27.収穫祭
魔王が動き出して数秒後、辺境の地にある名もなき山岳地帯が消失。
平地と化したその地域に住んでいた魔族の消息は不明。
恐らくは全滅したものと思われる。
一時間後、徒歩で平地を抜けた魔王は異常に気付き現地に向かった魔族達と接敵。
中には六魔将であるアルケミラの配下も含まれており、魔族達は魔王との対話を試みる。
しかし対話は失敗。
会話にすらならず、漆黒の長剣の一振りで百余名の魔族は絶命した。
その際に振るわれた刃の余波によって大地にクレバスのような深い傷跡が刻まれる。
三十分後、状況に気づいたアルケミラが陣頭指揮を取る。
近くに居た魔族達も状況を理解し、アルケミラ――もとい、バルバロイを打倒して見せたエルトリスの元に集う。
バルバロイもアルケミラも万全とは言い難い状態ではあったものの、アルケミラは居城に保管してあった創生の水によって自身を補完。
魔族達を一時人間側の世界に退避させる事を提案した。
五分後。英傑達の承認の元、魔族達の避難が開始される。
大人数による避難は決して容易なものではなかったものの、六魔将であるアリスの協力も得られた為、驚異的なスピードで光の壁の向こう側――人間側の世界へと魔族達は避難していった。
魔族達には英傑であるメガデスが同行。
一時的に光の壁の境がある森林に魔族を誘導する。
そうして避難が始まり、一時間が過ぎた頃。
六魔将であるバルバロイ、アルケミラ、アリス――そしてエルトリス達と残る英傑二人は最後尾にて殿を務めていた。
――最後尾に居た一同が、一様に感じた悪寒に視線を彼方に向ける。
まだ、その姿は見えない。
地平の彼方に映るのは、まるで冗談のように切り崩された山脈だけで――しかし、それが確実にこちらに近づいている事を、その場にいる全員が理解した。
「……エスメラルダ、どうだ?」
「遠すぎて見えない……なら、良かったんだけど」
エルトリスの呟きに、エスメラルダは声を震わせながら言葉を返す。
それだけで、エルトリスは痛いほどに理解してしまった。
エスメラルダは相手の強さを視覚的に捉える事ができる。
以前はそれで動揺したりもしたものだが、少なくとも今のエスメラルダはもうそういった未熟な人間ではない。
何しろ、アルケミラと相対しても冷静に――否、若干の激情には駆られはしたが――臆すること無く戦う事ができる程なのだ。
そのエスメラルダが、明らかに怯えの色を滲ませていた。
それは、つまりはそういう事なのだろう。
「……一応聞きますが、勝機は有ると思いますか?」
「無理。絶対に、勝てない……桁が、違いすぎる」
「この場に居る全員でもか」
アルケミラ達の言葉に、エスメラルダは迷うこと無く頭を振る。
その様子に、アルケミラは小さく息を漏らせば――わかりました、と言葉を口にしながら一步前に出た。
「……お待ち下さい、アルケミラ様。何を」
「本当ならば、もっと状況を整えて、少なからず勝負になる場面で戦うつもりでしたが。足止めは、必要でしょう」
「冗談は止めて下さい!!それならば、私達が――」
クラリッサ達側近の言葉を、アルケミラは指先一つで制してみせる。
アルケミラは申し訳無さそうに、しかしどこか満足気に笑みを零した。
「大丈夫、無為に命を捨てるつもりは有りません。私は、私の望みの為にこうするのです」
「シカシ……!!」
「必ず、戻ります。それまでの間は任せますよ、クラリッサ、アシュタール、イルミナス」
止めようとする三人にそう告げると、アルケミラはバルバロイとアリスに視線を向ける。
二人は、アルケミラの視線に覚悟を感じたのか、小さく頷いて。
……そして、最後にアルケミラはエルトリスを見た。
「……貴女は、遂に私達に届いてみせた」
「ん……」
「きっと貴女の刃ならば、いつか魔王にも届く筈。期待していますよ」
「……ああ、判った」
交わした言葉は、ほんの僅か。
アルケミラは自分の理想を、願望をその目に焼き付ければ、それ以上何かを口にする事もなく、背筋の凍りつくような気配がする方へと翔んだ。
白い翼を羽撃かせながら飛ぶこと数分。
見えてきたその小さな影に、アルケミラは身体を震わせる。
バルバロイも確かに強者だった。
アリスが本気で戦うとなれば、それでもアルケミラは震えるだろう。
だが、それらと目の前の存在は質が違う。
うつろな瞳には何も映さず、手にした長剣を引きずる様はまるで幽鬼か、或いは夢遊病のよう。
だというのに、アルケミラは見ただけで自らの死を覚悟した。
相対すれば、間違いなく自分は生命を落とすと理解したのだ。
「……あわよくば、生きて戻りたかったのですが」
アリスは避難の為に必要だから、こちらに向かわせる訳にはいかない。
バルバロイは傷が癒えたならば、間違いなく魔王との戦いの一助になるから動かす訳にはいかない。
エルトリス達は論外だ。
輝かしい者たちを、こんな理不尽の権化の為に失わせる訳にはいかない。
ああ、ならば消去法で私が征くしか無いのだろう。
アルケミラはそう自分を納得させれば――魔王に、敵意を向けた。
「――……」
刹那、黒い剣閃が空に瞬く。
それを回避出来たのは、アルケミラが六魔将であるが故だろう。
自分に意識が向いた事を理解すれば、アルケミラは即座に空を掛ける。
アルケミラとて無策で足止めをしようとしていた訳ではない。
前々から魔王を討つ為に準備していた場所が、アルケミラにはあったのだ。
――あの場所にさえ、たどり着ければ――!
ただその一心で、アルケミラは空を駆ける。
黒い剣閃は容赦なくアルケミラを切り払おうと振るわれて、雲を散り散りに切り刻んでいく。
文字通りの接死。
触れたならばただでは済まないそれを、アルケミラは身体を捻り、翼を羽撃かせ、必死になって躱し続け――
――しかし、そんな奇跡は1分さえ続かなかった。
「――あ、ぐ……ッ!?」
翼を掠めた、そう感じた瞬間アルケミラは地上へと堕ちていく。
断たれた部分を治そうと意識した瞬間アルケミラは笑ってしまった。
翼どころではない。
翼は根本から消え、それに巻き込まれるようにアルケミラの下半身は削り飛ばされており。
文字通り、たった一撃で半身を喪ったアルケミラに、空を駆ける事など出来る筈もなかった。
砂塵を撒き散らしながらアルケミラは地に堕ちる。
その姿を見ても尚、魔王は歩みを止めることはない。
自らに敵意を向けた者に対する反撃。
それがまだ終わっていない――魔王は機械的に、アルケミラを完全に消去しようと歩き、歩き。
――瞬間、まるで間欠泉のようにその背後で、周囲で白い液体が――創生の水が、噴き出した。
創生の水は壁のように吹き出せば、その内側をどろりどろりと満たしていく。
「……ここが、貴方の終着点です」
魔王の足元を浸す白い水は、創生の水は謂わばアルケミラそのものである。
アルケミラは長い年月をかけて、この地の底に創生の水を貯め続けていたのだ。
いつか、自らが六魔将を制し、魔王と戦う場面になった際に必ず必要になるだろうと――尤も、その時思っていた場面とは大分ズレてしまっては居たが。
「……■剣、アルスフェイバー」
「貴方は、この世界には不要な機構です。此処で潰えなさい、魔王――ッ!!」
創生の水で満ちた壁の中。
それでも動揺一つすること無く漆黒の長剣を振るう魔王に、アルケミラは気炎を上げながら挑みかかった。