しい奴が、1人も居なくなってしまう。
「……それは、寂しいよな」
記憶の中の世界に、干渉は出来ない。
ただ俺は、触ることも出来ない勇者の頭を軽く撫でて、苦笑した。
『エルトリス?』
「ああ、大丈夫だ。大方手は思いついた」
だからこそ、今魔王として動いているお前を、止めてやらなきゃあいけない。
俺をかつて討ち滅ぼした奴が、あんなクソ女のせいで無様を晒し続けているなんて、断じてあってはならない。
勇者の振るっていた聖剣を見て、思いついたこともある。
こいつの聖剣は、多分今――魔王に成り果ててしまったこいつが使っている物とは、性質そのものが違っている。
今のアイツが使っているアルスフェイバーは、あいつの魂そのものを吐き出す砲身のようなもの。
だが、この時の勇者が使っていたアルスフェイバーは……確かに、仲間の力を束ねて、その刀身から放っていた。
であるなら、やはり俺の考えていた事自体は間違っていなかったのだ。
間違っていたのは、その方法。
鎖で繋いでなんて、よくよく考えてみりゃあ俺らしくもない。
「さて、それじゃあそろそろ――」
『――帰すと、思うのか?』
それじゃあ収穫もあったし戻ろう、と。
リリエルに声をかければ――刹那、触れられるはずもない身体を包まれるような感覚を覚えた。
視界に映るのは、黒い布地。
それが、先程見たルシエラの器官の黒いドレスだと気付いたのは、リリエルの姿が、叫び声が遠ざかるのを見て、聞いてからだった。
『貴様らは私の最も不快な記憶を見た。であれば、末路など決まっておろう』
「――っ、お前……!!」
『案ずるな、苦しませるような真似はせぬ――尤も、時間はかかるがの』
今まで見えていた記憶の世界から、闇の中へ。
まずい、このまま引きずり込まれるのはまずい――……!!
『足掻くな。もうあの小娘も届かぬ』
「ぐ……っ、ルシエラ……!」
『……貴様が悪いのだ。私の、もっとも触れてほしくない記憶を浅ましくも覗いた、貴様が』
真っ暗闇の中に引きずり込まれていけば、段々と世界は冷たく、冷たく変わり始めた。
今まではただの比喩程度にしか感じてなかった温度が、まるで雪山にでもいるかのように俺の身体を――心を、蝕んでいく。
ルシエラは体を震わせ始めた俺を憐れむように見下ろしながら、そのドレスを揺らめかせれば、手を、足を包み込み始めた。
……ああ、これはだめなやつだ。
抵抗が出来ない。今の俺じゃあ、これを振りほどく力なんてない。
……でも、最後がルシエラの中だっていうんなら、それも仕方ないのかもしれない。
なら、最後に伝えたい事くらいは、伝えておこう。
「……っ。俺は、嫌な記憶だなんて思ってもなかった」
『……?』
「悪かった。そうだよな、俺が楽しくたって、お前がそうじゃない事もあるなんて、当たり前なのに」
『何のつもりだ、小娘。貴様からの安い同情など、何の価値も――』
「……有難うな、今まで俺のワガママに一杯付き合ってくれて」
『――……黙れ』
ぞぶん、と。
食いちぎられるのでもなく、切断されるのでもなく。
まるで、溶解――溶けてしまったかのような感覚を覚えながら、手足が消失した。
出血はない。
ただ、俺は暗い闇の上に放り出されるようにされてしまえば――
「――ん、ぐっ!?」
『黙れ。エルトリスのような口を聞くな……っ』
「あ、ぐっ!?う、ぁ……っ」
――受け身も何も取れずに、俺は床に叩きつけられ。
そんな俺の身体を、胸をルシエラは思い切り踏みにじった。
痛みはない。有るのはただ、圧迫感だけで。
見上げてみれば、そこにあるのは――唇を噛み、苦悶の表情を浮かべているルシエラの姿だった。
『貴様に何がわかる……!!我が子のように思っていたエルトリスが、目の前で首を落とされた、あの絶望が……っ!!』
「……っ、あ、ぎ……っ、ひぐっ、ぁっ!?」
『救えなかった!私が少しでもエルトリスに力の使い方を教えてやっていれば!!私がエルトリスの好きに生きて欲しいなど、甘い世迷言を考えてなど居なければ!!私はエルトリスを喪う事など無かったのだ――……!!』
……ルシエラは、泣きそうな表情を見せながら、何度も何度も、俺の身体を蹴り、踏みにじり。
しかし、それでも――一向に、俺を殺そうとはしなかった。
やろうと思えば、出来たはずだ。
今の俺なんて、文字通り手も足も出ない……蹴られる度に、胸の駄肉を揺らして、情けなく声を上げることしか、出来ないんだから。
『その絶望を!!暗澹とした記憶を!!踏みにじるように覗き見て、あまつさえエルトリスのような、言葉、など……っ!!』
「ぐ、ぁ……っ、あ、づ――っ」
……そうされていても、良いと思っていた。
それだけ、俺はルシエラを悲しませたんだろうから。
『……っ、は、ぁ……はぁ……っ。どうして……っ』
ただ。
ルシエラは暫くそうして、俺に当たり散らせば――……
『……どうして、私をもっと頼ってくれなかったのだ、エルトリス……』
……そう、悲しそうに口にして。
俺の身体を強く、強く抱きしめた。
『判っておる。お前が――どんなに変わり果てていても、エルトリスなのは、判っておるのだ。だが、分からない――私には、先がない。未来がない。あの時間しか、私には無いのじゃ』
「……う、ん」
『だからこの悲しみも、自分への怒りも、一生消えぬ。私は一生私を恨み、エルトリスの死を悲しみ続ける事しか、出来ぬ』
「……ごめんね、ルシエラ」
『……ああ、でも、それでも』
俺を抱きしめたルシエラの、その表情は、酷く悲しそうだったけれど。
『……お前の未来が繋がっていた、その事だけは嬉しく思おう。さらばじゃ、エルトリス』
――その言葉だけは、酷く優しくて。
ルシエラは俺を手放すように優しく闇の中に置けば、姿を消した。
……深く沈み込むような闇に、薄ぼんやりと光が差していく。
光の中から、何故か――俺の事を喧しく呼ぶような声が、聞こえてくるような気がした。