1.保身と疑心
「――だから、そんな事を言ってる場合じゃないってのが判らねぇのか!?」
大国クロスロウド、その最奥にある会議室。
今、その一室に多くの国の人間が並び立ち、喧々囂々と言葉を交わし合っていた。
大国、小国に関わらず王が、大臣が、そしてその国々の重要な人物達が一堂に会しているその様は圧巻で。
かなり広い会議場でありながら、窮屈にさえ感じる程の多くの人間の前で、大きな声を張り上げて叫んだ女性が一人。
テラスケイル公国の代表の一人、メガデス=ギガ=テラスケイル。
彼女は額に青筋さえ浮かべながら、拳を机に叩きつけて、異論を述べた相手を威嚇していた。
「……っ、し、しかしだね!君たちの話だけで、国を動かすというのは出来ないのだよ!」
「民を動かすのは、莫大な費用がかかる。避難は元より、兵まで動かせともなれば後々の国の情勢にも関わるのだ」
「左様。軽々と動かしては、万が一の時に困りますからな」
威嚇した相手は震え上がりつつも、自分の意見を曲げることはない。
兵糧が、財源が、時間が。
汎ゆる理由を持ち出して、メガデスの意見に難色を示すと彼らは愛想笑いを浮かべてみせた。
メガデスは曲がりなりにも、人間側の守護者とも言える三英傑の一人である。
その意見に力がない訳では決して無い。
ただ――だからといって、全ての意見を通せるという訳ではなかったのだ。
「今がその万が一だろうが!!魔王が動き出したんだぞ!?」
「ふむ、その魔王だが――」
クロスロウドの貴族の一人が、蓄えた髭を撫でながらメガデスを見る。
彼から見れば、メガデスはまだ年若い女性でしか無く。
「――魔族を多く切り崩してくれたのだろう?であれば、寧ろ英雄なのではないかね?」
「は……!?」
「そうだ、そもそも魔王とやらは光の壁を超えられないのだろう。であれば、我々には無害じゃあないか」
「待て、光の壁は年々効力が薄れてきているのだぞ!そんな事を言っている場合か!?」
「だが明日にでも消えるという訳では無いだろう!?」
――そんな、現実を見てきたメガデスからすれば信じられない程にお花畑な事を口にされてしまえば。
メガデスは言葉もなく、椅子に座り込んで項垂れてしまった。
勿論、この場にいる全てがそうという訳ではない。
比率で言うならば、6割。
6割はメガデスやエスメラルダ、アルカンの言葉を信じ、立ち上がってくれているのだ。
問題は、残りの4割。
クロスロウドの一部貴族、小国の多数はその言葉に懐疑的で――否、懐疑的であったほうが、幾分かはマシだったのかもしれない。
彼らとて、三英傑がした報告を軽視はしていないのだ。
事実として魔王は目覚め、壁の向こう側では何かが起きていたのだろう。
だが、まだ自分たちは被害を受けていない。
まだ、魔王とやらはこちら側に来ては居ない。
光の壁を超えられないというのならば、大丈夫なんじゃないか――
そんな、確証もない安心感が、彼らを保身に駆り立てていた。
「……なら、賛成派だけで行動を起こしましょうか」
「な……っ!?」
そんな連中に呆れたのか、それとも守るべき者ではないと見做したのか。
エスメラルダが何時になく冷たい声で、表情でぽつりと呟けば、その4割は絶句する。
「――ふざけるな!そんな事が許されるわけがないだろう!!」
「そうか、さては軍事力を集めて支配力を高めるつもりだな!?」
「そうだ、魔王などという戯言をほざいてこれを期に他国を――」
「――はぁ」
喚き出した者たちを見て、エスメラルダは心底呆れたように息を漏らした。
ああ、この辺りは私の元いた世界と何も変わらないんだな、と。
彼らは恐らく、自らに何らかの利益が無い限りは動かないのだろう。
自らの国にに、では無く自らに。
例えば金銭、例えば名誉、例えば地位。
そうでなければ動かないし――現実には自らの命という最大の得が目の前にあるというのに――納得もしない。
最早なにか理由を見つけて反論しなければ気がすまない、という子供じみた感情さえ見せ始めている彼らに、エスメラルダは心底冷めた視線を向けて。
「――そもそもだ!!何故魔族を避難などという愚行を犯したのだ!?」
「そうだ!魔族を人間側の領地に入れるなど、正気の沙汰とは思えん!!」
「魔族など魔王に滅ぼされれば良いだろう!!」
そして、続く言葉に眉間にシワを寄せると、軽く頭を抱えてしまった。
それは愚行ではなく、希望だというのに。
「……やはり、あやつを失ったのは痛手だったのう」
再び喧々囂々とし始めた会議場を眺めながら、身体に軽く包帯を巻いたアルカンは、憂鬱そうに溜息を吐き出した。
あやつ、というのは無論他でもないアルケミラである。
彼女がもしこちら側に逃れられていたのであれば、この場を収める事も出来ていただろう。
彼女は、魔族でありながら人間に――と入っても一部のだが――一定の理解を示している、稀有な存在。
かつ、優れた知識と統率力も兼ね備えている、この場に置いてはもっとも必要とされる存在だったのだ。
だが、もう彼女は居ない。
少なくともこの場には居ないのだから、彼女に頼ることは出来ない。
「エルトリスはどうじゃ?」
「あの一戦以来、まだ。リリエルさんとアリスさんが看病してますけど……」
「……アリスも大概な怪我してるってのにな」
三人は言葉を交わしつつ、息を漏らす。
……いっそのこと、先程エスメラルダが口にしたように4割を見捨てられたなら、きっと話は早く進むだろうに。
力ではどうにも出来ない目の前の戯言に、三人は苛立ちとともに静観を決め込む事にした。
最早、この連中を動かすには言葉よりも現実しかないのだろう。
その頃には手遅れになっているかもしれないが――それでも、動けないまま滅ぶよりはマシだ、と。
半ば、諦観にも近い感情を懐きつつ――……
「……うるっさい。何を、ギャーギャー言い合ってんだ」
……唐突に、会議室の扉が開く。
そこに居たのは隻腕の少女と、空色の髪の女性。
それに、明らかに人間ではありえない人型の――魔族三人に、彼らを従えているように見える、一人の少女だった。