5.覚悟の程を
『――思い上がってくれるのう。私とエルトリスの聖域に、入り込もうなどとは』
ルシエラ様が、私に明らかな敵意を向けてきた。
ある種、当然のことだと思う。
お二方が何をするのか、正確には判らなかったけれど記憶の中に潜るということは、二人しか知り得ない事を知るという事。
それは、すなわち心の奥底を他人に晒すという事に他ならない。
恥ずかしいところも、二人の大切な思い出も、そういった所に踏み入られるとなれば、ルシエラ様が怒りを顕にするのは当然のことだ。
「……ですが、現状それが最善手かと」
『ほう?また随分と大きく出たものだのう、リリエル』
だが、それでも引けない。
たとえ不興を買う事になったのだとしても、ここは譲ってはいけない気がした。
エルトリス様が困っている。
エルトリス様を救う事ができる。
であるなら、何を迷うことが有るというのか。
……勿論、エルトリス様が拒絶したのであれば、私も大人しく引き下がるつもりでは居るけれど。
でも、エルトリス様は断るような素振りはまるで見せておらず――
「ルシエラ、リリエルとワタツミも一緒に送る事は出来んのか?」
『……出来なくはない。送れて一人だがの』
「なら――」
『じゃが、私はやるつもりはない。何故こやつらに私達の記憶を見せねばならん』
――ただ。
エルトリス様の言葉を、ルシエラ様はきっぱりと断った。
とても珍しい事だ。
ルシエラ様はエルトリス様に意地悪く接する事はあれど、基本その方針には従ってきた。
そのルシエラ様がはっきりとした拒絶を口にすれば、エルトリス様は目を丸くする。
『……なぁに?何かやましい事でもあるのかしら、オバさん?』
「止めなさい、ワタツミ……っ」
『安い挑発だの。だが、そこまで言うのであれば――まあ、リリエル共々試してやらんでもない』
ワタツミの挑発に眉をひそめれば、ルシエラ様はエルトリス様から離れ、私達の前に立った。
何をするつもりなのか、人の姿のまま私達に軽く指先を向けて。
『――エルトリス。これよりこの二人が倒れるまで、私に一切の指示をしてくれるな』
「おい、ルシエラ――」
『案ずるな、殺しはせぬさ。決戦間近にそんな間の抜けた事はせん――ただ、分を弁えさせるだけよ』
そして、そんな言葉を口にすれば――格下にそうするように、ちょいちょいと、私に――私とワタツミに、手招きをしてみせた。
ワタツミから冷気が吹き上がる。
私は――別に、ルシエラ様と争いたかったわけではない。
でも……
「……勝てば、認めて下さるのですね」
『何、勝てとまでは言わん。一撃私に当てれば、それで許してやろうではないか』
『調子に乗って――!やるわよリリエル、ここまで馬鹿にされて引き下がれるもんですか……!!』
……それで、認めて下さるというのであれば。
やらない理由など、何処にもない。
「……はぁ、判った。まあ、幸いさっきの分で力は余ってるしな」
「感謝します、エルトリス様、そしてルシエラ様。機会を与えてくださった恩に、報いましょう」
『ふん……御託は良い、さっさと来ぬか』
エルトリス様からの許可が降りれば、私は即座にワタツミを抜いて、身構えた。
それと同時に、冷気を纏い――
『鈍い』
――纏い切るより疾く。
ルシエラ様は、既に私の眼前に居た。
振りかざされた艶めかしい足を振り上げれば、私に向けて振り下ろしていて――それをワタツミで受ければ、強い衝撃とともに私は木々に叩きつけられた。
「――か、はっ」
『ちょ――っ』
『そら、どうした?言っておくがエルトリスに使われておらん私なぞ、普段の5割にも満たんぞ――!!』
肺から息が漏れる。
直様間合いを詰めてきたルシエラ様を捉えつつ、私は冷気が行き渡るのを感じれば、即座に刃を振るった。
当たらない。
ルシエラ様は振るわれた刃を悠々と躱してみせると、即座にその拳を私の脇腹に叩き込んでくる。
当たらないのは、良い。
振るった後に残る冷気は確実にルシエラ様の動きを鈍らせる筈だし、そうすればこちらの攻撃を当てる機会だって、増える筈……
『ふん、少し冷えるのう』
『……嘘』
……そんな甘い考えは、刹那で砕かれた。
ルシエラ様は軽く体を赤熱させれば、それだけで冷気を振り払ってみせたのだ。
思い出す。
そう言えば、私とエルトリス様が最初に出会った時も、ルシエラ様は極低温を喰らったんだっけ。
あの出会いは、今でも克明に思い出せる。
尽くを打ち払われ、尽くを破壊され、そして救われた。
『――どうした!!あの頃のままか、貴様は!!』
「――いいえ、決して……ッ!!」
ルシエラ様の叱咤に、私は硬直していた身体を動かした。
違う。
あの頃とは、もう違う。
ただ復讐だけを思い、復讐だけのために生きてきたあの頃とは違う。
多くの強い人に出会った。
一人だけでは決して為し得なかったであろう復讐を、為す事が出来た。
心から尊敬し、一命を賭してついていこうと思える方が出来た。
ワタツミを振るい、振るい、振るい、振るう。
その尽くが空を切っても、私はルシエラ様の反撃を受けながらも、攻撃を止めなかった。
示したい。
私にも、エルトリス様の聖域に立ち入る価値が有るのだと、示したい――!!
『ふん、破れかぶれか――』
「は、ぁ……ッ!!」
そうして、刃と拳を交えること1分、或いはそれにも満たない時間。
当たらない、一方的に殴られる、そんな時間がすぎれば、ルシエラ様はつまらなさそうにそう口にして――動きが鈍った私の頭に振り下ろそうと、その長い足を思い切り振り上げた。
躱す余力はない。
受ける余力もない。
『……うちのリリエルを舐めるんじゃないわよ――!!』
――だが、成った。
振るった冷気は、確かにルシエラ様には届かない。
だがしかし、それはルシエラ様にだけだ。
周囲の空気、そして地面は確かに十分に冷気が満ちており――空気中の、地面の水分を凍結させて刃を作り出せば、私はルシエラ様に向けて氷の刃を放つ。
今度こそ、躱す余裕はない。
私も無論、躱せはしないけれど――でも、それでも。
ルシエラ様に、私を認めさせることが出来るならば――……
『……ふん、戯けめ』
……コン、と頭に軽く触れる音。
気づけば、ルシエラ様は私の頭を拳で軽く小突いていた。
口元には、ガリガリと噛み砕かれている氷の刃。
『まあ、その根性だけは認めてやるかのう。仕方あるまい、エルトリスと共に行け』
「あ……」
『余計な場所は見るなよ。エルトリスが見るべき物を見たら、直ぐに戻れ。良いな』
ルシエラ様はそう言うと、私の頭をくしゃりと撫でてから、エルトリス様の元へと戻っていった。
……もしかして、ルシエラ様は最初から、そうするつもりだったんだろうか。
そもそもルシエラ様が本気なら、私は最初の一撃で昏倒していたと思う。
最後の一瞬も、どうにもわざとあの状況を作らせてくれたような、そんな気がしてならず。
「……有難うございました、ルシエラ様」
『うむ』
『ちょっと、あんな意地悪オババに頭なんて下げる必要ないわよ!ああもう、痣だらけになって……』
私が軽く頭を下げれば。ルシエラ様は軽く手を振りつつ。
ワタツミの言葉に苦笑しながら――私は気が抜けてしまって、ぺたん、とその場に座り込んでしまった。