2.少女、交渉する
ドアを開け放ち、不機嫌そうに眉を顰めながらずかずかと会議室に入り込んだ少女を見て、一部の人間は小さく声を漏らし、そしてそれ以外の人間は訝しむように顔をしかめた。
何しろ、その少女は何処からどう見ても幼く、この場にはそぐわない容姿でしかなくて。
彼女が連れている者たちが魔族だという事は、ひと目で解りはしたものの――だからといって、少女に対する印象が軽々と変わる訳でもなかった。
「――おい、ここは子供の遊び場じゃないんだ!出ていきなさい!!」
「そうだ、誰だこんな子供を入れたのは!!警備は何をやっている!」
「……はぁ」
当然のように飛び出した、そんな間の抜けた言葉の数々に、少女は――エルトリスは額を軽く抑え込んだ。
少なくともエルトリス当人はさておき、リリエルも居るし、何なら六魔将の一人であるアリスと他の六魔将の腹心である三人まで居るというのに、こんな反応をされるとは思っていなかったのだろう。
だが、それも仕方のない事だった。
何しろ、この場で実際に魔族と相対したことが有る者は全体の3割にさえ満たないのだから。
魔族という存在は知っている。
何なら、魔族を討伐するように命令を出したことも有るだろう。
しかしながら、実際に矢面に立ち、魔族というものがどういうものなのかを知っているのは彼らではない。
それを知り得るのは――例えば、広く知識を蓄えた賢王や、ある程度世俗にも精通している貴族。
はたまた、実際に自分が矢面に立つような奇特な領主と言った輩くらいしかおらず。
そういった者たちは、無知をひけらかす小国の王や大臣、或いは貴族達に顔を青くした。
魔族を知っている者なら、判るのだ。
少女が引き連れている者達が如何に恐ろしく、やろうと思えば1秒にさえ満たない時間でこの場に居る全員を鏖殺出来てしまう存在だという事を。
……無論、アリスもクラリッサ達も、そんな事をしようという考えは微塵もないのだが。
「んー。エルちゃんエルちゃん、静かにしてもらっちゃう?」
「……うん、気遣いは嬉しいけどやめような。それすると余計面倒臭くなるだろうから」
隣に立っていたアリスが、隻腕ながらも普段と変わらない様子で言葉を口にすれば、エルトリスは苦笑しながらその頭を優しく撫でた。
アリスは目を細め、嬉しそうに破顔しながらそれを受け入れつつ。
『では纏めて喰らうか?まあクズ肉にも劣りそうじゃが』
「だから、冗談でもやめろっての。こんなのでも、居ないと駄目かもしれねぇだろうが」
『ま、冗談じゃ冗談。腹を壊しそうだからの』
「な……無礼な!おい、何故英傑たちは動かない!?こんな時くらいは仕事をしろ!!」
「そうだ、後ろに居るのは魔族共だろう!?」
「……勘弁してくれよ、何で戦力を削らなきゃならねぇんだ」
「彼らは私達人間の大事な戦力であり、協力者です。ええ、それこそ貴方達よりも大切な」
「どっちかを取れと言われるなら、儂らは遠慮なくエルトリスたちを選ぶぞ。若いし、触りがいもあるからのう」
「な――……ッ!?」
喚き立てる7割に、メガデス、エスメラルダ、アルカンの三人が迷うこと無く言葉を口にすれば、ますます会議場は不穏な空気に満ちていく。
そんな有様に、エルトリスは目頭を軽く押さえ込めば――
「……クラリッサ、おねがい」
「はいはい。こんなんじゃ話し合いにもならないものね――」
――言葉を取り繕う事さえ無く、呆れきった様子でエルトリスが言葉を口にした瞬間、会議室にクラリッサの綺麗な歌声が響き渡った。
喧々囂々としていた会議室に響き渡ったその美声に、罵声も怒声も鳴りを潜め――
「……あ、ぐぅっ!?」
「な、なんら、力が、抜け、ぇ……」
そして、騒ぎ立てていた7割は崩れ落ちるように机に突っ伏し、椅子に凭れ掛かり、ある者は床に崩れ落ちた。
響き渡るのは魔の旋律。
魔族でさえもある程度なら無力化出来る歌声に、戦いの心得がない者たちが抵抗できる筈もない。
「♪――♪……これくらいで良いかしら?本当に雑魚なのね、頭の集団のくせに」
「まあ、頭に選ぶ基準が強さじゃあ無いしな」
「……判らん。では何を基準に、指導者を決めているのだ……?」
「それは――えっと……その……リリエル、パス」
「はい、かしこまりました」
短時間で身動き一つ取れず、声と呼吸以外の自由を失った者たちを見れば、クラリッサ達は不思議そうに首を傾げてみせた。
アシュタールの言葉に、エルトリスは言葉をつまらせると、リリエルに丸投げし――そして、軽く咳払いしてから跳躍すれば、行儀悪く机の上に着地して。
「――なぁ、どんな気分だ?」
「……ぁ……ぐ……?」
「クラリッサは、決して戦闘が得意って訳じゃねぇ。だが、この場にいる……まあアルカン達は無理だろうが、他の奴ならならさっくり殺せちまう」
「……!!ひ……っ、や、め――」
可愛らしい声で、しかし恐ろしい現実を口にされてしまえば、動くことさえ叶わない者たちは悲鳴をあげた。
逃げようとしても、逃げられない。
地を這うことさえ出来なくなっている彼らは、最早舌を噛み切る自死さえ出来はしない。
それは、彼らが知る初めての絶望的なまでの強者への恐怖だった。
温室で育っていては知り得ないその絶望感に、彼らは皆一様に恐怖し――
「――魔王は、それを一撫でで殺せる奴だ」
「……っ」
「俺やアリス、バルバロイなら多少抵抗は出来るかもしれねぇ。アルカンとメガデス、それにエスメラルダが同時にやれば一瞬は保つかもしれねぇ。でも、それだけだ」
――そして、その強者から突き付けられる現実に、初めて状況を理解させられた。
ショック療法とさえ言えない、力づくの荒療治。
そこでようやく、彼らは気がついたのだ。
自分たちが、刃が落ちようとしている断頭台にかけられている事に。
そんな状況でありながら、ヘラヘラと笑って明日のことを考えていたという事に。
「――判ったか?じゃあ四の五の言わず協力しろ。全てを投げ打つ覚悟でな」
エルトリスは彼らの空気が変わったのを感じれば、ゆっくりと机から降りる。
そして、アルカン達の肩に軽く手を置いて――
「……後は頼むわ。小難しい事はわからないし」
「ん……ええ、任せておいて☆私達がちゃーんと纏めておいてあげるっ☆」
「終わったら一緒にお風呂に入ろうね、エルトリスちゃん♪」
「カカッ。まあ、後は確かに儂らの仕事かの」
――軽く言葉を交わせば、手を振って会議室を後にした。
先程までの不毛な喧騒は何処へやら、すっかり静かになった会議室を後にしつつ、エルトリス達は廊下を歩く。
「――シカシ、ドウスルカ。アノ有象無象デハ戦力ニハ成リ得マイ」
「バカねぇ、イルミナス。人間っていうのは冒険者とか兵隊みたいなのが居るのよ、ちょっとくらいは足しになるわ」
「ですが、それでも戦力不足なのは否めません。魔族の方々の協力は既に得られては居ますが、共闘出来るかは別の話ですし」
「んー。私がみんな仲良しにしちゃおうっか?」
「……それはお辞め下さい」
まだ、先は見えない。
例え人間と魔族が一丸となれたとしても、それで魔王に勝てるかと言われれば、その可能性はゼロに等しいのだ。
圧倒的な実力差。
現状の最高戦力でさえも、僅かに保てば奇跡とさえ言えてしまう程のそれは、あまりにも絶望的で――
「……一応、私に考えが無くはない」
「エルちゃんに?」
『エルトリスに?』
「エルトリス様が、ですか?」
「あのなぁ!意外そうな顔しないでよ、もう!」
――ただ、そんな最中に口にされたエルトリスの言葉に、その場に居た全員が視線を向けた。