10.追憶の中へ⑤/そして、あの日の戦いへ
――果たして、誰が思うだろう。
暴虐の限りを尽くし、簒奪の限りを尽くした男の、その内面が只管に空虚であったなど。
初めは、ただの戯れだった。
永い間、相応しいものが現れる事がなかった私は、目の前のみすぼらしい子供に手を差し伸べた。
少しだけ時間をともにしたなら、後は魂まで食らい付くして殺してやろう。
こんな獣のような瞳をした小僧が、私に相応しい訳がないのだから。
そう、思っていた。
その子供は、私が思っていた以上に私を使いこなしてみせた。
いや、正確には私とウマが合った。
自らに敵意を向ける者を喰らい、自らを陥れた者を喰らい、腹が減れば喰らい、満たされなければ喰らい――
――私は、気づけばその子供を気に入ってしまっていた。
私を使いこなせてなど、決して居ない。
私と語らいながらも、飽くまでも道具として扱っている以上この子供にこれより先は無い。
だが、それでも――だと言うのに、人智を超えた力を蓄え、世界のすべてを蹂躙せんとしていたその子供に、私は見惚れていたのだ。
この子供が何処まで行けるのかを、見届けたい。
この子供の成長を、穏やかに見守っていたい。何時までも、その姿を見ていたい。
それは、決して恋慕とは違う感情だ。
何方かと言うならば、親が子に抱くような感情に近いのだろう。
故に、私は子供と――エルトリスと、魂の契約を交わした。
より強固に、魔剣とその主として結ばれた私とエルトリスに、敵は居なくなった。
その圧倒的な膂力で、常人離れした身体能力で、魔力でエルトリスは汎ゆる物を蹂躙した。
村。街。世界を牛耳っていた大国。
傭兵たち。兵士達。地平線を埋め尽くすような大軍。
その尽くを、エルトリスは容赦なく屠った。
最初は、処刑の為に使われた魔剣――私を、エルトリスが持ち出した事で、怒り狂った貴族が発端だった。
貴族は多くの私兵をエルトリスの討伐に当てた。
返り討ちにされれば、関係を持っていた他の貴族たちに泣きついて更に兵をあげた。
多くの兵を返り討ちにし、その元凶である貴族たちを殺したエルトリスは国からも危険視された。
多くの国でその顔を知られたエルトリスは、常に命を狙われるような状態になり――しかし、その状況でさえエルトリスは楽しんでいた。
自らに挑む者があれば拒まず、自らを殺そうとする者が居たなら殺し、自らに媚びる者が居れば打ち捨てて。
そうしている内に、いつの間にかエルトリスは世界の敵――魔王と称されるようになり、その周囲には多くの人間が寄り集まっていた。
尤も、その人間たちも有象無象だ。
中には見どころのある人間も居たが、エルトリスには決して届かない。
エルトリスと多少言葉を交わす者は居たけれど、それが友という訳では断じて無い。
……気づけば、エルトリスは孤独になってしまっていた。
私と出会う前からそうだったエルトリスは、いつしかそれを疑問にさえ思わなくなっていたのだ。
私は、だからエルトリスと終生共に居ようと、言葉にすること無く誓っていた。
どうせ、エルトリスが殺されるような事など有り得ない。
私の造物主であるあの男は、何れ来たるべき時に――と言っていたが、その時でさえもエルトリスとならばたやすく乗り越えられるだろう。
だから、私はエルトリスに何も言わなかった。
ただそのままでいい。
あるがままのエルトリスで良いのだと、導くことさえ無く、私は――……
……だから、ここにあるのは私の後悔だ。
あの時、もっとエルトリスと言葉を交わしていれば。
もっと、エルトリスと絆を深めるようにしていたならば。
そうしていたならば、エルトリスを無残に散らす事など、決してなかったのに――
――暖かな記憶を抜けて、暗く冷たい、真っ暗な闇の中に戻る。
リリエルと手をつなぎながら歩けば、そんな中でも方向を見失うような事はなかった。
身体にまとわりつくような、べったりとした空気。
ここから先に進むなと言わんばかりの、溶かした鉄が身体にまとわりつくかのような重い、重い感触。
それをかき分けながら、前に進む。
ああ、そうだよな。
お前はいつだって俺の事を気遣ってくれていた。
ルシエラは、いつだって俺の味方だったじゃないか。
そんな奴が、俺が死んだ時の記憶を快くなんて思ってる訳が、なかったんだ。
それをアイツは、表にも出すことはなかったけれど。
「……それでも、見せてくれるんだよな、ルシエラ」
重い、冷たいマグマの中を泳ぐように藻掻きながら。
俺が小さく言葉を口にすれば――刹那、身体に纏わりついていた重たいそれが、消えて無くなった。
『――ここは、我が子の痛ましい過去の記憶』
真っ暗闇だった筈の世界に、いつの間にか明かりが灯る。
それと同時に聞こえてきたその声に、顔を上げれば――そこにあったのは、黒いドレスを身に纏った、ルシエラの姿だった。
『ここに立ち入った、という事は何か必要があってのことだろう』
ただ、そのルシエラの姿をした器官は最初に出会ったそれとは違って、俺達に襲いかかるような事はなかった。
小さく言葉を口にすれば、誘導するように前を歩く。
俺はリリエル達と顔を合わせつつ……しかし、敵意のないそれに刃を向ける気にもなれず。
少しだけ訝しむようにしながらも、それの後を着いていくことにした。
そこは、一面が焼け野原となった広い荒野だった。
魔族達が住まう世界に近い、だろうか。
木どころか草さえ生えていない、湖も無い、その荒涼とした大地を見れば、ワタツミは小さく声を漏らす。
『……何ここ、何かあったの?』
「あった、っていうよりはそうだな。こうなったのは、ついでだが」
『ついで?』
俺の言葉に、ワタツミは頭に疑問符を浮かばせた。
リリエルも不思議だったのか、小首をかしげ――
『――見たい物は、あれであろう。物好きな連中だ、好きにするが良い』
――そんな俺達を一瞥すれば。
ルシエラの姿をしたそれは、脇に退いて近くの岩に腰掛けた。
それが示した先にあったのは、豆粒程の小さな影。
方や、円盤が連なった魔剣を操り、魔法を放ちながら猛る男。
方や、純白の剣を振るい、光波を放ちながらそれと互角に渡り合う少年。
「……ああ。有難うな、ルシエラ」
『見たいものを見たなら、疾く去れ。ここを見られるのは、酷く不快じゃ』
軽く言葉を交わせば、俺は目の前で繰り広げられている戦いに向かって、歩き出した。
……きっと、この少年の戦い方にこそ、活路があると。
そう信じて。