28.ホワイト・アウト
瀑布の如き創生の水が、魔王を襲う。
上下左右、四方八方から刃となって疾駆する創生の水は、魔王の離脱を決して許さなかった。
もし、バルバロイとの戦いの際にここに貯蔵していた創生の水を使う事が出来たのであれば、アルケミラはバルバロイと互角に戦う事も可能だっただろう。
文字通り、此処こそがアルケミラが唯一本領を発揮できる場所。
最後にあるであろう決戦に備えて準備を続けてきた、自らに絶対優位の決戦場だった。
「――……っ」
だが、届かない。
確かに圧倒的な手数、圧倒的な物量よって魔王に攻撃する暇を与えては居ない。
しかし、未だにその瀑布が魔王を捉えることは出来ていなかった。
疾い、というよりは自らが遅くなってしまったかのような錯覚を覚えるその動きに、アルケミラは戦慄する。
読まれているのだ。
自らが幾度となく構築を変え、思考を変え、放った攻撃の全てが読み尽くされている。
溜まった創生の水を龍の顎に変えて食らいつく――見ることさえ無く、牙を踏み台に飛ばれた。
空中に留まった魔王に向けて無数の刃を放つ――隙間がない筈のその場所を、泳ぐようにして躱された。
自らを模した疑似餌で油断を誘う――一瞬さえも釣られはしない。
「……■剣」
「させない――!!」
そして、魔王がゆるりと小さく言葉を紡げば、その瞬間アルケミラは全身全霊を以てそれを阻止した。
打たせてはいけない。
その刃を振るわせてはいけない。
エルトリスの持つルシエラも触れてはいけない物の代名詞ではあるが、魔王の持つ漆黒の刃は正しくルシエラとは正逆だった。
一度その身に受けたアルケミラは、その刃の性質を理解したが故に、一度たりとも攻撃させないように神経をとがらせる。
アルスフェイバーと魔王が口にしたその刃は、相手を喰らい、自らの物にするのではない。
その膨大な力を相手に送り込み、自壊させる貸与の魔剣。
底なしとも思えるその力を与えられたモノは、生物・非生物を問わず力に耐えられず、最小単位で崩壊する。
故に、防御は出来ない。
神速で振るわれるそれを一度放たれれば、回避しない限りは確実に致命傷を受ける。
アルケミラが九死に一生を得た理由は唯一つ、自らそのものである創生の水の貯蓄が有ったからにすぎない。
それを恐らくは魔王に認識されている今、再び攻撃をされたならば――……
「……っ?」
「――捉えたッ!!」
……その結末が訪れる可能性が限りなく高い事を理解しつつも、アルケミラは奮戦する。
幾度となく繰り返した試行の末、アルケミラが放った創生の水は遂に魔王の体を捉えたのだ。
少年然としたその身体に純白の槍が突き刺されば、魔王は地上へと叩き落される。
創生の水に浸るように地べたに落ちた魔王は、表情を変えることもなく小さく息を漏らし――胸に突き刺さること無く、皮膚一枚で止まっている槍を軽く掴んだ。
刺さらない。
バルバロイの甲殻ならばいざしらず、見た限り普通の魔族のそれでしかない魔王の身体に、アルケミラの一撃は掠り傷一つ負わせる事さえ叶わず――
「これで終わりです……!!」
――しかし、それさえも想定内だというかのように、アルケミラは創生の水を操った。
魔王を忽ち飲み込んだ創生の水は、直様にその魂を抽出する。
アルルーナやエルトリスにも行った、抽出した魂に仮初の肉体を与えるその力を行使し、魔王を無力な肉体にした上で封殺する、文字通りの必殺。
千載一遇の好機を掴んだアルケミラは、無力な肉体をその魂に与えようとして……
「――ご、ぽっ?」
……その瞬間、形容し難い激痛とともに、口から体液を吐き出した。
何が起きたのか、アルケミラは理解が出来なかった。
例え相手が六魔将のような強大な相手であったとしても、決まりさえすれば必勝のこの権能が、破られる筈がない。
そう、事実破られてなど居なかった。
創生の水は滞りなく魔王の魂を引き出し、受肉させる段階まで行っていたのだ。
ただ、魔王の魂があまりにも強大だっただけ。
アルケミラは想像さえしていなかったのだ。
自らを破壊し、消滅寸前まで持ち込んだアルスフェイバー。
――それから発せられる無限とも思える力と同等、或いはそれ以上のものが魔王の魂に有るなど。
魔王の魂を受肉させようとした創生の水が、瞬く間に自壊する。
黒く変色したのも一瞬だけ、灰のように霧散していく創生の水を見れば、アルケミラは即座に作業を中断した。
正しく猛毒。
否、致死毒とでも言うべきだろうか。
魔王の魂に触れてしまったアルケミラは、その膨大な力に、膨大な量の情報に神経を磨り潰されるような苦痛を味わい。
「……貴方、は」
「……おはよう。やっと、目が覚めた気分だ」
……そして、魔王は初めてアルケミラと視線をはっきりと合わせた。
その表情はどこまでも穏やかで。
まるでベッドから起きたばかりの子供のよう。
「貴方は、一体何者ですか――っ!?」
目を覚ました魔王を前に、アルケミラは口からこぼれ落ちる体液を留める事さえ無く、言葉を口にした。
その答えなど、とうの昔に知っている筈のアルケミラは、しかし今、混乱の渦中に居た。
有り得ないのだ。
彼女が魔王の魂と一瞬つながった事で見えたその記憶は、魔王が持っている筈がないものだった。
「僕は、魔王だよ」
「……語るつもりはない、と」
「そう言われても、僕にはそれ以外の役割がない。記憶がないんだ」
魔王は心底申し訳無さそうに、肩を竦める。
その様子に、アルケミラを謀ったり小馬鹿にする様子は一切ない。
ただ只管に真摯で、真面目で、優しささえ感じるその声色。
「――それじゃあ、さようなら。僕にも僕のやる事があるからね」
「まだ――」
――その優しい声色と共に振るわれた刃は、アルケミラの身体を消失させた。
頭だけを残して削り飛ばされたアルケミラは即座に創生の水を集めようとするが、それも叶わない。
瀑布の如く周囲を満たしていた、噴き出していた創生の水は、今の一振りでかき消されていた。
「君は、誰かのために頑張ったんだね。僕も、かつてはそうしていた気がするよ」
最早、言葉を出す事さえ叶わない。
アルケミラは魔王がどこか寂しげに言葉を口にするのを耳にしながら、消えていく意識の中で、遠い過去の陽だまりを思い返す。
『――貴女は将来どうしたいの、アルケミラ?私は勿論、全てを支配するつもりだけど』
『私ですか?そうですね、叶うなら――』
――ふふっ。最期に思い返すのが、自らが討った仇敵の顔だなんて。
アルケミラは軽く苦笑しつつ――アルスフェイバーの一振りで生まれた奈落の底へと、落ちていった。