8.追憶の中へ③/ココロのカタチ
――それは、とても不思議な光景だった。
周囲では宴で飲み、喰らい、騒ぐ者達。
喧々囂々とした声が鳴り響く空間の最中で、白と黒は軌跡を描きながら舞い続ける。
『くくっ、ははははは!良い噛みごたえじゃ――!!』
「……っ!!」
白い素肌をより白く染め上げながら、リリエルは自らの主、その相棒である筈のルシエラと退治していた。
本来、異物であるリリエルとエルトリスが記憶の中のものを破壊する事はできない。
触れてもすり抜け、何一つ影響を及ぼすことはない。
だが、目の前にいるルシエラだけは別だった。
それは、記憶の中のものではない。
ルシエラが取り込んだ物を砕き、磨り潰し、自らの力へと変える為に存在している、謂わば器官のようなもの。
ソレが、高らかに笑い声を上げながらリリエルを攻め立てた。
黒鎖を振るい、円盤を舞い散らし、記憶をすり抜けるようにしてリリエル――そして、エルトリスを狙い続ける。
「くそっ、狡い真似しやがって――ッ」
『何を言っておる。貴様のように無力な娘が戦いの場に居る事こそが狡いわ!媚びへつらい隙でも伺う肚か?』
「誰が……っ!!」
『安い挑発にのらないで!大丈夫、私とリリエルならこんなババアもどき、さっさと片付けられるわ!』
エルトリスを狙われる度に、リリエルはそれを白刃で弾き飛ばしながら。
そして、ワタツミが口にしたその言葉に同意するように、こくん、と小さく頷いた。
「――ルシエラ様の身体を模しては居ますが、所詮は掃除屋ですね」
『む――ぬ、ぅっ!?』
三度、エルトリスを狙って放たれたその円盤を、リリエルは白い剣閃を持って弾き飛ばす。
その表情には、ルシエラと同じ姿、同じ声をしているそれに対する戸惑いなど微塵もなかった。
目の前の相手もまた、当然ながらルシエラの一部である。
ただその内側におり、特に過去の記憶部分に住まう者だからこそ、今のルシエラとは乖離しているというだけ。
故に、それもまたルシエラなのだと理解しているエルトリスは、彼女から嘲られる度に唇を噛み、心に言いようのない痛みを感じていた。
――だが、リリエルは違う。
リリエルにとっての主はエルトリスであり、ルシエラではない。
無論、エルトリスの相棒であるルシエラに対する敬意は、リリエルも持っている。
だがそれは、飽くまでも“エルトリスの相棒である”ルシエラだ。
今眼前に居るのは、主を嘲り嗤い、害を為す者。
そんな者に対して払う敬意もなければ、躊躇も無い。
「凍刃阿修羅」
『はは、面妖な――ッ』
三対の白刃を振るい、その黒鎖の尽くを打ち払いながら、リリエルは前に踏み出した。
こんな事、本来のルシエラ相手ならば出来る筈がない。
例え白刃をどれだけ増やそうとも、ルシエラ本人であればその全てを喰らい壊し、リリエルを殴り倒すだろう。
だが、目の前の相手はそうではない。
黒鎖を白く染められながら、打ち払われる度にその動きは鈍り、やがては止まる。
そんなルシエラの姿をした器官の表情は、恐怖に引きつることもなく、ただ愉悦に満ちた笑みを浮かべるだけで――
「参りましょう、エルトリス様」
「……あ、ああ」
――そんな彼女にはまるで関心を持たぬまま、リリエルはエルトリスに向き直り。
エルトリスは何処か、胸に支えるような物を感じながらも、リリエルと共に歩き出した。
まだ、ここは目的の記憶の場所ではない。
エルトリスが見たい、見なければならない記憶はこれより一日後。
決して長い訳ではないエルトリスの人生でも、たった一日とあればその記憶はすぐ近くにあるだろうと、エルトリス達は周囲を探る。
事実、その宴とは薄壁一枚隔てた先には、様々な記憶が有った。
例えば、近場の町を襲撃した際の出来事。
許しを乞う商人達を殺し、奪い、簒奪の限りを尽くした部下たちをつまらなさげに眺めているエルトリスの記憶。
例えば、千人長と呼ばれた戦士と、大魔道士と呼ばれた魔法使いとの戦い。
アルカンやエスメラルダにも比肩しうるであろうそれとの戦いに、エルトリスは笑みを見せながら、至極楽しそうに振る舞い――しかしながら、それも長くは続かなかった記憶。
例えば、退屈を埋めるように汎ゆる京楽を貪り尽くした、そんな光景。
女を抱き、美食を喰らい、贅を尽くし――しかしながら、その何れもが虚しいだけだと気付いた、そんな記憶。
『……やりたい放題ねぇ、エルトリス』
「この時は、本当に何をやってもつまらなかったんだよ」
「つまらなかった、ですか」
ああ、とエルトリスはため息交じりに口にしながら記憶の中の自分に視線を向ける。
その表情は、懐かしむようでも有り――どこか、後悔も入り混じっているかのようでもあり。
そんなエルトリスの表情を見ながらも、リリエルは何も口にする事はなかった。
――それが、エルトリスにはとても有り難かった。
先程のルシエラの器官が口にした、あの言葉。
この頃と余りにも乖離してしまった自分を、エルトリスは未だに受け入れられずに居たのだ。
エルトリスは、例え身体が幼子のものに変えられたとしても、脆弱な器に囚われたのだとしても、魂までは変えられないと、そう思っていた。
だが、現実は違う。
エルトリスの心の有り様は、魂の形は、大きく変じてしまっていた。
非力ではない。無力ではない。
器と比較すればの話ではあるが、まだ力らしい物は残っている。
だが――頭ほど、或いはそれ以上はある胸にずしりとしたお尻、そしてむちりとした身体は完全に、男性らしさを失ってしまっていた。
それが、何よりもエルトリスにはショックだったのだ。
それはつまり、最早エルトリスの心も女性に飲み込まれてしまった、という事。
魂の形から、男ではなくなってしまった、という事である。
「……気にしても、仕方ねぇんだろうけどな」
ぽつりとそう呟いて、エルトリスは余りにも女性的な――女性的過ぎる自分の体に視線を下ろし、大きく溜息を漏らした。
受け入れなければならない。
こうして直視させられてしまったからには、そうせざるを得ない。
頭ではそう理解できていても、どうしても納得する事が出来ず――……
「……エルトリス様」
「ん……?」
「エルトリス様がどのような姿であれど、私はエルトリス様に着いていく所存です」
「……ああ、そうだな」
……ただ。
リリエルの少しだけ気遣ったような――或いは、ただ単に事実を述べただけのようなその言葉に、エルトリスは少しだけ救われたような、そんな気がしていた。