26.決着の裏、道化は踊り
――舞台から大歓声が上がる。
鳴り響く地響きは巨躯が倒れた音か、或いは観客席から雪崩込んだ魔族達によるものか。
「……ひっ、ヒヒッ」
だが、彼女にとってそんなものはどうでも良かった。
崇拝するオフェリアは氷像と化して敗北し、羅針盤を失った彼女は新しく与えられた羅針盤に夢中だったのだ。
手にしているのは、赤黒く濡れたモーニングスター。
祝福と言い張っていた鎧までもが赤黒く濡れ、あたりに立ち込めるのは血と酸の匂いだけ。
足元に散らばっているのは、血肉と骨ばかり。
「――何をしていらっしゃるのかしら」
「……ヒッ?」
そんな赤黒く濡れた通路の一角。
咎めるわけでもなく、諌めるわけでもなく、ただなぜそうするのかが判らないと言った様子で、金色の女性は赤黒い鎧に声をかけた。
女性――エルドラドの傍らに居るのは、ノエルとバウム。
バウムはノエルを守るように、そしてノエルは目の前の惨状に少しだけ顔色を悪くしていた。
勿論、目の前の惨状が耐え難かったからというのもある。
鎧を纏った女性は、同じ仲間である筈の人間達を手にしたモーニングスターで容赦なく打ちのめし、潰し、砕き、形容し難いモノに変えていた。
辺りに散らばる血肉を見れば、健常な者であれば胃の中のものを吐き出したとしても不思議ではない。
だが、ノエルが顔色を悪くしたのは、その女性そのものだった。
「ヒヒッ、うふっ、ヒヒヒ――っ、何を。何を、している?」
「……まあ、こんな事をするくらいですものね」
返ってきた言葉に、音程や抑揚さえも滅茶苦茶なその声に、エルドラドは眉を軽く潜める。
ノエルが顔色を悪くした一番の理由は、女性の狂気そのものだった。
かつては――否、今でさえ仲間であった者たちを容赦なくひき肉に変えながら、女性はケタケタと楽しげに笑いながら、その血肉を浴びるようにしていて。
エルドラドと話している間でさえ、モーニングスターを叩き付ける事をやめる事はなく――それは、ある種化け物と対峙するよりも悍ましい。
「ああ、私?私は、ええ。神託、そう神託!私は神に選ばれたの!!」
「もう口を開かないで結構ですわ。ノエルに悪影響とか有りそうですし」
支離滅裂な言葉を口にする女性に、エルドラドは金色の刃を煌めかせる。
それを見れば、女性はゲタゲタ笑い声を上げながら、エルドラドに飛びかかり――
「――はい、お仕舞い」
――そして、次の瞬間には物言わぬ金色の彫像へと姿を変えた。
一瞬。
刹那とも言えるほどの短時間で決着が着いた事に拍子抜けさえしながら、エルドラドは刃を収める。
後に残っているのは、無残に轢き潰された人間の残骸ばかり。
それを見て、どうしたものかとエルドラドは首をひねりながら小さく声を漏らしていたが――
「……まあ、アルケミラにでも聞いたほうが早そうですわね」
自分で始末するのも面倒くさい、と。
エルドラドは割とあっさりそう決めれば、歓声の鳴り響く舞台の方へと向かって歩き出した。
――その、遥か彼方。
魔族たちの住まう世界においても、近づく者の殆ど居ないその場所に、それはあった。
大きな玉座に腰掛ける、小さな影。
生きているとさえ思えない程に静かで――事実、命の鼓動さえ無いそれは、眠るように死んでいた。
否、或いは産まれる時を待っていた、と言うべきか。
それが下す審判は二つである。
一つは、全てが平定された時。
一つは、多くの生命が失われた時。
前者であればその平定を乱し、さらなる進歩を促そう。
後者であれば、その不要な生命全てを刈り取る終末となろう。
何れにせよ、害をなすためだけに存在するそれは、自らが必要とされるその時を今か今かと待ち望み――
「――……ん」
――そして。
今、彼は目を覚ました。
薄ぼんやりと目を開き、小さく息を吸う。
指を一本一本動かし、自分の体を確かめるようにして……そして、ぴょん、と玉座から飛び降りた。
彼は、少年だった。
線の細い、どこか優しげな風貌の小柄な少年は、周囲を見回して。
「――おいおい、こんな所にガキが居るぜ」
「何だ、何かしら宝の一つは有ると思ってたのによぉ」
そんな少年を見ながら、魔族の住まう世界においても辺境中の辺境であるこの場所へとやってきた魔族が二人。
恐らくは、魔王が眠るとされる場所ならば何かしら良いものがあるに違いないと、そう勘違いした者達なのだろう。
それを見ても、少年は感情を動かす事はなく。
「こんな所で何してやがんだぁ?」
「ガキの遊び場じゃねぇんだ、とっとと――」
その言葉を口にし終える事無く、二人の魔族は下半身だけを残して“消失”した。
少年がいつの間にか手にしていたのは、赤黒い靄を纏った漆黒の長剣。
それをただ、誰の目にも留まらぬ疾さで一振りしただけで、魔族達二人は気づくことすら無く絶命し――
――その背後にあった山や地形さえも、平らに切り崩された。
「……■剣、アルスフェイバー」
ぽつり、と少年が言葉を口にする。
意味のある言葉ではない。
ただ、かつてそんな言葉を口にしたような気がする――少年の中に残った微かな残滓が、その言葉を口にさせたのだ。
「いこう、みんな。せかいを――」
だから、続く言葉も彼の中にあった残滓にすぎない。
ぺたん、ぺたん、と少年は素足のまま、ぽつりぽつりと言葉を口にしながら、漆黒の刃を引きずりつつ、歩き出した。
『……んふっ、くふふっ。やっと収穫ね――今度の成果は中々だろうし、楽しみだわ――』
――そんな少年を見下ろしつつ、絶世の美女は小さく呟いた。
少年を気遣うでも無く、世界の行く末を心配するでも無く。
全てが思い通りに進んでいると信じて疑わない、底意地の悪い笑顔を浮かべながら――彼女は、空気に溶けるように姿を消した。。