30.そして、女神は嘲笑う
「――あら、仕留め損ねたのね。意外だわ、出来るだけのスペックは与えていたのに」
漆黒の刃がアリスを捉えそこねたのを見て、その女性は小さく声を漏らした。
2つの世界のどちら側でもない、外側。
安全地帯で絶世の美女といっても過言ではないソレは、頬杖を付きながら魔王の行動を観測する。
手元には酒坏と果実。
それを軽く口にしながら、まるで娯楽でも眺めているかのように女性は身体を横たわらせて。
「まあ良いわ、問題はないでしょうし。あの子には世界の半分のリソースを与えてるんだもの」
そして、そんな言葉を口にしながら逃げ惑う魔族達を眺め、女性は――女神は笑った。
エルトリス達が奮戦し、避難させた魔族は無論全魔族という訳ではない。
バルバロイの住まう山岳地帯、そしてアルケミラの配下達――その近隣に居た魔族だけが避難出来ただけで、多くの魔族は未だ彼の地に残されている。
――それを、魔王はゆっくりと歩きながら漆黒の刃を振るって刈り取っていく。
それは、文字通りの収穫だった。
実った稲穂を鎌で刈り取るがごとく、只管に作業的で、無慈悲。
魔王自身はときおり申し訳なさげにはするものの、それで振るわれる刃が鈍る訳ではない。
家族を守ろうとした父を、切り払う。
妹を助けようとした兄を、一振りで掻き消した。
息子たちを守ろうとした老夫婦は、息子たちごと掻き消えた。
老若男女、一切の別け隔てなく。
無慈悲に振るわれた刃はその尽くを刈り取り、絶命させていく。
「そうそう、頑張ってちょうだいね魔王クン。貴方の役割は終末装置なんだから」
ケラケラと笑いながら、女神は心底楽しげにその美貌を醜悪に歪めた。
全てが自らの手のひらの上。
その上で走って、転んで、足掻く命達の何と滑稽なことか。
だが、同時に女神はその滑稽な存在達を愛しても居た。
もっともそれは親愛や友愛と言ったものでは断じて無く――
「くふっ♥ふふふ……っ、頑張れ、頑張れ♥頑張って育って頂戴ね、虫ケラ達?」
――さながら、観葉植物にでも向けるようなもの。
女神は魔王をいう劇薬を世界に投げ込み、生命が藻掻き苦しむその様を心から楽しんでいたのだ。
嘗ては人々を救うために奮戦した少年を嘲るように、魔王に仕立て上げ。
嘗ては暴虐を尽くし争いのためだけに生きた魔王を、無力な少女の身に貶し。
他の神の目を盗んで“作物”を盗み取れば、それに過剰な力を与え自らの世界に植え付け。
時に、それを傀儡として弄ぶ。
全ては一つの目的の為。
女神は一頻り笑えば、果実を一摘みしてその口に放り込んだ。
「……に、しても」
その表情から笑みが消えれば、シャク、シャク、と果実を噛み砕きつつ、女神は目を細める。
先程までの愉快げな様子は無く、どこか不機嫌とさえ取れるような表情を浮かべながら、女神は視点を魔王から別のところへ向けた。
「コイツは、一体何なのかしら――もっと無様に転げ回って、泣き叫んで、惨めに生きていくのを期待していたのに」
その視線の先に居るのは、アリスに抱えられてぐったりとしている一人の少女。
世界の半分とさえ言える魔王の攻撃を一度は防ぎ、二度目も意識を刈り取られたとは言えど耐えてみせたイレギュラー。
かつては異常成長したせいで収穫にさえ苦労したソレは、ただただ無力な存在へと成り下がった筈なのに――
「……まあ、別にどうでもいいけれど。明らかに以前よりは大幅に弱っているもの、魔王クンに勝てる見込みも無いし」
女神はそう口にすると、小さく欠伸をしながらごろん、とうつ伏せに寝転がる。
頬杖を付きながら、視点を再び魔王に戻せば魔王は“収穫”の真っ最中。
彼女はソレをケラケラと、ゲラゲラと醜悪に笑いながら愉しんで――
――そうして、魔族の住まう世界に残っていた魔族達の殆どは死に絶えた。
残ったのは更地のようになった世界と、ぽつんと一人残された魔王だけ。
女神はそんな魔王の様子を心底可笑しそうに嘲笑えば――指先から血を一滴、更地となった世界に垂らし――……




