24.竜虎相搏つ②
――それは、久方ぶりの愉悦だった。
自らに挑みかかる者を見るのは、確かに楽しかった。
強き者の闘いを見るのも、確かに楽しかった。
だが、それらは真の意味での愉悦には程遠い。
我と互角に戦える者。
命の危険を感じさせる者こそ、愉悦には必要だったのだ。
そして、今目の前にいる相手は紛れもないソレだった。
我とは比較するべくもない矮小な身体。
爪が届けばそれだけで肉片になりそうな、そんな儚い存在はしかし、我の命に届き得る存在に他ならない。
油断すればその鎖が我の首を狙う。
気を抜けばその拳が我の双眸を穿つ。
甘く攻めれば、その部分からソレは我を喰い破るだろう。
何と愉しく、何と心地よく、何と素晴らしい時間か。
アリスに敗北し、アリスをあのような姿に貶して以来の高揚が、全身に満ちる。
「感謝するぞ、小さき者よ――!!」
「――……ッ!!!」
振るう爪の尽くが空を切る中、我は更に体の熱を上げていく。
これこそが我の能力であり権能、紅焔。
我の生命そのものを燃やしながら猛るこの熱は、汎ゆるモノを焼却する。
触れたものを白い灰へと変える程の熱量を、口から吐き出すこと無く身体に纏わせれば、小さき者は――否、エルトリスはその表情を微かに歪めた。
触れては居ない。
変わらず我の爪は、予期されるが如く空を斬っている。
だが、それでも近くを通過しただけで紅焔はエルトリスの身を焦がした。
服が焼け焦げ、エルトリスは僅かに負った火傷に唇を噛み――
「――さい……っこう」
――そして、微笑う。
自らの命を削がれたというのに、その表情には恐怖など微塵もない。
有るのはただ、目の前の驚異を楽しもうという感情だけ。
正しく、戦闘狂。
我と同類であろう少女は、接死どころか近寄る事さえ困難になった我に、悠然と立ち向かってみせた。
嗚呼、何と素晴らしき事か。
満たされていく。
後はあの者と――魔王と戦って終わりだと、そう思っていた我の心が、高揚に満たされる。
まるで、そう。
――アリスと、戦った時のようだ。
――思った通り、否、思った以上にバルバロイは凄まじい相手だった。
予想の遥か上を行くコイツに、俺は未だに決定打を入れられていない。
それどころか先に有効打を引き出したのはバルバロイの方だ。
身体に出来た火傷から来る痛みに、口角が釣り上がる。
ただでさえ強かったってのに、こんな隠し玉を持ってるっていうんだから堪らない。
バルバロイの立っている部分の舞台が溶けているのを見るだけで、今バルバロイがどれだけの熱量を発しているのか理解できる。
それでもアルケミラ達まで熱が届かないのは、恐らく奴がその熱量を完全に制御しているからなのだろう。
発散し続けている訳ではなく、攻撃と防御、その一瞬のみに凄まじい熱量を凝縮して発しているのだ。
『ち……っ!こんな事をされては、長くは保たんぞ!!』
「うん、最高――ッ!楽しいね、ルシエラ!!」
『大馬鹿者!!さっさと勝機を見出さんか!!』
ルシエラの怒声に、苦笑する。
まあ、言う通りではあるのだが――少なくともこのままではジリ貧だ。
アリスとの長い永い闘いで得た物を出す、そのタイミングを見計らわなければ。
あれは正しく必殺ではあるが、外せば大きな隙を晒す諸刃の剣。
叩き込めさえしたならば、バルバロイに間違いなく決定打を与える事ができるのは、判っているんだが……バルバロイにそんな隙は、早々――
「――……?」
――その機会は、唐突過ぎるほど突然に訪れた。
一瞬だけ、バルバロイの動きが止まる。
その表情から喜悦が消えたかと思えば、らしくもない隙を晒し――
『今じゃ、叩き込め――!!』
ルシエラの声に、俺は思わず飛び込んだ。
当たる。
当てられる。
生まれた隙は本当に瞬きほどの刹那だが、それでも致命的すぎた。
俺は、疾駆しながら背後に展開していたルシエラを束ね――……
「……ぐっ!?」
「――っざけないで」
……そして、バルバロイの眼前でソレを解けば、大きな拳に変えてその寝ぼけた顔面を殴りつけた。
巨体がよろけ、バルバロイは目を覚ましたかのように爪を振るう。
俺はソレを躱しながら、バルバロイを睨みつけた。
ふざけてる、全くもって冗談じゃない。
「今、私以外のことを考えてたでしょ」
「……何?」
「今戦ってるのは私。私だけを見て、私を殺すことだけを考えて」
――そう、バルバロイは事もあろうか、戦いの最中にそれ以外のことを考えた。
雑魚がそうするなら別にいいけど、ここまで戦える凄い奴がそんな事をするなんて、ふざけているにも程がある。
「次やったら、私は帰る。人間がどうなろうとしった事じゃない」
「な――」
俺の言葉に、アルケミラまでもが絶句した。
……いやまあ、ほら、だって、アルケミラは俺がそういう奴だって判ってるだろう?
せっかくの戦いに水を差されたら、へそを曲げる人間だって。
「――私を、失望させないでよね」
「……は」
そして、俺が告げた言葉に――バルバロイは、呆気に取られたように固まりながら、息を漏らす。
心底意外そうな、しかしどこか、そう――嬉しそうな、そんな声をあげて。
「……ハハ、ハハハハハハ!!そうか、こんな事をしていては失望するか!!」
バルバロイがあげた笑い声に、舞台が揺れた。
大きく口を開きながら発したそれは、大きく、しかし心底愉快そうな声色で――
「ああ、ああ。忘れていた――我ともあろう者が、そんな単純な理屈さえも」
「……っ、あは」
「失礼した。もう惑わぬ」
――そして、その口が閉じる頃には。
先程までの――否、先程以上の強者が、そこに立っていた。
迷いなど微塵もない。ただ、目の前の戦いを愉しむだけの、俺と同じ獣が。